とりとめのない話《音のピント合わせ》中川眞須良

イメージ

私が長く接するモノクローム写真の世界は 日常における自身のイメージトレーニングの現状、結果を目視で確認できる唯一の手段と思っている。多くの情報や経験をもとに鈍化しがちな日常の感覚を「機知の閃き」に出合うきっかけ探しの手段として蘇らせるために思いついたのが「音へのピント合わせ」である。
実践してすでに数十年、今ではこれによるイメージの発想は新しい物語、新しい世界の創造に欠かせない手段の一つと確信している。毎年梅雨入り直後のこの時期に机の引き出しの奥から取り出すものがある。
1950年当時製造のステップ音が大きい「tokyo.clock.4jewels」と刻まれているポケットウォッチである。 そのあとは世間の生活音が無くなる、私の就眠時間帯の夜の雨を待てばよい。
自室の西側窓すぐ傍にモクレンと金木犀の樹が並んで立っている。どちらも1メートル未満の距離で。今は葉が茂り午後の強い西陽を遮るのに好都合だ。さらにこの好都合を好条件として利用する一つの楽しみが始まる時でもある。それは待っていた夜の雨である。

雨が葉を打つ音、葉擦れの音、水滴が土に滴る音、にぎやかだ。このシーズン、カーテン越しなら窓全開でも寒くはない。左の音、右の音、手前の音、奥の音、さらにその強弱、まるでステレオだ。ある時からこれらの和音にもう一つの音を参加させることで、さらに閃きへの感度アップが期待されるであろうことに気がついた。それが自分にとって大変耳に心地よく響く、ポケットウオッチのステップ音だ。これでカルテット演奏の開始ということになる。

例えばある時 時計を耳に当て葉擦れの音に耳を澄ます。また外の三様の音を聞きながら耳に近付けたステップ音に聴き入るなどのように、いくつかの音のうち特定の音に耳を澄ます。聞き耳を立てる即ちピントを合わせることで別の感覚の世界に出会える時がある。もちろん偶然に、また一瞬に 何も意識せず 期待せずである。そしてこれらが その夜の私の子守唄である。

今夜の雨は少し強い。気のせいか 枕元の時計のステップ音まで軽快だ。こんな時は通路にすぐできる小さな水溜りで繰り広げられるにぎやかな雨粒の競演にピントを合わせながら眠りにつくのが最適かも。

明朝の雨上がりを期待しながら・・・・。