神宿る。《榎・蘇武橋》片山通夫

この榎(エノキ)は「幹周/5m、樹高/14m、樹齢/推定420年」と案内板に書かれている。奈良県橿原市今井町の入口にデンと構えている。今井町は江戸時代の面影を色濃く残している橿原市の町だ。橿原神宮で有名。《日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。天照大神〈あまてらすおおかみ〉の子孫である神日本磐余彦火火出見天皇〈かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと/※後の神武天皇〉が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山〈うねびやま〉東南の麓に橿原宮を創建されました。》とは神宮のHPに記載されている。その町にある榎、もう神が宿っていてもおかしくはない。

片山通夫写真集 “ONCE UPON A TIME” Lapiz 誌上予告展001

ようやく懸案の1,960年代から撮りためた、片山通夫写真集 “ONCE UPON A TIME”が出来上がりました。編集をしてくださいました戸上泰徳氏にはさんざん無理を言ってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ただただ感謝あるのみです。

神宿る。《京都・糺すの森にて》片山通夫

糺の森のご神木。下鴨神社境内の原生林の中だから、もう森全体が神域のご神木群。

糺の森は京都の北、京阪電車の北の終点、出町柳駅から歩いて10分ほどのところにある下賀茂神社の境内にある原生林を指す。「ただすのもり」と読む。この糺すは「事の是非・真偽・事実や真相などを追及すること。問い質す(といただす)こと。「質す(ただ-す)」よりも厳しい追及のニュアンスがある語彙」と辞書にあるように厳しく問いただすというようなニュアンスらしい。

この名前の由来だが、「偽りを糺すの意とするほか、賀茂川と高野川の合流点であることに起因して只洲とする説、清水の湧き出ることから直澄、多多須玉依姫の神名に由来するという説などの各説がある。他に、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)にある元糺の池およびその周辺の元糺の森から遷された名前であるという意見もある。 (この項ウイキぺディア)

写真ルポ《奈良元與寺地蔵盆》片山通夫

元與寺

古代のわが国の首都に平城京がある。710年、それまでの藤原京から遷都されて唐の都長安を模して造営された。平城京が京都に遷都された794年までの間、宮城・平城宮(大内裏)を置き、東西8坊 (約 4.3 km) の面積をもち、中央を南北に走る朱雀大路によって左京・右京に二分され、さらに南北・東西を大路・小路によって碁盤の目のように整然と区画され、全域が72坊に区画設定されていた。のちに奈良は「南都(なんと)」とよばれるようになり、東大寺・興福寺の門前には、寺の仕事に従事するさまざまな人々が集まり、やがて「まち」ができます。このような「まち」を「郷(ごう)」とよび、奈良の町は寺社の門前郷(もんぜんごう)として発達してゆく。平安時代末期、平氏が勢力を強めると南都寺院と対立するようになり、1180年、平重衡(たいらのしげひら)が南都を攻め、その兵火により東大寺・興福寺とともに奈良の町も大半が大きな被害をうけた。その後、奈良町は周辺の地域を含めて徳川幕府の直轄地として栄えるという歴史を持っている。また元與寺は飛鳥時代に蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内(現奈良町)に移転した寺院。飛鳥時代の屋根瓦が一部残っている。毎年8月23日・24日は地蔵盆が盛ん。 “写真ルポ《奈良元與寺地蔵盆》片山通夫” の続きを読む