とりとめのない話 《京大に「岡」あり(K氏の思い出》中川眞須良

奈良興福寺の塔

先日、堺市内の一角(上野芝向ヶ丘町)を散策する機会があった。もちろん行き先の当てはなかった。とある辻を北へ曲がった時、見覚えのある景色だと気付き思わず立ち止まってしまった。周辺は大きく様変わりしているが以前趣味の世界での旧知の大先輩K氏の住居があった場所で、引越し先で亡くなられたとの連絡は頂いたが、当時ただ一度だけの訪問時(1981年頃)のお話しの記憶は鮮明である。
その訪問の目的はさらにその一ヶ月程前、K氏が提案された私を含む数人での奈良公園に於ける写真撮影会(カメラを持ってぶらぶら)での作品持ち寄りの写真談議であったが当日の客は私一人。通された2階応接間の大きなテーブルの前にK氏はどっかりと腰を下ろしたその手元には、当日の作品であろう一枚の写真がすでに置かれていた。私にも「早く座って持参した写真をここに並べて下さい」とすぐ当日の本題に入ろうとする姿は、いつもよりリラックスし言葉数も多くいわゆる乗りが良い。自宅という事もあるからだろう。
k氏はテーブル上の私の数枚の写真に短く感想を述べてはいたが、自分が準備した作品に早く話題を移したいという雰囲気をすぐに感じとれたので早速「ところで、Kさんの作品は・・・?」と話しを向けてみた。以下はその時の会話の概略である。

岡潔先生

(K氏、自分の作品を手にし)多分この辺りや。いや、間違いなくこの辺りや・・・! と思ったのでシャッターを切ってみたんです。写真にすれば雰囲気が少し変わるけど・・・。
(奈良公園内の一角、数本の松に囲まれたかなり広い空間とそのバックには興福寺?の五重塔が写る。さらに話に熱がこもりはじめたが優しい表情は変わらない。何の話が始まるのだろう?)
Mさん(私)知ってるでしょう、岡潔 という人(当時奈良女子大名誉教授)。あの先生と6~7人一緒でこの辺りを歩いていると突然立ち止まり、細長い棒切れを拾い地面に訳の解らぬ数式をどんどん書き始めてね、「ノートを持っとる人、すぐ書き写せーー」と。 あのときの先生の表情と仕草まだ覚えているよ、そう! 確かこの辺り・・・。写真を見ているとさらに懐かしい!
(そしてそれからは・・・)
先生 立ったまましばらく数式だらけの地面を見つめていたが手渡された書き写しのノートに何かを少し書き加え「このまま大学へ戻ります」と何も無かったような顔。

その日の予定全てキャンセル、中止、その場で即解散や。
(他の方、そしてkさん どうされたんですか、そのあと)
先生はノートにメモした人と二人で学校へ引き返し、生徒二人は奥様に事情の報告のため先生宅へ。僕は一人で帰りました。その他の事は、あのときの先生のひらめきは仕事、研究に役に立ったんかな? 数学の大先生はあんな事、珍しくは無かったらしい。確か漢詩や哲学の本を教卓に置いての数学の講義もあったなあ。
いつの頃からやろ、「京大に岡あり」と言われるようになったのは。
この公園の写真 額に入れてぼくの部屋に掛けることにしますわ。

当日の写真談議、K氏の作品はこの奈良公園の一枚のみで聞き役に徹し2時間以上を費やす思わぬ展開になってしまったが思い出深い。

最後に
K氏宅での思い出話の内容
時 1951年 秋頃
場所 先生の学校(奈良女子大)からの帰宅途中の奈良公園
グループ  岡先生、K氏含め総勢6~7人
(同学現役学生、京大での教え子ら)

当日の目的 先生宅での交歓 祝賀会。

私 今なお 岡潔先生の人物、功績の偉大さを理解するにはあまりにも無知かつ未熟である。
※ 岡潔(おかきよし):日本の数学者。理学博士(京都帝国大学、・論文博士・1940年)。奈良女子大学名誉教授。奈良市名誉市民。従三位勲一等瑞宝章。
詳細は https://onl.tw/8JDRLJW