
過ぎ去ろうという春のことだ。晩春は「4月5日の清明から5月6日頃の立夏の前日」までということになってる。晩春は長い…? 二十四節気で見ると、5月上旬までが晩春と考えるのが良いようだ。
そこ行く春は夏を迎える時期のころと見える。初夏。春は長い冬が終わり、花が咲き鳥が啼くいわゆる陽春をイメージできるのだが、行く春は悲しい。
写真:片山通夫
過ぎ去ろうという春のことだ。晩春は「4月5日の清明から5月6日頃の立夏の前日」までということになってる。晩春は長い…? 二十四節気で見ると、5月上旬までが晩春と考えるのが良いようだ。
そこ行く春は夏を迎える時期のころと見える。初夏。春は長い冬が終わり、花が咲き鳥が啼くいわゆる陽春をイメージできるのだが、行く春は悲しい。
流氷はアムール川の河口で生まれてオホーツク海を南下してくるということは前回書いた。オホーツク海は海というくらいだから海水、つまり塩水である。では流氷の氷は塩っ辛いのか?答えは若干塩っ辛いということらしい。アムール川の河口あたりは氷点下30度にもなる。ちなみに3月6日は最高気温マイナス19度、最低気温マイナス33度ということらしい。塩水は濃度にもよるけどマイナス20度でも凍らない。つまりアムール川の河口付近はほとんど真水なのでこれが凍って流れ出して流氷となるのかもしれない。
つまり流氷はアムール川の水がオホーツク海に流れこみ、塩分濃度が薄まった部分が冷やされて氷になるというわけ。(知らんけど。)
おかげさまでLAPIZ ONLINE2021春号はすべて掲載いたしました。
改めて掲載内容をご紹介いたします。
LAPIZ2021春号 Vol.37《Lapizとは》Lapiz編集長 井上脩身
連載コラム・日本の島できごと事典 その14《笹森儀助》渡辺幸重
あれから10年《国民主権を実態化するにはやはり“選挙”しかない》渡辺幸重
連載コラム/日本の島できごと事典 その7《メガソーラー》渡辺幸重
連載コラム・日本の島できごと事典 その15《気仙沼大島》渡辺幸重
編集長が行く《尾形光琳の傑作と多田銀銅山 001》Lapiz編集長 井上脩身
編集長が行く《尾形光琳の傑作と多田銀銅山 002》Lapiz編集長 井上脩身
原発を考える。《全電源喪失した海外の原発 ~過去の事故例から見る重大責任~》井上脩身
びえんと《「アンダーコントロール」を中心に安倍前首相発言のウソを考える》Lapiz編集長 井上脩身
コロナ《アメリカファーストからの転落~コロナ蔓延世界最悪の意味~》井上脩身
昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校》元民族新聞記者 鄭容順
コロナ企画・投稿《微妙に変化してきた五輪対応とコロナ》匿名希望
連載コラム・日本の島できごと事典 その16《米軍基地》渡辺幸重
読切連載アカンタレ勘太 8《アトムごっこ》文・挿画 いのしゅうじ
シリーズ とりとめのない話《鈍行(どんこう・鈍行列車)004》中川眞須良
今はもうすっかり、耳にすることがなくなった言葉に鈍行がある。辞書に「(急行に対して言う)普通列車の俗称亅とある。今のJRが国鉄時代の通常語の一つであろう。「普通 」に定義のようなものがあるのかは知らない。少なくとも. 各駅停車ではない。.スピードが遅いわけではない。.急行より所要時間が長いわけでもない。
参考 大阪→直江津(北陸本線) /天王寺→新宮(紀勢線) 等に 急行より所要時間が短い普通列車があった。
しかしそれはさておき、今回はずばり「鈍行亅の話である
文字のとうり 鈍 なのである、ゆっくりなのである、のろま、にぶいのである、少し表現をかえれば のんびり 走行なのである。
国鉄時代、鈍行 を時刻表内でさがし全区間乗車を楽しんだ記憶は、今なお鮮明である。そのいくつかの普通列車を記してみれば――――、
*乗車時間 延着時間を含め、23時間40分(上野→青森、奥羽線経由)ダイヤ上22時間45分)
秋田県北部、陣場駅を出て矢立トンネルへ向かうSL重連(前後に一両ずつ)の煙のすごさは表現に尽くし難い。速度は時速20Kmほどだが・・・・。
*走行距離、 最長773km (大阪→八代、山陽線 鹿児島線経由) 東海道線 山陽線牽引機関車 EFー58のトルクのすごさを何度も体感。
*深夜時間帯の停車駅 昼間の急行よりも少ない。
鈍行の仮面を被った怪し普通列車。広島駅出発時の乗車率約6割。
*牽引機関車交換回数 最多6回 (草津→和歌山市 列車番号742)
交換駅 柘植.亀山.多気.新宮.紀伊田辺.御坊
交換機関車 SL2機種 DDー51 DFー50
多気駅にて 機関車交換時、信号保安員だろうか 緑の旗の振り方のかっこい 事この上ない。
同駅機関車交換時間、本ダイヤ中最短 5.5分
*一つの駅の停車時間 最長1時間25分 (紀勢本線上り 紀伊田辺駅 和歌山市→松阪)
利用客途中下車してマーケットで夕食材の買い物。
駅員曰く「以前は停車時間 もう少し長くこの間に銭湯へ行くお客様もいました」。
*毎日満員 別称 出帳夜行列車!
大阪→東京(東海道線)満員のため床に寝る人多数。新聞紙散乱。
東京着午前6時前、利用客の多く、駅傍銭湯へ殺到。ここもまた満員。
1965年頃の国鉄一人旅の記憶、書き綴ればきリがありません。隣席したお客様はもちろん、駅長、駅員、信号保安員、 機関士、車掌、駅弁売りのおばさん等の多くの皆さんから人生の格言のような言葉をたくさんいただきました。今想えば、ただただ感謝です。