びえんと《川柳人・鶴彬の反戦魂002》文・井上脩身

戦時下俳句の証言

五七五といえば一般的にはまず俳句を思い浮かべるだろう。柄井川柳の名前を知る人は少ないが、芭蕉を知らない人はまずいない。では反戦俳句を詠んだ例はあるだろうか。
『戦時下俳句の証言』(高崎隆治著、新日本新書)を開いてみた。
同書は日中戦争開始から太平洋戦争の敗戦までの間に発表された俳句の中から約150点を収録、それぞれの句を著者が注釈している。戦地編と内地編に分けて編成されていて、残忍な句が多いのは、当然のことながら戦地編だ。目に留まった句を挙げる。(カッコ内は著者の注釈から引用)

童子死ねり浅き散兵壕に寄り
(童子は中国の少年兵。15歳前後。日中戦争当初から最前線で戦った)

憎しみもなく首を打つ日寒く
(中国兵の捕虜を日本刀で切った。しかし切ったのは作者ではない)

いま兵が死にゆく暖炉すでに消え
(作者は残された衛生兵。死ぬ者のために暖炉は必要ない)

忍従の兵這ひ泥土馬を喰ふ
(泥濘の中での言語に絶する苦闘)

一本の煙草吸ひ終へず睡魔くる
(極限状態の露営の句)

戦ひの下けふも生きて凍飯(こごり)食ひにけり
(飯盒飯が凍ると箸を突き立てることもできない)

兵かなし夢にふるさと見んと言ひぬ
(妻子ある年配の応召兵の作か)

戦友を焼くことに馴れゐて寒かりき
(遺体を焼きながら自分の運命に涙する)

冬の日や灰に残れる妻の文字
(行軍が苦しく、所持品を軽くするため妻の手紙を焼いた)

蠅が吸ふ捕虜の眼二つとも撃たれ
(目が見えず捕虜となった兵の目にたかるハエ)

灯(ひとも)せば火蛾より先に来る敵機
(制空権を完全に失った南方戦線)

たたかひは蠅と屍をのこしすすむ
(兵士の糞便と死体でハエが何万倍も増える)

酷熱の野を行く骨と皮の民
(近隣諸国の人々は日本の過去を許していない)

凍死人日ごと衣をはがれゐし
(上海での1939、40年ころの凍死者は年に2万人におよんだ)

これらの句は戦争のもつ非情さ、無残さを詠んだ秀句であろう。本のタイトル通り、歴史の証言でもある。この意味で非常に価値高い作品ではあるが、読み手を圧倒する迫力では鶴彬の川柳作品にはかなわない。芭蕉から正岡子規、高浜虚子らに至る俳句の流れをみると、作品にはいずれも気品があふれている。人間を将棋のコマよりも軽く扱う戦争という残酷な現実を表すのに、俳句は本質的に向いていないのであろうか。
川柳が俳句の半分でも浸透していたら、「戦時下川柳の証言」という本が生まれたかもしれない。

「新しい戦前」のなかで

本稿は『反戦川柳人鶴彬の獄死』という新刊本の書評を引用して書きはじめた。書評氏が「『新しい戦前』とも言われる時代に何ができるか、すべきかを考えさせられる」と結んだことはすでに触れた。
鶴彬が獄死したのは1938年。敗戦の7年前に当たり、まさに戦前、反戦川柳作家として精力的にかつ果敢に活動したのである。同書の著者、佐高信氏は「1910年の大逆時代を皮切りに、鶴の生きた時代をたどれば、それはそのままファシズム激化の時代である」と述べ、「1938年の国家総動員法の年に鶴はその生涯にピリオドを打たれる」と書く。鶴の死後、戦争は拡大の一途をたどり、210万人もが命を落とす悲惨な結末を迎えた。

「新しい戦前」と呼ばれるいま、鶴が獄死したころと似た状況にあるのだろうか。
まず踏まえておかねばならないのは「戦後」とは何かである。
私は1946年11月3日の憲法発布(施行は1947年5月3日)から戦後が始まると考えている。その憲法の根本は絶対に戦争をしないという決意である。戦争によって日本国内だけでなくアジアの人たちを悲劇の渦の中に巻きこんだ戦前・戦中という暗黒時代の反省から、国民の支持を得て生まれたのが憲法なのである。
政府は2022年12月、国家安全保障戦略の中に敵基地攻撃能力の保有を明記した。岸田文雄首相は北朝鮮や中国を念頭に、「わが国周辺のミサイル能力が向上しており、相手からのさらなる武力攻撃を防ぐために敵基地攻撃能力が必要」と説明、2113億円をかけてアメリカで開発された巡航ミサイル、トマホークを配備することを決定。2027年度までに防衛費を43兆円と現行の1・57倍に増額すると表明した。

安倍晋三政権下、憲法9条を強引に拡大解釈し集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした。ひどい憲法違反決定であるが、それでも一応、「自衛」という名目だけは残していた。「敵基地攻撃能力」は自衛すらもかなぐり捨て、積極的に相手を攻撃しようというものである。もはや憲法はなきものと言っても過言ではない。鶴が獄死したのは日中戦争が始まって2年目である。現在、中国とは戦争状態にはないが、岸田首相は繰り返し、中国の軍事行動について「深刻な懸念」と表明しており、日中間の軍事的緊張感は強まるばかりである。

実際に戦争が起きると、「万歳とあげて行った」ものの、「手と足をもいだ丸太」になるのだ。今できることは何か。川柳をかじったことのある一人として、鶴彬の川柳を少しでも多くの人たちに紹介し、読んでもらうことだろう。

本稿を自作の川柳句で締めくくりたい。

税金が上がる軍靴の音上がる       (完)