《渡来人たちの宴・外伝 その14》片山通夫

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曽我氏一族

入鹿暗殺の現場跡 板蓋宮跡

石舞台の規模の墳墓を造成させるだけの権力を持っていたと思われる。 曽我氏は飛鳥にその本拠を置いて、曽我稲目から馬子、蝦夷そして入鹿と4代にわたって権勢をほしいままにした。ヤマト朝廷の最高位・大臣を務め、自分の娘を大王の期先として送り込み、そして生まれた子を次代の大王として即位させた。大王家の外戚としての地位を得、わが世の春を謳歌した。今のところ、石舞台は馬子の墓だと思われているが定かではない。 “《渡来人たちの宴・外伝 その14》片山通夫” の続きを読む

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《渡来人たちの宴・外伝 その13》片山通夫

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石舞台古墳

蘇我馬子の墓か?奈良・飛鳥の石舞台

話は少しさかのぼる。飛鳥に大きな石舞台古墳があることは、ご存じだろう。古墳というからには、だれか有力な豪族の埋葬地だと思われている。この時代、まだ大化の改新前の話で、つまり、大王(おおきみ)親政の中央集権以前の時代だと思われる。とにかく大きい。石は大小約30個、最大の石で約77tと推測される。総重量は2300tだという話。本来、土に覆われた小高い丘のようだったと思われるが、なぜか土が流れて玄室が露出してしまったとか。 “《渡来人たちの宴・外伝 その13》片山通夫” の続きを読む

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《渡来人たちの宴・外伝 その11》片山通夫

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遷都にも渡来人が活躍した? 大津京 オンドル跡 

遷都
都を飛鳥から摂津の難波長柄豊碕宮へ遷都したのは大化2年12月のことだった。この時代、遷都するのには相当の訳があった。国土交通省のホームページに下記の記載があったので、転載したい。 “《渡来人たちの宴・外伝 その11》片山通夫” の続きを読む

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《渡来人たちの宴・外伝 その10》片山通夫

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大化の改新 その後

鎌足

 

安定のための血塗られた歴史があった。
 6月19日、孝徳天皇と中大兄皇子は群臣を大槻の樹に集めて「帝道は唯一である」「暴逆(蘇我氏)は誅した。これより後は君に二政なし、臣に二朝なし」と神々に誓った。そして、大化元年に初めて元号を大化と定めた。 “《渡来人たちの宴・外伝 その10》片山通夫” の続きを読む

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