冬の夜の昔話《樺太にわたったコロポックル 2》片山通夫

樺太アイヌの男女(夫婦と思られる)

かつて樺太には樺太アイヌが住んでいた。彼らは筆者の推測だが北海道(蝦夷地)から渡ってきたコロポックルを大切にした。大切にするということは、決してコロポックルの世界には入らないということを意味する。樺太のアイヌの人々はそれを知っていた。
ところでコロポックルはどのような神様なのだろう。まずコロポックルとはアイヌに言葉で「蕗の葉の下の人」という意味である。蕗がいかに大きい蕗であっても、人間の背丈を超えるくらいがほとんどである。おそらく想像だが人間の子供程度ではなかっただろうか。伝説は地域によって差異があり「コロボックルは怠け者でアイヌが彼らに食べ物を与えていた」「コロボックルの手にあった刺青は捕らえたアイヌの人々が奪還を懼れて施したものであって元来からアイヌの風習である」などの変化が見られる。 つまり定説はない。

冬の夜の昔話《樺太にわたったコロポックル》片山通夫

樺太の蕗

北海道・稚内の北にサハリンという島がある。かつて樺太アイヌも住んでいた。北海道でコロポックルの姿を見ようと待ち伏せた若者がいた話は前回した。コロポックルは若者の振る舞いに怒り、北の国へと移動したらしい。北海道の北と言えば、樺太であった。コロポックルの一族はここに居を構えたという。樺太にも北海道と同じような、いやそれよりも大きな蕗が群生している。コロポックルたちは樺太の蕗がいたく気に入ったようで4、その後どこかへ移ったという噂は聞かない。

松浦武四郎作「蕗下コロポックル図」

ちなみにコロポックルとはアイヌの伝承に登場する小人で、アイヌ語で、一般的には「蕗の葉の下の人」という意味であると解される。(ウキペディア)

 

冬の夜の昔話《コロポックルという神様》片山通夫

コロポックルとはアイヌ民族の間で伝えられてきた神様である。神様そのものはカムイと表現するらしい。コロポックルは何となくその音がかわいい。かわいいのは音だけではなさそうだ。北海道には人の背丈を超える蕗が生えるとか・・。その蕗の下にコロポックルは住む。しかし、その姿を見た人はいない。どうして蕗の下に住んでいる皓が分かったのかは謎だ。 “冬の夜の昔話《コロポックルという神様》片山通夫” の続きを読む

冬の夜の昔話《カムイ誕生》片山通夫

写真はイメージ

昔、この世に国も土地もまだ何もない時、ちょうど青海原の中の浮き油のような物ができ、これがやがて火の燃え上がるように、まるで炎が上がるように、立ち昇って空となった。そして後に残った濁ったものが、次第に固まって島(現北海道)となった。島は長い間に大きく固まって島となったのであるが、その内、モヤモヤとした氣が集まって一柱の神(カムイ)が生まれ出た。一方、炎の立つように高く昇ったという清く明るい空の氣からも一柱の神が生まれ、その神が五色の雲に乗って地上に降って来た。(ウイキペディアから)

日本神話の伊弉冉と伊弉諾の話とよく似た話だがアイヌ民族の天地開闢(てんちかいびゃく)と国造り神話である。アイヌの神も大勢おられるようだ。

冬の夜の昔話《神隠し 02》片山通夫

佐脇嵩之『百怪図巻』より「ゆき女」

遠野物語などに出てくる話で不思議なのが神隠しと呼ばれる現象だ。前に書いたようにある場所である人が忽然と姿を消す。ある時は山へ出かけて帰ってこない場合もある。山なら遭難ということも考えられるが、便所へ入ってそのまま姿を消す場合もある。
原因はわからない。天狗や鬼、狐、妖怪、怨霊などのせいかもしれない。不思議なことに姿を消す期間はまちまちである。
そしてある時姿を消した便所から忽然と姿を現すこともある。

定かな理由はわからない。最もわからないから神が関与しているということなのかもしれない。この「神」とは、神奈備、神籬、磐座などに鎮座するアマテラスやスサノオなどだけでなく、八百万の神々をさす場合も、天狗や鬼、山の神や山姥、人ををたぶらかす狐など妖怪変化の場合もありそうだ。もしかすると冬には?

