徒然の章《「稲むらの火」の広川町を訪ねて》中務敦行

いなむらの火祭り

「稲むらの火」という言葉を聞いた方は多いと思う。地震(1854年12月23日朝)がおきた時、広村(現和歌山県・広川村)の人たちは津波を心配して、広八幡神社に避難し、被害がなかったことを喜び合った。全国で2~3000人が犠牲になった。安政の大地震と言われる大災害だ。 “徒然の章《「稲むらの火」の広川町を訪ねて》中務敦行” の続きを読む

徒然の章《花見三昧》中務敦行

コロナ2年の春は駆け足でやってきた。私は日頃頼まれている写真クラブや教室の撮影会も例会、写真展もほとんど中止、昨年以上のようだ。月に半分以上あった予定はほとんどがキャンセル。予定表に残ったのは病院の予約だけという有様。同窓会などの飲み会も平均月一回はあるのだが、これもゼロ。
今年は花も早く咲き、三月からサクラの満開の名所がいっぱい。この春はいっぱい花見をしてやろうとあちこち駆け回った。最近は早咲きで有名な伊豆の名花「河津ザクラ」も2月の終わり頃から咲き始め、京都競馬場近くの川沿いには並木が見事に生長して3月7日には満開だった。
奈良・東吉野村にある高見の郷は山林の杉やヒノキを切り出したあとに、しだれ桜千本を植えたもので、今は見事な花の名所になっている。オーナーが林業に見切りをつけ、植樹した木が大きく育ち桜の名所になったのだ。
日本中、桜の名所だらけだがこれらはほんの一部。コロナの年ならではの人出の少ない花見を楽しんだ。サクラのあともシャクナゲ、ツツジ、カキツバタ・・と楽しんでいる。

 

あれから10年《東日本大震災》中務敦行

気仙沼

東日本大震災から10年がすぎた。2月11日から宮城県気仙沼市を訪ねた。夕方、現地に着いて、旅館に入ると廊下で目を引いたのはふたつの柱時計。正確には時計だったものである。(写真左)

左側には東日本大震災に襲われた時刻、右の時計は津波が押し寄せた時刻を指している。

海に近いこの宿は流されることはなかったが、再建されて新しくなっている。翌朝、街を歩いた。すぐ隣には新しい集合住宅が建てられており、すぐ傍には「・・女子高校の跡地」という表示板がかかっている。今はそこには学校はない。 “あれから10年《東日本大震災》中務敦行” の続きを読む

徒然の章《コロナと付き合った一年》中務敦行

修学旅行や遠足の子供たちで賑っていた東大寺

今年はコロナで明け、コロナで暮れようとしている。例年通り、一月に二つのクラブの写真展を終え、2月からは撮影会の行脚が始まった。しかし感染が広がるにつれて、ほとんどのグループや企業の活動が停止、何もすることがなくなった。 “徒然の章《コロナと付き合った一年》中務敦行” の続きを読む

中務敦行写真展「塔のある風景」本日から開催

LAPIZONLINEで「徒然の章」シリーズでおなじみの中務敦行氏の写真展の案内です。
会場はこちら

 

  このたび、奈良・薬師寺東塔の修復工事が完了したのを機に写真展「塔のある風景」を開催いたします。会期中会場には毎日詰める予定です。コロナ禍の現在、どうか健康に留意されてお越し下さいますよう、よろしくお願いします。なお会期中は会場に詰めております。
                                        中務敦行

会場 富士フィルムフォトサロン大阪
〒541-0053 大阪市中央区本町2-5-7メットライフ本町スクエア1F
TEL 06-6205-8000
会期 2020年10月30日~11月5日 10:00~19:00
入場は終了時間10分前まで。最終日は14:00終了

 

 

徒然の章《コロナに思う》中務敦行

今年は春からコロナ、コロナで明け暮れている。6月にいったん収まったかと思われたのもつかの間、再び全国的に感染者が増えている。この先はどうなるのか、誰にも分からない。私は会社を定年退職後、17年。文化センターや写真クラブで写真の指導をするほか、撮影のバスツァーなども手伝って退屈知らずだったが、この半年間ほとんど何もせずに過ごした。

この間、写真展を4回予定していたが、すべて中止。秋以降に繰り越したもの、中止したものがほとんど、長いものは2年先になったものもある。私の年齢ではたとえコロナにかからなくてもそれまで生きている保証はない。それでも毎日、家でゴロゴロしているわけにも行かないので、所用で3、4月に東京、6月に福岡に用を足しに行った。新幹線は一両に10人あまり、往復のチケットをディスカウントショップで買うと昼夜の食事代が浮いた。ビジネスホテルは普段の半額、車内販売がないのが不便だったが、我慢するしかない。貴重な体験だった。(写真は誰もいない奈良の街)

