編集長が行く《守れるか神宮外苑の森》Lapiz編集長 井上脩身

神宮外苑の森
神宮外苑の森

~イチョウ並木が泣いている~

東京のど真ん中に位置する明治神宮外苑の再開発事業について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)は9月7日、「文化的遺産が危機に直面している」として、事業者や事業認可した東京都に対し、事業の撤回を求めた。神宮外苑のシンボルであるイチョウ並木がこの計画によって被害を受けるとして裁判まで起きているが、こうした反対運動をイコモスが後押しする形となった。私にはイチョウ並木をはじめ、豊かな森がひろがる神宮外苑にはさまざまな思い出がある。再開発事業は森を壊そうということであるならば、黙っているわけにはいかない。

世界に類例ない文化遺産

聖徳記念美術館を正面に望むイチョウ並木

新聞報道によると、神宮外苑についてイコモスは「市民の献金と労働奉仕によりつくり出された、世界の公園史でも類例のない文化的遺産」と極めて高く評価。「伐採本数は約3000本にのぼり、100年にわたって育まれてきた森が破壊される」と指摘し、三井不動産や明治神宮などの事業者に対し、事業の撤回を要求。東京都に対し、都市計画決定の見直しや、環境影響評価(アセスメント)の再審を求めた(9月8日毎日新聞)。
イコモスがいう100年の歴史を持つ文化的価値とはどういうことであろうか。神宮外苑の再開発認可の取り消しを求める裁判の訴状に、簡潔に記されている。
裁判は2月28日、神宮外苑の近隣住民らが起こした。訴状では、神宮外苑の歴史的価値について、1913(大正2)年2月、徳川家達貴族院議長から桂太郎首相への建議で、内苑を「森厳荘重」、外苑を「公衆優遊」な地区とし、内苑は国費、外苑は献費によって開くことになった。国民からの献金は700万円以上、奉仕した青年団は10万人以上にのぼった。外苑は1926年、わが国最初の風致地区に指定され、現在274ヘクタールが指定地区になっている。
一方、文化的価値について、外苑を「近代的公園」として欧米のパークシステムを参考に、イチョウ並木と街を結び、その軸上に芝生公園が設けられており、「近代風形式庭園」としての文化的価値が認められる。イチョウ並木の延長線上に建てられた聖徳記念絵画館は国の重要文化財に指定されており、イチョウ並木については2012年、文化庁が名勝指定のために全国調査したさい、「重要事例」とされた。こうした経過をふまえ、訴状では「神宮外苑は国際社会に誇れる、近代日本の公共空間を代表する文化的遺産」と指摘した。
ほとんどの都民とって神宮外苑はスポーツ観戦を中心とする憩い場であろう。オリンピックのメーン会場となった新国立競技場、プロ野球・ヤクルトの本拠地で、東京六大学野球が行われる神宮球場、高校野球都大会が行われる神宮第二球場、大学や社会人ラグビーのメッカである秩父宮ラグビー場などがあり、わが国のスポーツの中心地というイメージである。私は学生時代、神宮球場のスタンドから早慶戦の応援をし、秩父宮ラグビー場で行われた大学ラグビーを観戦したものだ。社会人になってからは、東京に出張した際、神宮球場で阪神―ヤクルト戦を見たり、法政大学にいた江川卓投手を目にするため、わざわざ六大学の試合をのぞいたこともある。
思えば、球場やラグビー場の周りは緑が豊富であった。周囲が住宅地である阪神甲子園球場や東大阪市の花園ラグビー場とは大違いなのだ。林や森に対する思い入れは、大阪と東京は根柢から異なるのかもしれない。実際、東京で生まれ育った人が大阪で暮らすようになると、ほとんど例外なく緑が少ないことを嘆くのである。
私は2016年から3年間、横浜で暮らした。街のあちこちで巨木を見かけた。巨木を避けて建てられたマンション、巨木を残して玄関を引っ込ませた民家、大通りの真ん中に立つ巨木などを目にすると、いかに東京やその周辺の人が巨木を大切にしているかがわかる。神宮外苑の森は、巨木が生い茂る公園の象徴的存在といえるだろう。
再開発計画では神宮外苑のなかの高さ3メートル以上の樹木743本が伐採される。高さ3メート以上の成木は高木とされているので、やっと高木に育った樹木をバッサリ切ってしまおうというのが、再開発事業者の考えだ。その発想は、東京やその周辺の人たちの樹木への思いをバッサリとぶった切るものなのである。

鼓動する商業主義

再開発後の神宮外苑予想図(ウィキベテアより)

