神宿る。《八幡宮・京都府綾部市002》片山通夫

応神天皇

さてその応神天皇をお祭りしている八幡神社は1335年に元八幡から遷座されたと伝えられている。また一の鳥居は旧若狭街道に面して建てられている大鳥居で親柱を礎石の上にたて前後を控えの柱で支える珍しい形式である。

 

 

最後に。この神社は、失礼な話だが、はっきり言って「とても田舎」にある。しかし由緒正しいのはこの立派な鳥居をくぐって境内に入ると感じられる。神の住みかだと・・・。

【出版案内】北博文写真集 breath of CITY monochrome photography

北博文写真集 breath of CITY monochrome photography
日々変化する都市光景を一期一会として感じるままにファインダー内のレンズフレーム枠全体でトリミングして撮影し、自家暗室にてフイルム現像し印画紙に焼き付けています。

人間が利便性を探求し、長い時間を費やして作り上げてきた都市が今や自らの
生きる術を得たかのように朝・昼・晩と表情を変えながら、そこに生きる人たちの心を揺さぶり、その反応を眺めているかのような虚実的な都市の空気感を捉えていきたいと思っています。

出版社 NextPublishing Authors Press (2023/7/27)
発売日 2023/7/27
言語 日本語
オンデマンド (ペーパーバック) 117ページ
ISBN-10 4802083831
ISBN-13 978-4802083836
寸法 21.59 x 0.69 x 27.94 cm

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写真エッセー《出雲往来#6 完》片山通夫

話は前後する。国生みの神様である伊弉冉は火の神さまを生んだのが原因で亡くなった。この辺りも日本神話の良いところで、至極人間的だ。夫である伊弉諾は妻の亡骸を出雲国と伯伎(伯耆)国の境にある比婆の山に葬ったものの会いたくて仕方がなかった。そして黄泉国を訪れて・・・。その黄泉の国への出入り口が東出雲の揖屋神社の近辺の黄泉平坂(よもつひらさか)残っている。そして揖屋神社は伊弉冉を祀っている。(完)

写真エッセー《出雲往来#5》片山通夫

さてそのスサノオが高天原から降り立ったのには理由がある。ここにもいろいろな物語があるのだが、簡単に言えばスサノオが高天原で暴れすぎて追放されたのである。追放されたスサノオは日本書紀の一書(あるふみ)によると朝鮮半島の新羅に降り立ったと書かれている。また安芸に降り立ったとか…。
結局は出雲に降り立ち先に述べたようにヤマタノオロチを退治してクシナダヒメと結婚した。

写真エッセー《出雲往来#3》片山通夫

出雲には様々な神様がおられる。それに伴って神秘的な風景や神社が数多存在する。面白いことに 、旧暦に10月には全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲に集まり,出雲以外では神が不在となるために神無月といい,逆に出雲では神在月(かみありづき)という。

写真エッセー《出雲往来#2》片山通夫

稲佐の浜

出雲国には驚くようなエピソードがある。最も筆者が驚いたのは「国譲り」の話。何しろ大国主と言うこの国を治めていた神様が大和朝廷に気前よく国を譲った。この辺りの大国主の神経がわからん。
島根県の観光ナビには「昔々、出雲の国は大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)という神様が治めていました。しかし高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(アマテラスオオミカミ)はその様子をご覧になり、「葦原中国(あしはらのなかつくに)は我が子が統治すべき」とお思いになりました。
※葦原中国・・・色んな解釈がありますが、ここでは出雲地方を指す解釈」
詳しくはこちら
(明日に続く)

写真エッセー《出雲往来》片山通夫

イメージ

すでによく知られている話だが、出雲王国と呼ばれていた王国が神代の昔にあった。現在の出雲、松江などを中心とした一帯を指す。
知られている話では大国主命、少彦名など出雲の国造りのエピソードやそれ以前の「遺跡」、何しろ伊邪那岐命が妻である伊弉冉尊の後を追って「黄泉の国」へ行ったという出入口である「黄泉平坂(よもつひらさか)」などもかなり有名である。また現実的だが砂鉄からの鉄製品の製造、大国主の国譲りや、出雲大社という「高層神社」があったという話なども、当時の建築技術から考えると驚くばかりである。おそらく当時は竪穴式住居が一般的なのだろうから。

そんな出雲に惹かれた筆者は出雲の国を何度か訪れた。(明日に続く)

参考:出雲国風土記

編集長が行く #3《元町商店街の手作り映画館》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身

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