《渡来人たちの宴・外伝24》片山通夫

入鹿の首塚

 

蘇我 入鹿 飛鳥時代の豪族。蘇我蝦夷の子。大臣として大和朝廷の有力者であったが、乙巳の変において討たれ、その後蘇我氏が凋落するきっかけとなる。
なんとも血なまぐさい話だ。嘘だと思うが、入鹿が撃たれた現場からその首が飛鳥寺あたりまで飛んだという話が伝わっている。 入鹿が撃たれた名分は、簡単に言えば、曽我氏から実権を大王に取り戻し律令国家建設を目指したためと思われる。中大兄皇子たちは、蘇我氏が実権を握る政治のままでは、隣の大国、唐には到底かなうはずもなく、もし、唐に攻められたら日本はひとたまりもないという危機感を持っていたためだとしている。(この項続く)