写真散歩・石の風景《奥入瀬の流れ》片山通夫

奥入瀬(おいらせ):奥入瀬渓流は、青森県十和田市の十和田湖東岸の子ノ口から北東に、焼山までの約14kmにわたる奥入瀬川の渓流である。十和田八幡平国立公園に属する。国指定の特別名勝及び天然記念物。

この時三脚を思っていなかった。いささかぶれた写真になってしまった。流れを流れるままに撮ろうとして・・・。

写真散歩・石の風景《不来方の城》片山通夫

 

同じく岩手県盛岡城址。

 

 

その昔石川啄木が歌った。
来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心

不来方(こずかた)は、現在の岩手県盛岡市を指し示す言葉である。「盛岡」が都市名として使われ始めた時期については諸説あるが、「不来方」は、少なくとも570年の間存在する由緒ある名であることから、現在、盛岡の雅称として使われることがある。南部氏による開府当時、居城名も「不来方城」であり、この時、都市名として「盛岡」という地名は存在しなかった。

 

写真散歩・石の風景《石舞台》片山通夫

石舞台 明日香村

昔から(何時の頃なのかは忘れたが)石を見ると撮りたくなっていた。石とは岩石の小片。岩よりも小さく、砂よりも大きなものだという。なんとも味気ない解説だ。
そんな石を撮ってきたのでいくつか紹介したい。まず最初は太古の昔からでんと据えられていたその名も明日香の「石舞台」。

石舞台古墳は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。国の特別史跡に指定されている。 元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。 ウィキペディア

Lapiz22夏号Vol.42 写真散歩《周山街道界隈》片山通夫

日本中に〇〇街道といわれる街道がそこここにある。歴史的な事柄から呼び名がつけられた場合もあり、地名がそのままその名になった場合もあるようだ。京都市街地から周山街道 (国道 162号線) が通じ、京都市右京区中部の地区。 地名は明智光秀が築いた城を中国の周の武王の故事にならい周山城と名づけたことに由来。 大堰川と弓削川 (ゆげがわ) の合流地点に位置する。周山街道は北山杉の生産地でもあり、神護寺や鳥獣戯画で有名な高山寺が街道沿いにある。山國神社は、由緒に「第50代垣武天皇延暦年中平安遷都(794)に当たり大内裏御造営の木材を山国の郷より徴せられ此の郷を御杣料地として定め大工寮修理職の官人として本殿を御造営せられ祭主として和気清麿呂公(733~799)が奉仕せられた」とある。