とりとめのない話《一滴の越幾斯》中川眞須良

一滴のエキスが発するかすかな匂いは時として、日常 片隅にしまい込まれているそのものの本質の一部が 自然に外部に解き放たれる瞬間に出会えるときがある。それらは ある時は失望を余儀なくされる悪臭であり、
ある時は発見を予感させるほのかな香りである。

人間の本来持つ五感をさらに感覚界で研ぎ澄ますことを怠らずば、いつの日かこのエキスを嗅ぎ分けることができる「感覚の狩人」を自負するに足るであろう。

ここで この「一滴」を身近な文字 言葉 文章から感じ取ることができた
エキスの香りの例を挙げれば・・・・・

1、川端康成の小説、「雪国」の文頭
国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。 
・ 国境 の読み方である
こっきょう なのか くにざかい なのか。 1958年当時 読者からの手紙による直接の問い合わせ 質問に対し 川端康成本人からの返信は、「どちらでも結構、皆様の自由な気持におまかせします」と確答を避けているし今なお多方面で議論されているが、「くにざかい(越後と上州の)」がこの物語の淡いエキスであろう。

2、島崎藤村の小説、「夜明け前」の序文
木曽路はすべて山の中である。・・・・・・・・一筋の街道はこの深い森林地帯  を貫いていた。
物語全文を読み終えたあとすぐ(時間を置かず、、、)この序文を再読すればさらにこの文章の鋭さ 広さ、深さを味わえるであろう。藤村のエキスそのものである。

3、佐藤惣之助  作詞「もゆる大空」(軍歌)の一部に
文化を進むる意気高らかに・・・・・・・・・

特に戦後 数多くの曲、誌が多くの人により作られたが、それらのなかに「文化」の言葉を見たのはこの時が初めてである。その瞬間作詞家 と言うよリ詩人、歌人、俳人のエキスの香りを感じた人は少数か。
文化 とは・・・・・・・・・・・・・?

4、三橋 鷹女(詩人)
句   鞦韆は漕ぐべし 愛は奪うべし

この作者と句 一滴のエキスなどで論じる次元ではない。ズバリ そのものである。

5、三角 錫子(教育者) 

曲  「七里ヶ浜の哀歌」の作詞者、その文末
    ・・・・・・・・・ 今日もあすも 斯くてとわに 

教育者とともに詩人のエキス

 

6、 今橋 真理子 (俳人)

季節、季語にこだわる句多数

七夕に因んだ句は特に数多く接してきた。秀作か否かの判断よりも先にこの作者に会ってみたいと!想わせた句はこれが初めてだ。

句    文字にせぬ願ひのありて星今宵 

この時のエキスの正体 未だわからず。

7、 茨木 のり子 ((詩人)

眠りを覚ます黄雀風 と称する人あり

詩集  [対話]より

もっと強く (一部抜粋)

 ・・・・・ 男が欲しければ 奪うのもいいのだ・・・・

・・・もっともっと貪婪にならないかぎりなにごとも始まりはしないのだ

前述の 三橋鷹女のエキス との比較は無意味か

書き綴ればきりがないがこのエキス、感覚の世界にのみ浮遊する電波のようなものであろうが 謎だ。 しかし磨きこまれた心のアンテナをより広く張り巡らそうとする日常の行為こそが、この世界へのパスポートだろう。