冬の夜の昔話《神隠し》片山通夫

神隠しイメージ

深い森などで忽然と人がいなくなる。理由はわからない。自分の意志で消える場合もある。これは蒸発ともいわれる。しかし決して自分の意志ではないが忽然と姿を消す場合がある。決して事件性はない。まあ、それこそが事件なのかもしれないが。そしてその姿を消した人が何年か何日かは決まっていないが、忽然と姿を現す。
こんな現象を人は神隠しというらしい。

 ウイキペディアによると次の通り。
 人間がある日忽然と消え失せる現象。神域である山や森で、人が行方不明になったり、街や里からなんの前触れも無く失踪することを、神の仕業としてとらえた概念。古来用いられていたが、現代でも突発的な失踪のことをこの名称で呼ぶことがある。
 

寒い冬の夜話《遠野に見た河童淵 005-2》片山通夫

捕獲許可証に書かれているように、河童は新鮮な野菜が好きなようだ。カッパ淵に備え付けてある旅行者用の釣り竿の先にはしっかりと胡瓜がつけられていた。そういえば胡瓜巻という巻きずしはカッパという。カッパと胡瓜は切っても切れない中仲なのだ。 カッパ淵の水辺にはカッパの神を祀った小さな祠(写真)が建っている。カッパの神は乳の神であり、乳児のある母親が母乳の出がよくなるよう祈願するとよいとされ、祠には、女性が奉納した赤い布による乳房を模ったぬいぐるみのようなものが置かれている。

参考 カッパにまつわる写真 ↓

 

寒い冬の夜話《遠野に見た河童淵 005》片山通夫

カッパ淵

岩手県遠野にはカッパが住んでいる。何しろえら~い柳田國男と言う大先生が遠野物語という本に書いているのだから、間違いない。あんな偉い先生が嘘をつくはずがないのだ。さてそのカッパ淵だが、遠野市内の土淵町にある常堅寺裏を流れる小川の淵がそうなのだ。今や写真で見るように胡瓜を餌に河童を釣ろうとする輩も出没するありさま。もちろんこの淵でカッパを釣ろうという向きは必ず遠野市観光協会発行の捕獲許可証を取得する必要がある。勿論許可証の裏面には捕獲7か条なる決まりがある。よく心得るべしなのだ。(この項続く)

寒い冬の夜話《雪の深い夜、座敷わらしが踊りだす 004》片山通夫

座敷わらし イメージ

座敷童子(ざしきわらし)は、主に岩手県に伝わる妖怪。 座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。

もうかなり以前だったが、遠野の曲がり家に泊まったことがある。例にもれず雪の深い夜だった。炉が切られていて、その炉を囲むように座り、夕食を食べるのだが、たまたま入口の土間を背中に座ってしまった。顔や胸などは炉の火にあたってとても暖かかった。しかし背中は隙間風が入ってきて・・・。2階の広い座敷の真ん中に布団が敷いてあった。部屋の中は石油ストーブが一つ。暖かいはずもなく、あまり近づけることもできず・・・。

写真は残念ながら撮らなかったが、おかっぱ頭の日本人形がご丁寧に置いてあった。

遠野は様々な民話というか様々な話が伝わっていることはよくご存じだとおもう。でんでらの、河童、そして神隠し、乙爺などなど。

連載 寒い冬の夜話《姥捨て山は丹波篠山にみる「ガンコガシ」の伝説 003》片山通夫

明月神社・丹波篠山(記事とは関係ありません)

姥捨て山とは、60歳をこした老人たちは山に捨てられたという悲しい物語。貧しくて食べるものも少なく生きてゆくことができない時代の話である。楢山節考で有名である。また遠野物語(柳田国男 著)のでんでらのにも出てくる。そんな「ガンコガシ」と呼ぶ姥捨て山の伝説が丹波篠山にもあった。

前回同様篠山新聞の記事から引用する。
兵庫県篠山市の集落「見内(みうち)」では、老人を生きたまま棺桶に入れて、集落の裏山の尾根「ガンコガシ」から谷底に向けて投げ落としていたという歴史秘話が今も住民の間に伝わっています。周辺の集落では「ガンコカシ」「ガンコロガシ」などとも。
「ガン」は漢字で「龕」と書き、遺体を納める棺や輿を意味するのだそうです。そうすると、「龕転がし」=「ガンコロガシ」から変化していった感じですかね?棺ごと尾根から谷底へ 集落に伝わる「ガンコガシ」の伝説 丹波新聞 13日4月2019年より)

記録には残っていないが、貧しかった日本の農村ではこのようなことがあちこちで行われていたのではないかと思われる。
いずれにしても「食い扶持を減らすための間引き」などと同様、残酷な話だ。