神宮外苑の再開発事業を行うのは、すでに述べた三井不動産、明治神宮と日本スポーツ振興センター、伊藤忠商事の4団体。事業計画では、「神宮外苑を世界に誇れるスポーツクラスターとして整備する」とし、土地の高度利用を促進して業務・商業などの都市機能を導入する、としている。要するにオフィスビルやホテルを建てようということだ。スポーツを見に来る人が多いこの一帯を、お金儲けセンター的機能も持たせようということでないのか。
当然のことながら、事業主体の4社はこのような露骨な表現はしない。4社がつくる「神宮外苑地区まちづくり準備室」のホームページを開くと、「安らぎも、熱狂も、歴史の鼓動も!」というキャッチコピーが躍る。そして「100年の刻を重ね、神宮外苑が紡いできたみどり、スポーツ、歴史・文化がオープンに混ざり合い、一体化することで、さまざまな鼓動が生まれる」と美辞麗句を並べる。そのうえで、「Green」「Sports」「「Open Space」「History&Culture」と英語で4項目を羅列。「Green」については「外苑のシンボル、4列のいちょう並木を保全」「エリア全体の樹木は既存の1904本から1998本に増やす」などとし、さも緑あふれる夢の外苑のイメージをつくりだしている。
以上のうたい文句のうえで、具体的な再開発として、神宮第二球場を解体して新ラグビー場に、秩父宮ラグビー場はホテル併設の新神宮球場、神宮球場は広場に変える。
なぜわざわざこのような建て替えを行うのだろうか。
訴状によると、現在青山通りに面している伊藤忠ビルを高さ190メートルの超高層ビルに建て替えるほか、ホテルやオフィスが入る185メートルと80メートルのビルが建てられる。このため、3・4ヘクタール分が都市計画公園から削除される。
「お金儲けセンター的機能を持たせようということでないのか」という私の予想は間違いではないようだ。「スポーツ、歴史・文化がオープンに混ざり合う」のでなく、「スポーツと商業主義が混ざり合う」のだ。このために邪魔な森を壊すのであって、金儲けできる団体だけに「鼓動が生まれる」のである。
この計画により、新神宮球場はイチョウ並木の西わずか8メートルのところに移る。ではどうなるか。
私は2018年12月上旬、イチョウ並木を歩いた。
南側の青山通りから並木道に入ると、黄色に色づいたイチョウの葉が陽光を受けてキラキラと輝いていた。長さ200メートルほどのイチョウのトンネルはさながらおとぎの世界。私は夢見心地になった。
並木の西側には数軒のレストランが建っていて、多くの若者でにぎわっていた。このどこかで披露したのであろうか。白いウェディングドレスの女性とタキシード姿の男性が、並木中央に止めてあったオープンカに乗り込むところにであった。
新神宮球場がイチョウ並木そばに越してくれば、こうした風景はなくなり、殺風景な景色になるだろう。文化を紡ぐどころか、若者たちがつくりだした″並木文化″を壊すことになるであろう。

龍一、春樹、サザンが「開発反対」

坂本龍一さん(ウィキベテアより)

昨年11月、日本イコモス国内委員会は、イチョウ並木146本のうち、6本で枝の一部が枯れるなど生育状況に問題があるとの調査結果を公表した。一方、神宮外苑に近い新宿御苑では、地下トンネルを整備して30年後に、トンネルから15メートル以内の約9割が枯れ死していたことが、中央大研究開発機構の調査で明らかになった。こうしたデータを踏まえて、訴状では、(新神宮球場建設のため)地下40メートルに及ぶ杭の施工は、水系を断ってイチョウの根を傷つけ、生育を阻害すると指摘。加えて西側に球場ができることで、日差しにきらめくイチョウ並木の風景が失われるという。
前項で私は「イチョウの葉が陽光を受けてキラキラと輝いていた」と書いた。イチョウ並木にきらめきがなければ、「おとぎの世界」にはならず、したがって「夢見心地」になるはずもない。
自分自身の体験と重ね合わせると、「きらめかないイチョウ並木」になることが、この計画のポイントであることに気づいた。文化破壊の商業主義がイチョウ並木からきらめきを奪うとあれば、反対の声が上がらないのがおかしい。
はたして音楽家の坂本龍一さんは3月28日に亡くなる約1カ月前、小池百合子知事に、計画見直しを求める手紙を出した。手紙は2月24日付で、「世界はSDGsを推進しているが、神宮外苑の開発は持続可能とは思えない」と指摘。「これらの樹々を私たちが未来の子供たちに手渡せるよう、再開発計画を中断し、見直すべきです」と主張し、知事に対し「あなたのリーダーシップに期待します」と呼びかけた。小池知事は記者会見で「事業者である明治神宮にも手紙を送られた方がいいんじゃないでしょうか」と述べた(4月3日、朝日新聞電子版)。坂本さんの期待に反し、小池知事が計画見直しにリーダーシップを発揮した気配はない。もともと関西人である小池知事には、東京の人たちの心に宿る樹木への思いは理解できないであろう。
「ヤクルト・スワローズのファンなので、神宮球場に歩いて行ける所に住んでいた」という作家、村上春樹さんは、坂本さんと40年来の親交があり、「一度壊したものは元に戻らない。神宮外苑の再開発は強く反対」と述べた(7月23日、毎日新聞電子版)。さらにサザンオールスターズの桑田佳祐さんは神宮外苑の再開発を憂える気持ちから作詞作曲した新曲『Relay~杜の詩』を9月2日、発表した。
誰かが悲嘆(なげ)いていた
美しい杜が消滅(き)えるのをAh~
自分が居ない世の中
思い遣るような人間(ひと)であれと
地球が病んで未来を憂う時代に
身近な場所に何が起こってるんだ?
桑田さんは「坂本さんの遺志をつなぐ曲」と説明し、「あれ(木が伐採されること)、なんかもったいない気がすると思って歌詞にした」と話した(9月4日、毎日新聞)。
もしイチョウ並木にきらめきが失われたら。それは単にイチョウにとどまらず、人々にきらめきが失われることになるのでないか。商業主義者のための神宮外苑になれば、お金はきらめいても、人の心は決してきらめかないのだ。
お金か心か。神宮外苑再開発問題は、文化とは何かという根源的な問いかけなのである。