連載コラム/日本の島できごと事典 その7《メガソーラー》渡辺幸重

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宇久島_ 寺島_ 再生エネルギー基地

気候変動が問題になり、日本政府もやっと2050年カーボンニュートラルを宣言し、自然再生エネルギー政策を口にし始めました。一方、自然再生といえども巨大施設は環境破壊につながることが問題になっています。
地理的には五島列島、行政的には平戸諸島という有人島に2,179人(2015年)が住む宇久島(うくじま)があります。宇久島は「平成の大合併」で佐世保市になりましたが、人口は10年間に3分の1が減少し、この大合併で旧役場があった島で大幅人口減があった代表事例とされているところです。
そこに出力2,000キロワットの風車を50基設置する風力発電所と、島の4割の面積を使い、総出力480メガワットの大規模太陽光発電所(メガソーラー)という2つの再生可能エネルギー事業計画が持ちこまれました。風力発電所は国内有数の規模、メガソーラーはソーラーパネル約150万枚を設置する日本最大級のものです。これが実現すると、島の景観や地域社会はがらりと変わるでしょう。行政と業者は計画を進めていますが、住民や漁協などには自然環境や住環境の変化、景観の悪化などに対する危惧があり、十分な合意形成ができていないのが現状です。2020年12月には、反対派住民がメガソーラー建設事業に関して佐世保市が出した公園敷地の使用許可の取り消しを求め、監査請求を出しました。日本自然保護協会は両計画に対して「自然環境や文化環境を壊して小さな島を発電施設で埋め尽くす必要が本当にあるのか」と問題を指摘し、反対しています。
自然再生エネルギー事業はいいものだと思い込みがちですが、巨大開発は人間にも自然にも後戻りできない大きな環境変化を押しつけます。本来の「グリーン・リカバリー」なら地産地消ができる小規模施設を必要な分だけ作るという抑制が必要です。
宇久島は「五島富士」の異名をもつ城ヶ岳があり、韓国・済州島も眺望できる風光明媚な島です。近くの小値賀(おぢか)諸島も含め西海国立公園になっており、島を黒いパネルで覆うのは島を犠牲にする政策としか思えません。

 

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連載コラム/日本の島できごと事典 その6《“超速”隆起珊瑚礁》渡辺幸重

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鹿児島市から南南西約365km、奄美大島の東に浮かぶ喜界島

隆起珊瑚礁の島はたくさんありますが、鹿児島市から南南西約365km、奄美大島の東に浮かぶ喜界島はその隆起速度が速いことで世界的に知られています。
喜界島の地形は台地状で、標高約200mの「百之台」は約12万年前に形成された珊瑚礁といわれてきました。すなわち、12万年前に海面すれすれにできた珊瑚礁がいまは海面から200m高い位置まで隆起したということになります。ざっと計算すると平均で1,000年に1.7m持ち上がったことになります。これは世界でも三本の指に入るくらいの“超速”だといいます。ところが、その後の研究で「百之台」の珊瑚礁段丘は10万年前に形成されたという新解釈が出てきました。その時代の海面は現在より14m低かったので10万年で約214m隆起したことになります。厳密に言うと、喜界島の最高点は214mなので、約230mの隆起かもしれません。いずれにしても喜界島の平均隆起速度は1,000年に2mを超えるレベルになりました。
喜界島は過去7,000年間に少なくとも4回の隆起活動がありました。1000~2000年周期で隆起しており、最近では約1400年前のできごとです。隆起活動が活発な時期にはさらに“超速”だったことになります。
喜界島は10万年前から現在までの珊瑚の化石が積み重なった島なのです。10万年間、隆起するたびに島の周りにサンゴ礁が広がり、また隆起する、ということを繰り返してきました。世界中の珊瑚礁研究者から“珊瑚礁研究の聖地”“奇跡の島”と呼ばれており、島内にはNPO法人「喜界島サンゴ礁科学研究所」があります。
百之台にある芝生の広場が「七島鼻」と呼ばれ、第二次世界大戦中には旧日本軍の電波探知(レーダー)基地がありました。いまはパラグライダーの離陸場として利用され、現代人が10万年前の珊瑚礁を蹴って大空を舞っています。

