Lapiz2019冬号《編集長が行く》井上脩身編集長

京アニ放火殺人事件現場で犯人像に思いをめぐらす

今年7月に起きた京都アニメーション放火殺人事件の犯行の動機はいまなお定かでない。41歳の容疑者の男性は大きな火傷を負っていて警察の取り調べができていないからだ。だが、その人物像はうすぼんやりではあるが、浮き上がりつつある。京アニ事件が発生したころ、私は関西のある集合住宅で暮らしていた。隣室の40前後の男性が真夜中に物音をたてるので、いつも寝不足だった。近所迷惑なその行動は京アニ事件の容疑者とよく似ており、同事件は他人事と思えなくなった。隣家の男性は私に恨みをいだいていたフシがある。京アニ事件の容疑者は京アニへの恨みをはらそうとしたのだろうか。9月半ば、京都市の事件現場をたずねた。

アニメ大賞に応募の同性同名者

事件が起きたのは7月18日。報道によると午前10時半ごろ、京都市伏見区の京都アニメーション第一スタジオ(鉄筋3階建て、延べ700平方メートル)の玄関から容疑者が入り、「死ね」と叫んでガソリンをまいたうえライターで火をつけて放火。容疑者は逃走したが、同社従業員らが追跡。約100メートル先の路上で、駆け付けた警察官に身柄を確保された。

この放火によって同スタジオは全焼。当時、役員や従業員約70人が勤務しており、現場で33人の死亡が確認、36人が病院に搬送された。その後3人が死亡し、負傷者は33人になった(10月30日現在)。

容疑者も全身にやけどを負い、意識不明の状態が続いたが、約3週間後、「痛い」と声をあげたという。9月には重篤を脱したと伝えられている。

京都アニメーション(本社・京都府宇治市)は1985年8月に設立された。創設者の八田陽子氏は手塚治虫に師事し、旧虫プロで仕上げの経験を積んだといわれる。1987年、タツノコプロ制作のテレビアニメ『赤い光弾ジリオン』で実質的に制作をするようになり、90年代には演出、作画、仕上げ、背景、撮影などを自前でつくるようになる。2005年の『AIR』が「他を圧倒する巧みな演出」と高く評価され、京アニはブランド化した。

さらに、『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)、『らき☆すた』(2007年)、『CLANND』(同)、『けいおん‼』(3009年)などを制作し、アニメ界の不動での地位を築く。

その後は、『日常』(2011年)、『氷菓』(2012年)、『たこまこまーけっと』(2013年)、『Free!』(2013年)、『響け!ユーフォニアム』(2015年)などのヒット作を出し、アニメ映画として、『映画 聲の形』(2016年)、『リズと青い鳥』(2018年)を送り出している。

2009年、第1回京都アニメーション大賞を設けて作品を募集。2011年にはKAエスマ文庫レーベルを立ち上げ、第1回アニメ大賞小説部門奨励賞の『中二病でも恋がしたい!』を文庫本化した。

同大賞について、今年は第11回の作品を募集。その要項によると、A4判用紙に縦書き42字×34字で50~150枚(手書きの場合、400字詰め原稿用紙178~536枚)という長編作品を求めている。

容疑者はスタジオから逃げるとき、「殺してやる。おれの小説ぱくりやがった」などとわめいたという。容疑者と同性同名、住所も一致する人物からアニメ大賞に作品を応募していたことを同社の代理人弁護士が明らかにしており、容疑者が同大賞に応募したことはまぎれもない。

近隣トラブル起こす容疑者

アニメ大賞に応募したと思われる容疑者はどのような人物なのだろう。

報道によると、幼少期に両親が離婚、父親に引き取られた。さいたま市内の公立小学校時代は柔道クラブに入っていた。埼玉県立高校の定時制に通いながら、1995年から3年間、同県文書課に勤務。98年に高校を卒業した後、同県春日部市に転居、コンビニでアルバイトをしていた。20歳のころに父親が死亡し、栃木県内の工場に派遣従業員として働いたが、2008年のリーマン・ショックで契約を打ち切られ、2010年から2年間、茨城県常総市の雇用促進住宅で一人暮らしをした。ここで音楽を大音響で鳴らす、壁をたたく、深夜に目覚まし時計を鳴らすなどして、近隣住民との間で騒音トラブルを重ねていた。

2012年6月、同県坂東市のコンビニで強盗事件を起こした。「仕事上で理不尽な扱いを受け、社会で暮らすのに嫌気がさした」と供述。水戸地検の取り調べのさい、「小説を書いている。小説をめぐって家族との関係が悪くなった」とも語った。また2008年に7人が死んだ秋葉原無差別殺傷事件の犯人について「同じ心境だ」と述べた。

