とりとめのない話《風待ち地蔵》中川眞須良

西高野街道(左)と中高野街道(右)の交点(河内長野市)

古くから 商人の町として栄えてきた天領・堺。それを象徴するかのように昔からの古道、いわゆる歴史街道と呼ばれている5つの道が市内を走っている。それらは南北に市を縦貫する紀州、熊野(小栗)の両街道、そしてこの地を起点として東に伸びる長尾、竹の内、南南東への西高野街道の3街道である。 特に西高野街道は大阪、堺からの霊場高野山への参詣道として栄え、今なおあちらこちらに当時の街並み、風情を残しながら保存活動等と共に多くの市民の日常生活に溶け込み親しまれている。

そして起点から堺市内全域にわたり大小の辻 角に多くのお地蔵さんが優しく、温かく祀られていることもその大きな要因だろう。

この西高野街道沿い、市の住居表示板に「中区陶器北912番地」とあるすぐ横に真っ赤な衣を纏ったお地蔵さんが2体並んで祀られている。

大きな屋根で一部コンクリート造りの立派な祠を風雨を避けるためか更に外側を大きく広く波板トタンでガードされている事などから世話人、地元民との日頃の深い結びつきが容易に想像できる。

そのお地蔵さんの名 「剣光地蔵尊」。この地蔵尊、北へ向かってわずかに下りの街道沿いに加えやや広い四叉路の西北角に鎮座するその場所は現在まで長期にわたりあらゆる種類の風を受け止めてきたに違いない。

参考 地蔵尊

私がこの辻であの時あの風に出会ってからすでに25年が過ぎる。もう一度そんな風に出会ってみたいと思い、この場を訪れた回数はゆうに50回を超える。
それは湿気を含んではいなかったし埃を舞い上げてもいなかった。生活の匂いを運んで来たのではなく沈丁花の香りを連れて来たのでもなかった。
ただそっと頬を撫でて行ったあの風に出会いたいだけである。

梅雨入り少し前、西陽を正面に受けながらいつものように前を通りかかると火のついた数本の太い線香を束にして線香立てに入れようとしているお婆さんを見た。しゃがみ込みじっとお地蔵さんを見つめ 手を合わせ何やらブツブツ、咄嗟に後方で立ち止まり一瞬同じように手を合わす自分がいる(挨拶なしで何度も前を通リ過ぎてごめんなさい・・・と)。

その時 線香の煙の一筋がお婆さんの素足の下駄に届こうとしていた。今日は珍しく無風だ。またあの風には会えそうにない。

自宅まであと約3キロメートル。