連載コラム・日本の島できごと事典 その102《たらい船》渡辺幸重

荒海や 佐渡に横たふ 天の河

佐渡島のたらい舟(「アイランドレンタカー」より)

これは松尾芭蕉が「奥の細道」を旅する途上に立ち寄った新潟県出雲崎から佐渡島(さどがしま/さどしま)の空を眺めて詠んだ句とされています。このときは雨だったとかこの時期は佐渡の方角に天の川は見えないとかで、実際には見ていない風景だという議論がありますが、それはさておき、佐渡と越後の間のこの“荒海”を毎夜「たらい舟」で恋人のもとに通った女性がいたと聞けば皆さんはびっくりするのではないでしょうか。

昔、佐渡にお弁という漁師の娘がいました。越後国・柏崎から佐渡に来た船大工の藤吉と恋仲になりましたが、藤吉は佐渡での仕事が終わると柏崎に帰ってしまいました。お弁は藤吉が忘れられず毎晩たらい舟に乗って佐渡から柏崎まで通いましたが、実は藤吉には妻子がありました。藤吉はお弁がだんだん恐ろしくも疎ましくもなってきて、お弁が目印にしていた柏崎の番神岬の常夜灯を消したため、お弁は目印を失い、荒海に漂い、波にのまれて死んでしまいました。藤吉はお弁を死なせてしまった後悔から海に身を投げて命を絶ったということです。

浪曲師の寿々木米若はこの民話と民謡「佐渡おけさ」をもとに浪曲台本「佐渡情話」を作り、その口演レコードは全国的な大ヒットとなりました。佐渡情話では、お光と漁師の吾作の恋物語となっており、お光に横恋慕する七之助が登場するなど創作が随所に見られます。また、たらい舟で恋人のところに通うという似たような話は、新潟県上越市の「人魚塚伝説」や河口湖の「るすが岩」、琵琶湖の「お満灯籠」など各地にあります。
物語の舞台となった佐渡・小木地区の番神堂には次のような与謝野晶子の歌が残されています。

たらい舟 荒海もこゆ うたがはず
番神岬の ほかげ頼めば

小木地区では現在も海藻や魚貝採りにたらい舟が用いられており、たらい舟は「南佐渡の漁撈用具」の一部として1974(昭和49)年に国の重要有形民俗文化財に指定されました。また、「小木のたらい舟製作技術」は伝統的な和船製造技術や樽桶製造技術を知る上で貴重な財産だとして2007(平成19)年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。