2018autumn《徒然の章》中務淳行

この夏は災害が多かった。6月には大阪北部地震があった。この地震で高槻市で小学生の女の子がブロック塀の下でなくなった。この朝、共稼ぎの娘の家で孫の登校を見送った。通学路にはブロック塀がある。マンションの6階から一年生が通学するのを見た。その10秒ほど後に地震があり、大きく揺れた。学校に入るまでは見とどけたが、教室まで行って、普段のように子供たちがたくさんいたので、ホッとして帰宅した。我が家までは私鉄で一駅だが、電車は動いていなかった。歩いて帰っていると電車が踏切で止まっている。大きく迂回しようとしたところに電話、「学校が休校になったので迎えに行ってほしい」。すぐにUターンした。

地震はいつどこで起きるか分からない。23年前、阪神大震災が起きた時私は新聞社で写真部のデスクをしていた。1月17日の未明、奈良市内の自宅で激しい揺れに目を覚ました。冬休みの半ばだったが、とこの中で、「大仏殿は大丈夫だろうか、法隆寺の五重塔はまっすぐ立ってるだろうか」そんなことが頭をよぎった。揺れが収まってテレビをつけると「神戸方面が大きな地震に見舞われた」とのこと。飛び起きて食事をとった。いつ食べられるかわからない。あるものを食べられるだけ詰め込んだ。

バス停まで走り、駅まで行き、止まっている電車に飛び乗った。大阪に着いたら地下鉄は運休、タクシーもつかまらない。ヒッチハイクと都会ハイクで本社に着いたのは8時少し前、まだ出勤してきた部員は片手に満たない。

9時過ぎ、東京本社から応援のヘリが大阪空港に着く。燃料補給のあと、上空からの取材に飛び立つ。応援のカメラマンはデスクの指示で、阪急伊丹駅に向かう。

写真を送るのは車やオートバイが中心で、少し前に開発されたスチルビデオカメラで無線電送するくらいでデジタルカメラの一眼レフはこの年6月にやっと売り出された。

散乱した職場を片付けた後は、災害の件場から送られてきたフィルムを現像、プリントし夕刊を作り上げた。

ところが、神戸から写真があまり来なかった。取材する人はいるが、神戸総局で送られてきたフィルムが山積みになっているという。大阪を出たカメラマンたちはまだ西宮あたりまでしか行けていない、という。「じゃあ私が行こう」午後にヘリで神戸に入り、3日間文字通り不眠不休で写真とにらめっこした。

その日の午後、いつまでも写真部員が神戸総局に着かないので、私がヘリでこうべの総局近くの海岸で降りて走った。自動現像機(当時はデジカメはなくネガカラーが中心だった)コードいっぱいまでは走って、現像液と定着液が混じって現像不能だった。水が出ないので、ペットボトルの水を5本使って薬品を交換した。

それから3泊4日、夜は床に毛布を敷いて仮眠余震のたびにビクビクしながらの生活だった。今回の地震の取材もはやっぱりスムーズにはいかなかったようだ、経験者も減って部員が入れ替わってることもあるが、地震はいつ起きるかわからず、その都度事情が変わのだが、それにうまく対応できる人はまれだ。災害は忘れたころにやってくるというが、その通りだ。

7月の西日本豪雨、これは昨年の九州を襲った大雨に匹敵するものだ。私の在職中も大前は毎年のようにあったが、スケールが違う。私の記憶のなかでも台風以外で100人を超える死者が出たのは記憶にない。雨の量や浸水の程度も桁はずれだ。倉敷市の真備地区は過去にも被害を受けているが、もう当時のことは誰も記憶になく、対応も初めての人のそれと変わらない。

私には1972年、南紀、熊野などを襲った集中豪雨の記憶がある。夕方大阪を出発、白浜まではJR(当時は国鉄)で行ったが、そこから先は運休。駅前で乗ったタクシーは

「新宮まで」と言うと嫌な顔、でも拝み倒して乗せてもらう。大雨のなか、冠水した国道も何とか通り抜けた。社の車で出た記者とカメラマンはどのあたりにいるのか全く分からない。無線も届かないようだ。日付が変わるころ、やっと新宮について現地の記者と合流した。三重県の熊野市の被害が大きいという。熊野市の中心部から北へ、山間部に入る。夜間の子で周りの様子もよく分からない。雨は降り続いている。

引き返すことにした。泊まるところもないので、警察署の前で車の中で仮眠した。翌朝

雨は収まってきた。「昨夜のところに出かけよう」、車を走らせた。いくらも走らないうちに道路に大きな岩がゴロゴロ、その付近の家屋にも土砂が流れ込んでいる。「昨日もう少し帰るのが遅くなっていたら・・・。街に帰れないか、土石流に飲まれたか、唖然とした。

それでも今回の被災地の雨量や被害とは比較にならない。温暖化という言葉を聞いたのは10年くらい前だろうか。その道の科学者によると「短い間には暖かくなる時もあるが、地球の歴史から考えると地球は間違いなく氷河期に向かっている」というのは正しいのだろうか。

 火山の動きも気になる。この項を執筆している最中に鹿児島県の口永良部の火山情報が急を告げている。このほかにも桜島、新燃岳、御岳山、阿蘇山など記憶にあるだけでもご本の指では足りない。特に火山と地震は予報がまだ頼りない。かつて天気予報があてにならないもののだいめしであったように、早く信頼できるようになってもらいたいと、痛切に思う。

 心ある人々の努力によってよみがえった自然も多い。今年、私がうれしく記録した2枚の写真をご覧ください。
(中務敦行 元読売新聞写真部)