編集長が行く《太宰治の生家「斜陽館」02》文・写真 井上脩身

生活力なき貴族のプライド

斜陽館裏手界隈(向こうの建物は斜陽館)

斜陽館近くでバスを降りると、リンゴの甘酸っぱいにおいがした。斜陽館観光の客目あてにリンゴ市場が開かれているのだ。そこから斜陽館は目と鼻の先。だいだい色の屋根に覆われた2階建ての住宅が、あたりを睥睨するように建っている。加えて通りに面してめぐらされた頑丈そうなレンガ塀が、「この中は特別地帯」とばかりに周囲を隔てている。

中に入ると、1階は江戸時代の宿場の本陣屋敷に見られる造り。座敷が幾重にも連なっており、主人である津島源右衛門が客人をもてなすために宴会を派手に行ったのでは、と想像をはたらかせた。私が興味をおぼえたのは2階に上がる階段と、2階の応接間だ。階段は勾配がゆったりとしているうえ、丁寧に細工が施された手すりがついている。鹿鳴館の影響を受けたのであろうか。応接室は20畳ほどの広さ。窓に取り付けられた調度品も気品があり、情趣あふれる部屋である。

明治に入って、薩長の志士たちが高い位を得て、文明開化時代の貴族となった。私は「斜陽館」の部屋々々を見てまわり、「津軽の貴族」という印象をもったのだった。源右衛門が貴族院議員になったのも、さもありなんであろう。

外に出て、斜陽館の周辺を歩いた。朽ちかけた家、古ぼけた家が多く、観光客も足を運ばない裏手の界隈はひっそりと沈んでいる。斜陽館以外は″斜陽地区″なのだ。

津軽鉄道の金木駅に向かった。さびれた線路のはるか向こうに岩木山のどっしりとした山容が曇り空の下でかすんでいた。一両の列車の窓から見た金木の里は、灰色にくすんでいて、斜陽館の屋根だけがつき出ている。

小説『斜陽』には太宰の生家はおろか、津軽そのものが登場しない。舞台は伊豆半島。「日本が無条件降伏をしたとしの、十二月のはじめ」に「東京の西片町のお家を捨て、伊豆のちょっと支那風の山荘に越して来た」姉と弟の物語だ。山荘は売りに出された河田子爵の別荘。いっしょに暮らしていた母が結核で亡くなり、姉は妻子のある恋人を、東京・西荻窪の六畳の間くらいの部屋にたずねる。すると「わあっわあっとひどく騒がしいお酒盛り」をしているところだ。「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」とだれかが言って、「ふざけ切ったリズムでもって弾みをつけて、無理にお酒を喉に流し込んでいる」のだ。

恋人は「僕は貴族はきらいなんだ」と言い、「あなたの弟の直さんも、貴族としては、大出来の男なのだが、時々ふっと、とても附き合い切れない小生意気なところを見せる」と言い加える。

姉が伊豆に戻ると弟が遺書を残して自殺していた。弟は画家の奥さんに恋していた。「僕には、所謂、生活能力が無いんです。お金の事で、人と争う力がないんです」という弟は、姉の恋人から「それが貴族のプライド」と突き放され、「僕は、死んだほうがいいんです」と命を絶ったのだ。

弟は太宰自身であろう。文庫本(角川文庫)で200ページのごく一部を引き出しただけだが、以上をみても、テーマが「貴族の没落」であることは明らかだ。

考えてみれば、斜陽館そのものが没落貴族の象徴であろう。大地主であった太宰の生家は、戦後の農地解放で、かつての富豪も見る影なくズタズタにされたのだ。太宰はどう生きるべきか、その目標を見いだせなかったのかもしれない。

30年で首位から35位に

太宰が生きた戦前、わが国にも貴族がいた。公爵など爵位のある華族である。日本は戦後、憲法施行とともに華族制度が廃止され、法律上の貴族は存在しない。一方、イギリスでは「世襲貴族」と呼ばれる層が今なお存在する。爵位を世襲できる貴族のことで、2021年11月現在、公爵家30、侯爵家34、伯爵家191、子爵家111、男爵家443、計809家が世襲貴族である。「法の下の平等」という憲法の精神からすれば、華族制度がないわが国の方がはるかに全うだといえる。

しかし、これは法律上のことである。「世襲」自体はまかり通っているのだ。

岸田首相と長男、翔太郎氏(右)(ウィキベテアより)

岸田首相自身世襲3世であることは冒頭に述べた通りだ。その岸田内閣の全閣僚20人のうち、父親が国会議員だった者は首相も含めて8人。夫や叔父などの親族に国会議員経験者が要る人を含めると11人と過半数になる。首相だけに限ると、1996年に小選挙区が導入されて以降の12人のうち、世襲でないのは菅直人、野田佳彦、菅義偉の3氏だけ。自民党に限れば菅義偉氏以外はすべて世襲組だ。小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の各氏は父親と同じ選挙区を引きついだ。安倍、麻生両氏の祖父は首相を務めた岸信介、吉田茂各氏である。

世襲候補者が当選できる理由について、ジバン(地盤=後援会)、カバン(鞄=選挙資金)、カンバン(看板=知名度)を引きつげるから、と説明される。カバンだけでなく、ジバンもカンバンも潤沢な財源がなければ獲得できるものではない。岸田首相の場合、父文武氏が宮沢喜一元首相と遠縁に当たっており、岸田首相は岸田家一族の代表として首相に上り詰めたといえるだろう。

こうした家として独占的地位を獲得できる実態を見れば、もはや貴族というほかない。藤原氏や平氏にみられるように、その家の一員であるだけで、議員バッジはおろか大臣にまでなれるのだ。

「奢れる平氏」といわれた。貴族は奢れるのだ。翔太郎氏は昨年末、総理公邸で親戚と忘年会を開き、新閣僚が記念写真を撮るひな壇で写真撮影したことが週刊誌に報じられたが、岸田家4世としてのおごり以外の何ものでもあるまい。

「奢れる平氏」は「久しからず」とつづく。世襲が当たり前になると、世襲以外の者の活躍の場がなくなり、全体として活力が失われるのは火を見るより明らかだ。

スイスの国際経営開発研究所(IMD)が発表した2023年版「世界競争力ランキング」で、日本が前年よりランクを一つ下げ、世界35位となった。IMDは「政府の効率性」などの4項目で競争力を評価するもので、1989年から4年間は世界首位だった。今回の発表では、アジアに関してシンガポール(4位)、台湾(6位)、香港(7位)は別格として、中国(21位)、マレーシア(27位)、韓国(28位)タイ(30位)、インドネシア(34位)にも後れをとっている。

『斜陽』では、弟は「人と争う力がないんです」という。私も争うのは好きでないが、かといって「生活能力が無い」のは困りものだ。時代の行く先を読めぬ貴族が没落するのは世のならいではあるが、世襲政治の結果、わが国の競争力がガタ落ちしているならば、ことは深刻である。

貴族院議員という文字通り貴族政治家の父をもちながら、太宰は政治家を世襲せず、文学の世界に進んだ。彼の文学もそして生き方も破滅的であったが、文学界に大きな波紋を起こし、死後75年がたった今も世代を超えて数多くの太宰ファンがいることも確かだ。

わが国が斜陽状態を脱するためには、まず政治家の世襲を禁止すべきであろう。太宰の『斜陽』はそのことを教えているのである。(明日に続く)