渡辺幸重
1951年、鹿児島県屋久島生まれ。新聞記者、予備校・塾講師、教育コンサルタント、編集プロダクション経営、大学教員などを経て、ジャーナリスト。「島と海」をライフワークとし、環境、地域、人権、教育、情報社会の問題などに取り組んでいる。

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連載コラム/日本の島できごと事典 その5《与論小唄》フリージャーナリスト 渡辺幸重

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与論島は鹿児島県最南端の島で、沖縄復帰前は4月28日の沖縄デーに与論島と沖縄島から船が出て北緯27度線の海上集会で「復帰要求沖縄県民大会」が開かれました。当時は観光ブームに沸いていた与論島ですが、薩摩藩政時代からたびたび疫病の流行や台風、火災などにより多数の死者が出る飢饉を経験してきました。1899 年(明治32 年)から九州島への集団移住が始まったのも前年に襲来した猛烈な台風による被害が引き金になっています。多くの人が石炭の積込み労働者として島原半島南端の口之津(長崎県)に移住し、その後大牟田市三池に転住しました。三池炭鉱の与論島出身者集落には多いときには1,200人を超える人口があったといいます。三池では与論島出身者は過酷な労働と低賃金下に置かれ、「与論人(ヨーロン)」と呼ばれて朝鮮人労働者と同様のひどい差別を受けました。 “連載コラム/日本の島できごと事典 その5《与論小唄》フリージャーナリスト 渡辺幸重” の続きを読む

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コラム/日本の島できごと事典《うな太郎》フリージャーナリスト 渡辺幸重

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[日本の島できごと事典(その4)]うな太郎

うな太郎の墓 写真はインターネットから

長崎県の南西部・野母半島(長崎半島)の先端近くに樺(かば)島があります。オオウナギの「8代目うな太郎」はそこの古井戸に棲んでいました。残念ながら2011年(平成23年)に推定30歳で死亡しましたが、体長は1.6m1.8mとも)、胴回りは47cm、体重は12.6kgあったそうです。井戸の脇にうな太郎の墓があります。この古井戸は「オオウナギ生息地の北限」として1923年(大正12年)に国の天然記念物に指定されました。しかし和歌山県や徳島県などでもオオウナギが国の天然記念物になっているので、いまでは北限とはいえないようですが、オオウナギは鹿児島県南部以南に生息する熱帯性の生き物なので珍しいといえます。 “コラム/日本の島できごと事典《うな太郎》フリージャーナリスト 渡辺幸重” の続きを読む

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コラム/日本の島できごと事典《水俣病》フリージャーナリスト 渡辺幸重

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[日本の島できごと事典(その3)]水俣病

九州島・水俣湾はメチル水銀に汚染され、1958年(昭和33年)8月から1997年(平成9年)10月までの39年間、封鎖されました。汚染魚が外海に出ないように全長4,400mの大型仕切り網で封鎖線を張ったのです。水俣湾の入り口にある恋路島も閉じ込められました。水俣港では大規模な埋め立てでメチル水銀を閉じ込め、浚渫で汚染土をさらいました。 “公害の原点”といわれ、第二水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病と並ぶ日本の4大公害病のひとつ・水俣病の一側面です。恋路島は合戦に出陣した薩摩の武将の妻が夫を想って石を積んだと伝わる無人島で、水俣市は恋路島とその周辺海域を水俣の自然再生のシンボルとして自然体験ツアーなどを催していますが、水俣病患者の苦しみはいまでも続いています。 “コラム/日本の島できごと事典《水俣病》フリージャーナリスト 渡辺幸重” の続きを読む

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