2018春号《 breath of CITY》北博文

めぐりめく変化する都市光景を一期一会として感じるままに
ファンインダーのフルフレームで切り撮っています。
人間が利便性を探求して作り上げた都市が今や独自に生きる術を
得たかのように朝・昼・晩と表情を変えながら人の心を揺さぶり
その反応を眺めているかの様な虚実的な都市の空気感を撮らえて
行きたいと思っています。

2018春号《中川眞須良のとりとめのない話》

 《ほんとうのダイヤ》
JNR(日本国有鉄道)は平和であった、
それとも苦労していた?

昔の鉄道ファンは哀愁列車として、現役ファンは歴史の一ページとして聞き流していただければ幸いです。
それは国鉄が民営化される(JNR→JR)さらに20年近く前の話。
関西の国鉄に信じられない定期ダイヤが二便あったとする記憶である。今般幸いに当時の時刻表を入手できたので、その二便を比較することで紹介する。(写真右)
始発時の平均乗車率(私的)約80%以上、南紀3号は30%以下。天王寺⇔新宮間の所要時間は普通列車(列車番号914)の方が短い。当然「列車番号310Dのダイヤ設定の意図は・・・?」の疑問が生じる。当時天王寺鉄道管理局職員と名乗る人物から「あれは翌日の列車手配のための苦肉の策です。回送にすれば運賃は取れませんし・・・列車ホテル気分で利用しているお客さんもいました」との話を耳にしたのは、私が310D乗車後20年以上過ぎてからだ。

2018春号《宿場・東海道 小田原宿》Lapiz編集長 井上脩身

小田原提灯ぶら下がる街

~お猿のかごやに思いはせ~
 昨年秋、箱根の足柄山に登るため、JR小田原駅に降りた。ホームを歩いていると、童謡『お猿のかごや』のメロディーが聞こえる。♪エッサ エッサ エッサホイサッサ――。子どものころ何度か聞き、うたった。懐かしくなって口ずさむ。「小田原提灯ぶらさげて」。小田原提灯で何だろう、お猿のかごやはだれを乗せてどこへ行こうとしているのだろうと、子ども心に不思議に思ったものだ。あれから60数年がたつ。今になって解明したいと思った。小田原は東海道の宿場だった。宿場と何か関係があるのだろうか。1月下旬、かつてに小田原宿を訪ねた。 “2018春号《宿場・東海道 小田原宿》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む