普段は奈良に住むので外人観光客であふれていた。社寺仏閣に詣で、コロナ退散を祈願した。奈良市の春日大社は今年早々には観光客で賑わい、シカが群れてせんべいをもらっていた。大仏殿に至る道はいろんな国の人たちが我先にと盧舎那仏の前で手を合わせていた。

春、暖かくなって行ったときは写真のように、シカはのんびり座りこみ大仏殿には誰もいなかった。法隆寺では驚いた。東院伽藍への石畳の上には人っ子一人いない。何度も訪れているが、初めての光景だ。

小さな町や村の鎮守さんや、お地蔵さんも数多く訪れ、手を合わせた。きちんと掃除されて花が手向けられている。大木の根元に埋もれるような仏さまもあった。みんな「コロナよ去れ!」叫んでいるように見えた。天理市の大和(おおやまと)神社はこれまでお参りしたことがなかった。電車から見るとずいぶん大きな森が見えるので一度行こうと思っていた。山の辺の道を少し西に歩くと思ったより近い。鳥居から本殿まで270m、長いはずだ。本殿のそばの説明を見ると戦艦大和と同じ長さだという。歩いてみて長さを実感した。

大阪のキタ、ミナミもガラガラだった。一番少ないときは昼を食べるにも初めての店しか開いていないときもあった。

私たち高令者の生活も変わったが、学校へ通う子供たち、校外から都市へ通勤する社会人、あらゆる人の生活が変わった。特に変わったのはリモート勤務だろう。在宅で勤務する人たち、ガランとした職場、パソコンを介しての授業、様々に変化した。今後、コロナのワクチンができ、普段の生活が戻ったとき、生活はどう変わっているだろうか。首都への一極集中は変わらないのか。新学期は秋になるのか、流通はこれまでも変わりつつあったが、このあとどうなるのだろう。いろいろ想像して楽しみにしている。果たしてどのようになっているのか、この目で見なければ、という意欲が出てきた。

中務 敦行 43年 大阪生まれ  58年 大阪府立市岡高校入学、写真部入部 61年 同志社大入学カメラクラブ入部  65年 同志社大卒業 同  読売新聞大阪本社入社、写真部勤務
新聞カメラマンとして、あらゆるジャンルの写真を取材
98年 読売新聞大阪本社写真部長 03年 退職 「健やか写真クラブ」、「奈良市身体障害者写真クラブ・アングル」などの講師 日本風景写真協会監事

中務敦行の《徒然の章》

この夏は暑さ厳しく、10月の下旬になっても夏日が置く、半袖で過ごす日が長く続きました。サクラの開花をめぐっては毎年早くなっているとよく言われます。しかし開花がいつも秋分の日、それも前後1~2日しか狂わないのが、彼岸花でした。
今年、秋分の日の前日(21日)に岐阜県海津市の津屋川を訪れました。ここは土手一面に花が咲く、彼岸花の有名スポットです。(写真上)
ごらんの通り彼岸花は水面近くしか咲いていません。
昨年の23日(秋分の日)の写真(写真下)をご覧ください。
ウメやサクラなど春の花は暖かくなれば咲き、秋の彼岸花は涼しくなれば咲きます。


異常といえば、今年の台風も異常でした。関東から東に大きな台風が二つも上陸し、その被害は甚大でした。
これもあまり記憶にない秋です。
災害も増えてきたようです。新たな対策が望まれます。

徒然の章:中務敦行

 近ごろ、奈良の鹿がポリ袋やプラスチックを食べて救助されたり、死亡したりするニュースが伝えられますが、増えた外人観光客の認識不足や、シカに対する給餌方法などのPR不足も多いと感じます。
かつてはエサ不足で早朝市街地に出てゴミ箱をひっくり返したり、被害も多かったのですが最近はそんな話は聞かなくなりました。

 この夏も異常な暑さが続きます。

 シカにとっても暑さ対策は大変なようで、夕方になると三笠山麓に集まり博物館周辺の木陰は過密状態。小さな池に入ったり藤棚の下に集まったり、観光客にエサをもらったり・・・。

 日没ごろには若草山のふもとにいっぱい集まって、芝生を食べています。そこにはなぜかカラスの群れがきて夕涼みをします。ちょっと面白い風景が見られます。

この夏少し遅い時間にシカを観察されては?