2012年9月、水戸地裁下妻支部で懲役3年6月の判決を受けた。服役を終えた後は国の「特別調整」の対象となり、埼玉県内の生活保護施設に半年間いた。

2016年7月から生活保護を受けて、さいたま市のアパートで一人暮らしをはじめる。アパートの住民から「部屋から騒音が聞こえる」と通報があり、警察官が容疑者を指導したという。隣家の住民は「(容疑者が)どこかの騒音を、当方の騒音と勘違いしてインターホンを鳴らしたことがあった。『騒音はうちじゃない』というと、『黙れ、殺すぞ、こっちは余裕がないんだ』と叫び、胸倉をつかんで髪の毛を引っ張られた」と証言。別の住民は、容疑者の部屋からの騒音について「壁が揺れるほどだった」と述べている。その一方で、顔を合わせると「お疲れさまでした」といたわりを見せる一面もあった。

アパートはJR大宮駅北東3キロのところにあり、今年3月、「ドン、ドン、ドン」という大きな音が響くなど、2年間で警察への通報は5回に及んだ。住民の一人は「ひきこもっているのかな」と思ったという。(以上は毎日新聞の記事より)

京アニ容疑者と隣人の共通点

報道による京アニ事件容疑者像は私の隣家の中年男性とよく似ている。ということはすでに述べたが、新聞で容疑者像が伝えられるたび、隣人を思いうかべ、騒音トラウマ状態に陥った。

関西の集合住宅に転居したのは今年の春だ。引っ越しの挨拶のためにインターホンを鳴らすと、中年男性がドアを開けた。平日の昼下がりに男性が出てきたのには少し驚いた。彼はひとことも物をいわず、挨拶の品である台所用品をうけとった。どうにも付き合いにくい人だと感じた。気配から一人暮らしとわかった。

数日後、家の前ですれ違うと、「こんにちは」と声をかけてくれた。付き合いにくい人というのは偏見だったか、と後悔した。

1週間後、「使わないので」と台所用品を返しにきた。その時、彼は「ぼくの部屋を見ますか」といった。中年男性がどのように一人暮らしをしているのか、見てみたいと思った。彼の後についてドアの中に入ってあ然とした。3DKのどの部屋にも、ごみを入れたビニール袋が山積みになっている。炊事場にはなべ類や食器類が見当たらない。台所用品は要らないというのはこういうことか、と愕然とした。

彼は「子どものころ、父親が女をつくった」という意味のことを、言葉通りに表現することをはばかれるほど猥雑に語った。その時の、目をきっとつりあげる彼の表情から、父親を憎みに憎んで生きてきたことがうかがえた。

どういうつもりだったのだろう。彼は和室に案内してくれた。タバコの吸い殻が数十個も畳のうえにばらまかれている。灰皿代わりの空き缶がいっぱいになったので、畳のうえに捨てたようだ。畳が一部焦げている。「火事になるではないか」と身震いした。その足で大家さんに状況を報告、「どうみても賃貸借契約の重大な違反。契約解除理由になるはずだ」と述べた。

その夜から彼は物音をたてるようになった。決まって午前2時ごろから何かの荷物をどんと落としたり、壁をたたいたりする。やがて静かになり、やれやれと眠りについたのを見透かしたように、今度は大きな声でわけのわからないことをわめきだす。こんなことが4時ごろまでつづく。

これが連日だ。二十数年ぶりに耳栓を買ってきて、耳にあてて寝てみたが、また物音をたてるのではないか、と不安が先にたってとても眠れない。思えばノイローゼになりかかっていたのだ。

ある日、市の福祉関係の職員と思われる白ワイシャツにネクタイ姿の男性二人が彼のところを訪ねてきた。やがて彼は入院した。大家さんは「これまでにも何度か病院に入っている。おそらく1カ月の入院だろう」という。大家さんの予想通り、1カ月足らずで退院。1週間ほどおとなしくしていたが、やはり深夜の騒音症は治っていなかった。

ある日の早朝、彼はベランダであぐらを組み、父親の女の一件をぶつぶつと言いだした。彼のベランダには携帯コンロが置かれている。ふと不安になって仕切り板のすき間から様子をうかがった。彼はそれに気づき、血相をかえて怒鳴りこんできた。こうもり傘を手にして、「お前は刑事か、どこの刑事なんや」と叫ぶ。大家さんがとんできたので彼は引き下がった。

大家さんの話では、過去に暴力事件を起こし、警察のやっかいになったそうだ。その日、私の家の前に、おでん用と思われる大根に煮物がまき散らされていた。彼なりの脅迫行為であろうか。あるいは暴力行為の予告であろうか。私はこの住宅を出ることにした。

隣人の男性は機嫌のいい時はいろいろな話をしてくれた。中学生のころは野球選手でショートを守っていたという。彼は大柄だ。「体が大きいからいいバッターだったんじゃないの?」というと、ニコッとわらった。きっと素直ないい少年だったのだろう。京アニの容疑者は小学校のとき柔道をしていたという。彼も黒帯をめざして頑張っていたに違いない。

