スサノオ追跡《そして渡来人たちの宴が始まった 中 》片山通夫

魏志倭人伝

一方日本書紀によれば、スサノオは高天原で大暴れして追放されて「一書」では新羅の国へ降り立つという。しかしせっかく降り立った新羅の国を「自分のいるところではない」と出雲へ渡る。
新羅の人々からすれば風の又三郎のごとくに忽然と消えたわけだ。
又三郎の父は鉱山で働く人らしい。なんでもモリブデンの採取に従事しているようだ。
一方スサノオは朝鮮半島で鉄器を見た。馬を見た。おそらく様々な植物と一緒に鉄器の技術とそれに携わる人々、馬と乗馬技術なども我が国に伝えた、いやもしかしたら少なくともそれらの情報を持って帰ったのかもしれない。  “スサノオ追跡《そして渡来人たちの宴が始まった 中 》片山通夫” の続きを読む

スサノオ追跡《そして渡来人たちの宴が始まった 上 》片山通夫

 スサノオ追跡から始まって渡来人たちの宴まで、長いだけで脈絡も歴史的証拠もない話もいよいよ終わりになった。
イザナミとイザナギの間に生まれたスサノオはよく知られているように三男坊だった。筆者の偏見でいわせてもらえれば、三男坊は一言でいえばわがままである。甘やかされて育ったせいなのかもしれない。またスサノオのように末っ子の場合猫かわいがりされて育った可能性がある。
特にスサノオは乱暴であったようだ。亡くなったイザナミ、つまり「かーちゃん」に会いたいとわがまま三昧で、高天原で大暴れしたことは日本神話に詳しい。
特に天の斑馬(ふちこま)の皮を「逆剥ぎ(さかはぎ)」に剥がして、服屋(はたや)の屋根に穴をあけてそこから投げ入れたという話で服屋にいた服織女は驚き亡くなったと古事記にある。とんでもない男だ。思うにスサノオは理知的な姉・アマテラスとはかけ離れた存在だった。ガキ大将と学級委員長という役柄がぴったり。 “スサノオ追跡《そして渡来人たちの宴が始まった 上 》片山通夫” の続きを読む

神宿る。《揖屋神社・御神木 椎の木》片山通夫

黄泉の国との境・黄泉平坂

伊弉冉命(いざなみのみこと)を主神として祀る。『日本書紀』斉明天皇5年の条に「又、狗、死人の手臂を言屋社に噛み置けり。」とある「言屋社」、『出雲国風土記』意宇郡の条の在神祇官社「伊布夜社」、『延喜式神名帳』の出雲国意宇郡の「揖屋神社」に比定される。
記紀神話の神産みや大国主の神話に登場する黄泉の国、もしくは根の国(古事記では根之堅洲国)との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の比定地が当社の東方の揖屋町平賀にあり、石碑が建てられている。 “神宿る。《揖屋神社・御神木 椎の木》片山通夫” の続きを読む

宿場町シリーズ《東海道・大津宿》文、写真 井上脩身

琵琶湖の光と風がつつむ街
~医師・山脇東洋の足跡を追って~

山脇東洋が眠る誓願寺

京都の繁華街、新京極を北に上がると、三条通りの手前に誓願寺がある。この寺の墓地に山脇東洋が眠っていることを最近知った。山脇東洋は日本で初めて人体を解剖した江戸中期の医師だ。医学史上、画期的なことをやってのけた男が京の人だったとは、恥ずかしながら知らなかった。山脇東洋はどういう人物だったのだろう。東洋の一代をえがいた林太郎氏の『江戸解剖記――小説・山脇東洋』(なのはな出版)を読んだ。300ページに近い物語のほとんどは、医学への真摯な思いと、世評を恐れない大胆な行動に費やされているが、基本テーマは人体の解剖である。読んでいて心地いいものではない。そんななか、ホッとさせられたのは、東洋が妻延子と伊勢参りにでかける道中話だ。京・三条大橋で子どもたちと別れ、東海道を大津宿に向かう二人。「街道ぞいに咲く花や遠くの景色にこころをうつす」と林氏は、ギスギスした日々から解き放たれた東洋の心の内を表す。新型コロナウイルスの感染拡大にともなう緊急事態宣言が解除されて1週間後の6月初め、私も自粛生活のギスギス感から解放されたい一心で、大津宿への旅を思いたった。 “宿場町シリーズ《東海道・大津宿》文、写真 井上脩身” の続きを読む

OPINION《大東亜戦争という呼称》寄稿 一之瀬 明(年金生活者)

