びえんと《押し付けを否定した内閣憲法調査会》Lapiz編集長 井上脩身

――改憲にカジを切らなかったナゾに迫る――

矢部貞治・内閣憲法調査会副会長

日本の憲法について自民党は「アメリカに押し付けられた」として憲法改変を党是としてきた。保守合同で結党された翌年の1956年、「我が国の主体的憲法に変える」ために安倍晋三元首相の祖父・岸信介首相(当時)らによって、「内閣憲法調査会」が設置された。当時の社会党が「改憲のための調査会」と位置づけたとおり、改憲志向の議員や学者を中心に調査会は構成され、「憲法を変えるべきである」との報告がなされると予想された。7年間の審議を経て1964年に最終報告書がまとめあげられたが、「改正の可否」については両論併記にとどまり、保守派のもくろみは外れた。その理由が私にはナゾであったが、改憲論者であった矢部貞治副会長が「改正反対」に意見を変えたことが少なからず影響していたことを最近、新聞記事で知った。もし矢部副会長が当初の意見を維持していれば、わが国は早い段階で改憲へと大きくカーブをきっていたかもしれない。

マッカーサー・幣原会談

矢部副会長は政治学者で、1939年5月から1945年12月まで東大教授。近衛文麿内閣の有力ブレーンとなり、拓殖大学の総長も務めた。内閣憲法調査会最終報告書の実質的な起草者だったと言われている。
憲法調査会は自民党が、改憲発議に必要な3分の2議席を確保できなかったことから、改憲の方向を確固たるものにするために提案され、岸内閣のときに発足。定員は50人だが、社会党が不参加だったこともあって欠員が多く、国会議員20人、学識経験者19人でスタートした。委員のなかには蝋山正道(政治学)、正木亮(法学)各氏や笠信太郎・朝日新聞論説主幹ら著名な学者、ジャーナリストも入っていたが、冒頭に述べたように全体として自民党衆院議員の中曾根康弘、船田中、小坂善太郎、清瀬一郎各氏ら改憲論者で占められていた。

『日本国憲法30年』の表紙

『日本国憲法30年』(伊藤満著、朝日新聞社)によると第1委員会「司法と基本的人権」、第2委員会「国会・財政・内閣・地方自治体」、第3委員会「天皇・最高法規・戦争放棄」の3委員会で編成。会長に高柳賢三東大名誉教授(法学)、副会長に矢部氏と山崎巌・自民党衆院議員が就任した。
1956年8月、第1回総会が開かれ、岸首相は「憲法制定の事情と、その後の10年にわたる実施の経験とにかんがみ、わが国情に照らし種々検討すべき点がある」とあいさつ。ストレートに改憲とは述べなかったものの、その思いを強くにじませていた。押し付け論者の岸氏の提案による委員会だから、当然といえば当然であったが、調査・研究のための中立的な委員会という外形をとりながら、改憲への理由づくりのための委員会であることは明らかだった。
だが、首相の思惑通りには進まなかった。高柳会長が「憲法を一定方向に向けて改定することを前提とする政府機関でなく、全国民のための検討を加える場」と明言。その一環として、1958年秋、高柳会長を団長とする調査団をアメリカに派遣した。その調査で、1946年1月11日マッカーサー元帥宛ての、国務、陸軍、海軍3省調整委員会指令第228号という、アメリカの対日政策の基本方針を示した文書に接した。文書は「日本の統治体制の改革」と名づけられ、天皇制、内閣、司法、立法など多岐にわたって民主的な方針を示している。問題の「戦力不保持」については「日本における軍部支配の復活を防止するために行う政治的改革の効果は、この計画の全体を日本国民が受諾するか否かによって、大きく左右される」と記されており、日本国民の意思を重視していたことが判明した。
高柳会長は調査を終えて帰国し、羽田空港で調査結果を談話の形で語った。その中で、9条について「自衛のための戦力を保持することを認めるものであるかどうかに幾多の議論があったが、マッカーサー元帥は、他国の侵略に対し自国の安全を守るために必要な措置を続けることは当然で、第9条はなんらこれを妨げるものではないと当初から考えていた。しかし、同時に第9条は幣原元首相の高邁なステーツマンシップを表示するもので、世界の模範となるべき永久の記念碑」と述べた。第9条はアメリカの押し付けでなく幣原喜重郎元首相の理想をうたいこんだ、との認識を示したのである。