ほかにも二人には一致点が少なからずある。京アニ容疑者は強盗事件を、隣人は暴力事件を起こしている(こちらは裁判ざたには至っていないが)。いずれも40歳後、生活保護を受けて一人で暮らしている。そして、近隣の人たちに騒音で迷惑をかける。

京アニ事件からしばらく後、市の関係者数人が隣人の部屋に入り込んで、長い間話しこんでいた。以前はドアのところで様子を見るだけだ。京アニ事件で明らかに市の態度が変わったのだ。京アニ事件容疑者と共通点が多いことから緊急措置が必要と判断したのかもしれない。やがて彼は入院させられ、住宅からも出ていくことになった。

皮肉なことに、相前後して私も集合住宅を出てしまった。彼を追い出したのが私ではないことを証明した形だ。

アニメ小説の中二病

9月中旬に京アニ事件現場を訪ねたことはすでに触れた。現場は京阪電車六地蔵駅から歩いて3、4分の住宅街の一角。すぐ近くに路線バスの車庫がある。事件後、献花台が設置されて全国からアニメファンが献花にやってきたが、私が訪ねたときは献花台は外され、スタジオビルの前は板囲いがされていた。

屋上で数人が何かを調べている様子が見てとれた。板囲いの前に立つガードマンが「入ってはダメ」と手で示した。若い中国人男性数人のグループがビルの周りを歩いていた。京アニのアニメは世界中で人気を得ていると聞いていた。なるほど、と実感した。実際、世界中から京アニ支援の義援金が寄せられ、9月20日現在で25億円以上にのぼったという。

アニメは21世紀の日本が世界に誇る最高の芸術といわれており、2004年5月、アニメなどの日本のソフトの保護、育成に官民一体で取り組むことを目的としたコンテンツ法が成立。これと呼応する形で、すでに述べたように京アニは2005年の『AIR』で高い評価を得て橋頭堡を築き、2008年のリーマン・ショック後も次々に人気作品を送り出してきた。京アニはAI時代のアニメ界の騎手なのだ。

ある社会に光が当たれば、その光を妬み、恨む者は必ずいる。京アニ事件の容疑者が京アニを妬み、恨んでいたのはその言動からまぎれもない。その心の中を探ってみたいと思った。

彼がアニメにどの程度関心を持っていたかは定かでないが、彼の子どものころ『美味しんぼ』や『YAWARA』などのアニメが人気を博していた。彼がアニメっ子なら京アニに関心を持たなかったはずはない。KAエスマ文庫本になった京アニの第1回アニメ大賞の奨励賞作品、『中二病でも恋がしたい!』も読んだだろう。

この作品の筆者は虎虎(とらこ)。文庫の表紙などのイラストを描いたのは逢坂望美さん。彼女は2012年に京アニを退社している。

「中学のやつらがあまり進学しないような、割と偏差値の高い」高校の1年生の富樫勇太が、同じクラスの小鳥遊六花(たかなし・りっか)に恋をする、という物語。勇太は元中二病患者、六花は現中二病患者という設定。

中二病というのは、「思春期に誰もが経験する生理的、精神的な病気ではなく、もっと痛々しい病気」で、「自意識過剰な思い込みで自分には未知の力があると信じているやつら」がかかる病気。勇太は中二病当時「自分には力や能力がある」と信じていたが、高校に入ってから中二病が治った、と思っている。アパートで一人暮らしをしている六花はいつも片目に眼帯をつけていて、「お父さんは魔界に行ったまま帰ってこない」と、自分も魔界に行きたがる。

六花にとって魔界はお父さんがいる所だという。それが私にはよくわからない。中二病が「自分には力や能力がある」と思い込むことなら、六花はお父さんのいる魔界に行ける力があると思う病にかかっているということなのであろうか。一方勇太は「俺もさ、中学校の頃さ。影が薄くて。俺、こんなに影が薄い人間なのはこっち側の世界の人間じゃないからじゃないか? とか思って魔界に行ってみたいと思ったことがあるんだ」という。勇太にとって魔界とはこっち側の世界でない世界というのだ。二人を合わせると、魔界は「こちら側でないお父さんがいる世界」になる。どうやらこれが感覚的にわかるかどうかは、こちら側の世界の人間と魔界に行きたい人間との差のようだ。

京アニ事件容疑者がこの小説を読んだとしたら、六花が、お父さんがいる魔界に行きたいと思うことに同感したにちがいない。父親が好きな六花。父親が亡くなった後生活が乱れたといわれる京アニ事件容疑者。ともに父親不在によって心に穴が開いた。こうしたことから、容疑者もアニメーション大賞を目指して小説を書き出したのかもしれない。

