百鬼夜行夜話 009「九尾の狐 01」片山通夫

九尾の狐

もとは中国から伝わったようだ。「きゅうびのきつね」と読む。読んで字のごとく尾が9本の妖怪である。

中国では九尾の狐はその姿が確認されることが泰平の世や明君のいる代を示す瑞獣とされる。『周書』や『太平広記』など一部の伝承では天界より遣わされた神獣であるとされる。一般に殷の時代の妲己(だっき)に化けて人の世を惑わすと知られている。このキツネは朝鮮、日本、ベトナムなどにおいて活躍(?)したらしい。美女に化けて惑わすという言い伝えから、タヌキとはその趣が違う。 “百鬼夜行夜話 009「九尾の狐 01」片山通夫” の続きを読む

《渡来人たちの宴・終章》片山通夫

高麗寺跡

渡来人たちの宴
 7世紀の前半、つまり推古朝の飛鳥・斑鳩あたりを中心として栄えた王族や豪族がかかわった渡来人たちが我が国にもたらした仏教という新しい宗教・文化が594年に「仏教興隆の詔」が出され、仏教が政治の基本に捉えられた。百済・高句麗・中国南北朝文化の影響を受けた “《渡来人たちの宴・終章》片山通夫” の続きを読む

《渡来人たちの宴・外伝24》片山通夫

入鹿の首塚

 

蘇我 入鹿 飛鳥時代の豪族。蘇我蝦夷の子。大臣として大和朝廷の有力者であったが、乙巳の変において討たれ、その後蘇我氏が凋落するきっかけとなる。
なんとも血なまぐさい話だ。嘘だと思うが、入鹿が撃たれた現場からその首が飛鳥寺あたりまで飛んだという話が伝わっている。 “《渡来人たちの宴・外伝24》片山通夫” の続きを読む

《渡来人たちの宴・外伝22》片山通夫

馬子外伝
 大邸宅を建て池をしつらえ、その池に島を造ったといわれている馬子。この飛鳥時代の馬子に関した記述は古事記や日本書紀などから得られる。しかし注意しなければならないのは、これらの歴史書が編纂されたのは後年、藤原氏が権力を握ってから編纂されたことである。つまり乙巳の変で曽我氏を滅ぼしたあと、自らの正当性を担保するために編纂され、曽我氏を悪として扱われたという説もあるが、定かではない。さもありなんとも思える。 “《渡来人たちの宴・外伝22》片山通夫” の続きを読む

《渡来人たちの宴・外伝21》片山通夫

仏教伝来

聖徳太子像

 

 

昨日に引き続いて蘇我馬子時代の話。538年に百済から仏教が我が国に伝わった。蘇我馬子が仏教を受け入れるか受け入れないかで物部守屋(もののべのもりや)と対立する。これにも諸説があり、継体天皇時代(在位:507~531)の522年という説がある。 “《渡来人たちの宴・外伝21》片山通夫” の続きを読む