「大東亜戦争第一周年記念」として日本勧業銀行(現:みずほ銀行)が販売した「戦時報国債券」

今年は戦後75年という節目の年だ。節目の年というとなにか特別の感があるが、特に変わったことはなかった。ただ、安倍首相は相も変わらず歴史を顧みる姿勢を、「全国戦没者追悼式」でみせなかった。 大東亜戦争とは、日本と、中華民国、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。東條内閣が、昭和12年7月7日勃発の支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。 “OPINION《大東亜戦争という呼称》寄稿 一之瀬 明(年金生活者)” の続きを読む

編集長が行く ー下ー《暴かれた財務省トップ官僚の不正》文、写真 Lapiz編集長 井上脩身

―森友事件で自殺した役人の怨念の手記―

ワナにはまった籠池前理事長

近畿財務局が入っているビル(ウィキペディより)

赤木氏の手記を報じた「週刊文春」の記事 森友問題にかかわる公文書改ざんが、「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と安倍首相が答弁したことから始まったことは繰り返しふれた。なぜ安倍首相は大見えを切ったのだろうか。その理由がわかれば森友事件のナゾが解けるように思われる。本項ではそのナゾに迫りたい。
『国策不捜査――「森友事件の全貌」』によると、2014年3月4日、籠池前理事長とその妻が昭恵夫人とホテルオークラ東京の割烹料理店で会ったとき、夜の10時になったので、安倍首相から昭恵夫人に携帯電話が入った。元々、この会合には安倍首相も加わることになっていたが、急用ができてドタキャンされていた。首相自身、塚本幼稚園での講演ができなくなってお詫びのはがきを送っていることも併せて考えると、少なくとも昭恵夫人が小学校建設に何らかの形で関わったことは知っていたに違いない。安倍首相に昭恵夫人のかかわりを隠せるという確信がなければ、大見え発言はできなかったはずである。 “編集長が行く ー下ー《暴かれた財務省トップ官僚の不正》文、写真 Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

編集長が行く ー上ー《暴かれた財務省トップ官僚の不正》文、写真 Lapiz編集長 井上脩身

―森友事件で自殺した役人の怨念の手記―


 森友学園への国有地売却を巡る財務省の決済文書改ざん問題で、2018年3月に自殺した近畿財務局上席国有財産管理官、赤木俊夫氏の妻が3月18日、国と佐川宣寿・元国税庁長官に計1億1000万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。併せて妻は、「財務省が国会で真実に反する虚偽の答弁を貫いている」などと詳細につづった夫の手記を公表。この中で森友事件について赤木氏は、「(財務省が)ウソにウソを塗り重ねた」と鋭く指弾している。この提訴が報道されたとき、私は、森友事件の中心人物である籠池泰典・元森友学園理事長が今年2月に著した『国策不捜査――「森友事件の全貌」』(文藝春秋)を読み始めたところだった。籠池前理事長は同学園の小学校建設に関する補助金を不正に受給したとして2017年7月、大阪地検に詐欺容疑で逮捕され、20年2月19日、大阪地裁で懲役5年の実刑判決をうけた。一方、この小学校の用地にかかわって国が不当に安く払い下げたことを隠蔽するために文書改ざんを指示した疑いのある佐川元局長について、大阪地検は2018年5月31日に不起訴処分にしている。赤木氏の手記をみるならば、不起訴が不当であることは明かだ。文書改ざんは、森友問題について、安倍晋三首相が国会で「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と答弁したことから始まっている。赤木氏の命を賭しての怨念の叫びに耳を貸す姿勢すらみせない安倍首相には、人間としての最低限の道義心すらない、というほかない。 “編集長が行く ー上ー《暴かれた財務省トップ官僚の不正》文、写真 Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

三匹が撮る!《群山 廃線の街》片山通夫

「京岩洞(キョンアムドン)廃線の街」。Eマートとアパートの間にある約1キロの廃線に沿って、古い住宅が並んでいる。そこは1950年から70年代のノスタルジックな風景。線路はもともと2.5キロあり、1944年に製紙工場へ原料を運ぶために作られた工場線だったそう。戦後、荒れ果てた工場跡の土地に貧しい人たちが家を建て、現在のような村が誕生。一時は撤去の話が持ち上がったが、今は市が保護を決定するほどの群山を代表する観光名所に。全羅北道全州・群山市

片山 通夫(かたやま みちお)
1944年生まれ、キューバ国営通信を経てフリー。
オフィシャルサイト http://www.609studio.com/

 

 

 

 

片山 通夫(かたやま みちお)
1944年生まれ、キューバ国営通信を経てフリー。
オフィシャルサイト http://www.609studio.com/