だが、大賞を射止めるのが容易でないことは誰だって知っている。落選したことが放火殺人の動機とみるのは無理があるだろう。さらに別の理由が加わっていたはずだ。

秋葉原無差別殺傷事件

容疑者が秋葉原無差別殺傷事件の犯人と同じ心境と述べたことはすでに触れた。ふと、この心境に犯行動機を探るヒントが隠されているかもしれないという気がした。

秋葉原傷事件は2008年6月8日に発生。東京・千代田区神田の交差点に元派遣社員の男(25歳)の運転するトラックが赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。元派遣社員はトラックを降りてナイフで通行人を次々に刺し、駆け付けた警察官に取り押さえられた。この事件で7人が死亡、10人が負傷し、2015年、元派遣社員の死刑が最高裁で確定。2016年、元派遣社員は再審を請求している。

元派遣社員は「負け組は生まれながらにして負け組なのです。まずそれに気づきましょう。そして受け入れましょう」と語ったといわれている。

彼は「生まれながらの負け組」どころか、青森県トップの進学校に進んでいる。むしろ「勝ち組」というべきだろう。勝ち組が負け組ぶるとはどういうことだろう。

『中二病でも恋がしたい!』の勇太と六花の高校も「割と偏差値が高い」のだから、どちらかと言えば「勝ち組」だ。勝ち組の中の影が薄い彼らは、「自分には未知の世界があるはずだ」と思い込む。彼らにとって未知の世界は魔界の世界であることはすでに触れた。

秋葉原事件犯人の「生まれながらにして負け組」という自意識は、『中二病でも恋がしたい!』の主人公の「勝ち組の中の影の薄さ」なかで、「魔界の世界に行く力がある」と思い込むことと相通じるように思われる。京アニ事件容疑者もそうだといえる証拠はない。ただ、かなりの原稿両を要するアニメーション大賞に応募していたならば、それ相応の文章力を持っていたことを意味し、国語力だけでいえば決して負け組とはいえなかったことを表す。「生まれながらにして負け組」への共感が、「魔界の世界に行く力」への思い込みになったと言えるのかもしれない。

しかし、事件を起こすには引き金があるはずだ。

京アニ事件に関しては、昨年9月から11月にかけて、インターネット上で「爆発物もって京アニに突っ込む」「無差別テロ」「2012年にムショに行く」などの書き込みがあったという。相当の恨みをもっていたことの証左であろう。この報道に私は隣家住人の恨みの目を思い出した。仕切り板のすき間から覗き見たという理由で怒鳴り込んできたときの、血走らせながらギリギリッと射こむような目。きーっと吊り上がった眉、ぎじぎじっと握る拳――。私が「覗こうとしたわけではない」などと抗弁すればするほど、彼の肩はぐぐーッと張り上がる。そして彼は犯行予告もどきの行動にうって出た。

もし彼が強制的に入院させられず、私も集合住宅をでなければ、彼は魔界の世界に一歩踏み込んだかもしれない。

おそらく京アニ事件の容疑者の心の中で、恨みという火薬が日増しに熱を帯び、心の壁を突き破って破裂したのであろう。その心の中を覗き見られる何かがあったのかもしれない。全くの想像だが、小説を書いているところを誰かに覗かれて、ばかにされているように錯覚すれば、一気に恨みの火薬が炸裂するだろう。

格差社会の負け組

1991年のバブル崩壊後、雇用状況は急激に悪化、格差が広がって中間層が喪失し、「勝ち組」、「負け組」が一般用語になった。「負け組」にはリーマン・ショックという追い討ちがかかり、生活のためにパートタイマーや派遣労働など非正規労働に従事せざるを得なくなった。

京アニ事件容疑者もバブル崩壊後に高校を出て、派遣従業員などで働いたが、やはりリーマン・ショックのダメージを被っている。

トランプ氏がアメリカの大統領になり、「アメリカファースト」と唱えて南米移民排斥策を取り出したのを機に、世界中で格差が拡大している。トランプ大統領と仲よしであると自認する安倍晋三首相の日本でも一層格差が広がる傾向だ。こうした政策をとる限り、「生まれながらにして負け組」と自嘲する人が今後一層増えるだろう。そうしたなかから、「勝ち組」のキラキラ星を恨んで、「魔界の世界に行こう」と、「こちら川の世界」では絶対に許されない行動を取る人が出てくることは大いにあり得るのだ。

京アニ事件は二度と起きてはならない。ではどうすればいいのだろう。

『中二病でも恋がしたい!』では、六花の中二病は勇太に愛されることで治った。そうした人と人との温かみのある絆は、「カネがすべて」と言わんばかりの経済至上主義社会のなかで忘れられつつある。かてて加えて格差分断社会である。今のところ有効な対策が見たらない。京アニ事件は21世紀の我が国の縮図なのである。(写真などは本誌をご覧ください)

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