Lapiz2023秋号《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身

主要7カ国首脳会議(G7)が5月19日から21日まで広島で行われました。首脳は原爆資料館を見学した後、そろって原爆死没者慰霊碑に献花しました。慰霊碑の向こう建つ原爆ドームを目にして、何を考えたのでしょう。私は実況されているテレビ映像を見て、俳優、吉永小百合さんが朗読した原爆詩「慟哭」を思い浮かべました。子どもを失った母親の悲しみを切々とつづったこの詩のことを首脳たちは知らないにしても、原爆がいかに残忍なものであるかを学んだはずです。ならば核廃絶を目指すのが世界のリーダーであるG7首脳の役割と自覚すべきでしょう。しかし、「核廃絶」という言葉はついに発せられませんでした。

「慟哭」は大平数子さんという女性が、原爆で死んだ二人の息子へのつよいおもいをこめた1番から15番まである長い詩です。1986年からライフワークとして原爆詩の朗読に取り組んでいる吉永さんがよく取り上げる作品の一つです。1番だけを紹介しましょう。

逝ったひとはかえってこれないから
逝ったひとは叫ぶことが出来ないから
逝ったひとはなげくすべがないから

生きのこったひとはどうすればいい
生きのこったひとはなにがわかればいい

生きのこったひとはかなしみをちぎってあるく
生きのこったひとは思い出を凍らせてあるく
生きのこったひとは固定した面(マスク)を抱いてあるく

この詩によると大平さんの息子は泰(長男)と昇二(次男)です。
朗読会の模様がユーチューブで発信されていえるので聴いてみました。「しょうじよう、 やすしよう」と呼びかけるくだりでは、吉永さんは深い悲しみを顔ににじませ、暗く沈んだ声音でうったえかけます。聴衆は悲しみにうちひしがれ、核は無くすべきだとの思いを強くするのです。
私は「慟哭」が『ヒロシマの風』(角川つばさ文庫)に掲載されていると知りました。吉永さんが編集に携わり、「おばあちゃんの願い」という童話と、峠三吉の「ちちをかえせ ははをかえせ」で始まる有名な詩を含め、20編の原爆詩で構成されています。
私は坂本はつみさん(小学3年)の「げんしばくだん」という詩に息をのみました。
げんしばくだんがおちると
ひるがよるになって
人はおばけになる

原爆が投下され、黒い雨がふってきました。直撃された人たちの皮膚はただれて幽霊のような姿になりました。坂本さんは、夜のように暗くなり人はお化けになったと、悪夢のような世界を表しました。子どもならではの感性が原爆の本質をとらえているのです。
首脳たちにこのような鋭敏な感性を期待すべくもありませんが、人間としての普通の感情をもつ政治家であるなら、「核廃絶に踏み込もう」と決意するでしょう。

原爆資料館を再訪したカナダのトルドー首相(ウィキベテアより)

G7は5月19日、「核軍縮に関するG7首脳広島ジョン」を発表しました。「全ての者に安全が損なわれない形での核兵器のない世界の実現」を目標としつつ、「冷戦結成以降に達成された世界の核兵器数の全体的な減少は継続しなければならない」としました。核兵器の減少が現実的課題であるとの認識を示したにすぎず、「核廃絶」を求める被爆者たちをがっかりさせたのでした。
結局、核廃絶への道筋をつけることなく終わったG7ですが、評価する意見もあります。被爆地広島で行われたこと自体、それなりに異議があるとは言えるでしょう。しかし、「何のための広島開催だったの?」と期待外れに肩を落とした人が少なくなかったことも事実なのです。
私たち日本人は広島と長崎に原爆を落とされたときから、「核兵器のない世界」を目標としてきたのです。この78年間はいったい何だったのでしょう。
吉永さんは『ヒロシマの風』のあとがきに「原爆のこと、核兵器のことを知ってほしいと、私は望んでいます」とつづっています。カナダのトルドー首相はG7閉幕後、原爆資料館を個人的に再訪しました。それを吉永さんがどう思ったかの報道はありませんが、私はトルドー首相だけは評価できるように思います。
原爆をふくめ、反戦を訴える詩、俳句は数多くあります。本号では「びえんと」の中で、鶴彬という反戦川柳作家を取り上げました。