《渡来人たちの宴 扶余編》:片山通夫

飛鳥美人の図

 初めにLapiz 2019秋号で「スサノオ追跡」で、スサノオが高天原で大暴れして追放され、地上に降りてきたところまでは書いた。
こうしてみると、スサノオはいわゆる末っ子のわがままという性格がもろに出ているように思えた。その後、日本書紀によると、彼はまっすぐに出雲に降りたわけではなかった。どうも朝鮮半島の新羅の国の曽尸茂梨(そしもり)というところに降り立った。
京都の八坂神社の社伝に「斉明天皇二年(656)高麗の調度副使伊利之使主の来朝にあたって、新羅の牛頭山に坐す素戔鳴尊をまつった」とある。656年というと、まさに白村江の戦いで倭国と百済の連合軍が唐と新羅の連合軍に敗れた頃であり、大勢の兵士や百済人たちが倭国に帰国・亡命してきた混乱の時期だった。勝った新羅にしてもあまり平和な雰囲気ではなかっただろう。まして略奪と焼き討ちに明け暮れた扶余の都は見る影もなかったと思われる。現に奈良や京都の社寺のような当時の遺構はほとんど残っていない。

 筆者は深まりゆく秋の扶余の町を先月(11月半ば)に訪れた。日本書紀の記述と司馬遼太郎氏の街道をゆく「韓(から)の国紀行」に誘われて。
これは「スサノオ追跡」の続編ともいうべき「渡来人たちの宴」である。
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Lapiz2019冬号《編集長が行く》井上脩身編集長

京アニ放火殺人事件現場で犯人像に思いをめぐらす

今年7月に起きた京都アニメーション放火殺人事件の犯行の動機はいまなお定かでない。41歳の容疑者の男性は大きな火傷を負っていて警察の取り調べができていないからだ。だが、その人物像はうすぼんやりではあるが、浮き上がりつつある。京アニ事件が発生したころ、私は関西のある集合住宅で暮らしていた。隣室の40前後の男性が真夜中に物音をたてるので、いつも寝不足だった。近所迷惑なその行動は京アニ事件の容疑者とよく似ており、同事件は他人事と思えなくなった。隣家の男性は私に恨みをいだいていたフシがある。京アニ事件の容疑者は京アニへの恨みをはらそうとしたのだろうか。9月半ば、京都市の事件現場をたずねた。 “Lapiz2019冬号《編集長が行く》井上脩身編集長” の続きを読む

Lapiz2019冬号《東海道・草津宿》井上脩身編集長

和宮の輿が華やかに~3万人の降嫁の列~

10月上旬、京都駅からJR琵琶湖線の電車に乗って彦根方面に向かった。草津あたりで左の窓から比叡山がくっきり見えた。草津から先に行くにしたがって比叡山が遠ざかり、比良山が車窓の景観を占める。ということは、草津はいわば京都の見納めの地ということだ。草津は江戸時代、東海道と中山道の分岐点の宿場として栄えた。京から江戸に下る旅人は、いずれの経路をとるにせよ、草津で比叡山を見つめて都での雅やかな日々を思いめぐらし、これからの長い旅路への不安に心がふさがれるおもいだっただろう。と考えていて、ふと和宮が頭に浮かんだ。第十四代将軍・徳川家茂の御台所になった和宮である。島崎藤村の『夜明け前』に、将軍家に降嫁する和宮一行が馬籠宿を通る様子がえがかれている。和宮は草津から中山道に進んだのだ。和宮は草津で比叡山を見て何を思ったのだろう。私は有吉佐和子の『和宮様御留』(講談社)のページを繰った。 “Lapiz2019冬号《東海道・草津宿》井上脩身編集長” の続きを読む

Lapiz2019冬号《びえんと》井上脩身編集長

令和元年と昭和3年
~共に遠くで軍靴が聞こえる年~

 令和の時代が幕を開けた今年、ラグビーワールドカップでの日本チームの活躍に沸き、来年の東京オリンピックへの期待が高まっている。明るい未来が約束されているかのようだ。そういえるのか。9月24日の毎日新聞夕刊に気になる特集記事が載った。見出しは「今は昭和3年に酷似」とある。昭和3年は西暦でいえば1928年。91年前である。そういえば10月に天皇の即位礼の儀式が行われたが、昭和天皇の即位礼が営まれたのも昭和3年だった。その13年後の1941年に太平洋戦争が始まっている。酷似とは、「戦争前の時代」ということなのであろうか。

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