日米合作憲法論

幣原喜重郎・元首相

前項でふれた幣原元首相のステーツマンシップとは何であろうか。
マッカーサー連合軍最高司令官は1946年2月3日、戦争放棄などの3原則を示したが、その直前の1月24日、幣原首相がマッカーサーと会談。幣原は「世界中が戦力を持たないという理想論を(いだき)はじめ、戦争を世界中がしなくなるようになるには、戦争を放棄するということ以外にないと考える」と語りだすと、マッカーサーは急に立ち上がって両手で幣原の手を握り、涙を目にいっぱいためて「その通りだ」と言ったという。(古関彰一『平和憲法の深層』ちくま新書)
高柳会長はアメリカで、マッカーサー・幣原会談の内容を記した資料を目にしたのであろう。戦争放棄を最初に言い出したのは幣原氏と知ったのだと思われる。
調査会では9条について 1)現行のままでよいか 2)改正を考える場合には、その基本方向は何か――にしぼって審議された。
「自衛権のない国家は考えられない。だれにも分かるようにはっきりした文章に改めるべきだ」(法曹代表・弁護士)▽「自衛隊の保持は明記すべきだ」(中小企業代表)▽「永久平和を願う9条の理想そのものが日本の自衛権を表しており、憲法を変える必要はない」(婦人代表)▽「敗戦という異常な時代にあって、自らの力に寄らず作ったものなので、改正の必要がある」(青年代表)▽「9条は戦争の惨苦を受けた全国民の願いを表現したもの。平和主義で行くべきだ」(労働代表)▽「9条の建前を守り、全世界に戦争の放棄を呼びかけるべきだ」(中小企業代表)などの意見が出た。
以上は『日本国憲法30年』から引用したものだが、意外に9条維持の意見が多い。国会議員は発言しなかったのか、同書が取り上げなかったのかは定かでないが、高柳談話が審議に影響を及ぼした可能性が高い。
こうした審議を経て、報告書のまとめに入った段階での総会で、高柳会長が意見陳述を行った。そのなかで9条について「現行憲法は占領下でつくられた関係もあって、マッカーサー元帥を中心とする米国に押し付けられたものであるという説がかつては有力であったが、憲法調査会が行った事実調査の結果、これは誤りで、日本側の自主性も相当加味されており、正確には日米合作とみるべきだ」と述べ、押し付け憲法論を否定した。
最終報告書は池田内閣に提出されたが、池田勇人首相はこの報告書を政治的争点にすることを避けた。高柳会長の発言にみられるように、自民党の望むような明確に改憲を志向する結果にならなかったうえ、安保改定をめぐって国民の間に高まった「戦争に巻き込まれる」という反戦意識を警戒したためと思われる(田中伸尚『憲法九条の戦後史』岩波新書)。

意見を変えた副会長

前掲の『日本国憲法30年』には憲法調査会委員の改憲派、非改憲派の色分けが記されていて、実に興味深い。色分けは次の通り。

改憲不要論=高柳賢三、蝋山正道、正木亮、中川善之助ら7人
全面改憲論=愛知揆一、山崎巌、木村篤太郎ら19人
戦闘的改憲論=大石義雄ら3人
慎重改憲論=古井喜美ら2人
時期尚早論=井出一太郎
部分改憲論=矢部貞治
最後の矢部貞治が本稿の主人公である。

矢部副会長が意見を変えたことについては、4月15日付毎日新聞の「井上寿一の近代 史の扉」というコラム欄で取り上げられた。
同コラムによると、矢部副会長は戦前、東大で政治学を担当、戦時中新体制運動の理論を構築したことで知られているが、東大を辞したあと「浪人生活」を送るという異色の学者。改憲論者でもあった。
調査会の発足から5年後、矢部副会長は調査の実績を踏まえて「この憲法に抱いていた考えが、大きく変わってきたことを告白せざるをえない」と発言。「占領軍が日本を骨抜きにする目的で、押し付けたというのは正しくない」として、押し付け憲法論が間違いであったと認めた。矢部氏は、日本国憲法は、極東委員会(連合国の対日最高政策決定機関)の天皇制廃止の主張に先手を打って、天皇制を救うためだったと考えたという。

調査会では、9条の下でも自衛隊違憲ではないとするのがほぼ全員の見解だった。意見が対立したのは、「防衛体制の現実に合わせる方向」に9条を改正するか、「現実の防衛体制をできるかぎり9条に合致させるべきか」だった。矢部副会長は高柳会長とともに「現行憲法の規定の欠陥を指摘し、解釈の統一を期するために条文を改正すべきであるとする見解には賛成しえない」との立場をとった。

こうした矢部副会長の認識は最終報告書の「日本国憲法の制定経過」に反映された。報告書は制定過程を敗戦時における「きわめて異常」なものとしながらも、「当時のわが国をめぐる微妙な、しかも峻厳な国際情勢の中で行われたこと」と指摘。そのうえで「憲法は押し付け」なのか「日本国民の自由な意思に基づくもの」だったかについては、「事情はけっして単純ではない」と結論づけた。
矢部副会長は最終報告書が提出される直前の講演で「改憲勢力が国会で3分の2を占めたとしても、憲法改正などということはなかなかできるものではないと思います」と述べた。そして「国民のなかから盛り上がる要求があって、初めて改正というものができる」と付言した。
改憲派、非改憲派の色分けでは高柳会長が改憲不要論なのに対し、矢部副会長は部分改憲論。手元の資料では、矢部副会長がどの規定を変えるべきだと考えているのかわからないが、9条については変えるべきでないと考えたことは明白だ。

安倍晋三元首相は憲法9条について「自衛隊を明記すべきだ」との考えを示し、9条改変の方向づけをした。これに対し、九条の会は「占領時代につくられたとの相も変らぬ押し付け憲法論」と強く反発している。
岸田文雄首相は安倍政治を基本的に継承、1月26日の衆参院本会議で憲法の改変について「総裁選などで『任期中に実現したい』と言ってきた。先送りできない課題」と、改憲への強い姿勢を示した。内閣憲法調査会の高柳会長は「9条は幣原元首相の高邁なステーツマンシップを表示するもの」と述べた。その理想を岸田首相は投げ捨てるというのである。

理想だけでは敵国の侵略から守れないとの論がある。ウクライナ戦争、台湾海峡の緊張、北朝鮮のミサイル威嚇など、わが国を取り巻く環境は近年厳しさが増していることは確かだ。問題は矢部副会長が言うような「国民のなかから盛り上がる要求」があるかどうかである。世論調査などでは憲法改変を是とする国民が「変えるべきでない」をわずかに上回っているが、軍拡増税には国民の多くが反対している現状をみると、「盛り上がる要求」とまではとてもいえまい。
9条を変えることは、「平和主義国家」というわが国の心柱を抜いてしまうことである。国の屋台骨がくずれると、それこそ敵国からの侵略という暴風に耐えられなくなる。内閣憲法調査会の調査結果はそれを教えてくれているのである。