のん太とコイナ2《空中ブランコ008》いのしゅうじ

演技をおえて、親子三人は舞台におりてきました。
このあとはアカダ高校タイコ部のえんそうです。のん太は花道でひかえていたタイコ部員からマイクを借り、舞台に上がりました。
「こいのぼりはお父さん、お母さん、そして男の子の家族です。ムーチン団長にかどわかされたのです」
観客から「ムーチン、ひどいぞ」と声があがりました。
ムーチン団長がオニの形相でムチをふりまわします。
コイナがムチに向けて、おなかの中から団旗の一つをプッと吹き出しました。ムチは団旗の針でプツッと切れました。
ムチが役に立たなくなったムーチン団長はおろおろしています。コイナは団長めがけて二つ目の団旗を吹きこみました。
「イタタター」
ムーチン団長はたおれこみました。
こいのぼりの親子四人は裏の出口に急ぎます。
アカダ高校のタイコ部員が、テントの出口を開けてくれていました。

(明日に続く)

のん太とコイナ2《空中ブランコ007》いのしゅうじ

コイナとのん太、みどりは裏口からテントにもぐりこみました。
花道のわきの、観客席の下に身をひそめます。
フワー、プワー、プワフワ・フワー
低いぶきみな音色がひびいてきました。
女ピエロがリコーダーと尺八のあいのこのようなたて笛をふいているのです。
空中ブランコが間もなく始まることを知らせる笛なのです。
コイキチを先頭に、お母さんのコイシ、お父さんのコイゾウが花道に入ってきました。
コイナに気づいたコイキチ。ピョンとびはねました。よほどうれしかったのでしょう。コイナにだきつこうとします。
コイシがおしとどめました。ムーチン団長に見つかったらただではすまないのです。
コイナはコイゾウにこいのぼり語で語りかけました
「助けるわよ、安心して」お父さんは「わかった」と目くばせしました。
フィナーレの空中ブランコには工夫がこらされていました。
ひとつは、ブランコとブランコの間に、目かくしの壁をぶら下げたこと。もうひとつはコイキチにタオルで目かくしをしたことです。
コイキチは目が見えないうえに、紙製の壁をつきやぶって空中を飛ばねばなりません。
コイキチは知らされていませんでしたが、へいっちゃら。これを最後に逃げだせるのだ、そう思うと勇気百倍です。
天井と舞台そでからスポットライトが当てられました。
コイキチが自分のブランコからお父さんのブランコにとぶと、お父さんがパシッと受けとめ、パッとはなします。コイキチはビューンと飛んで壁をつきやぶり、お母さんのはらビレとにぎりあいました。
スポットライトに照らされたコイキチ。拍手が鳴りやみません。
目をとろんとさせて大満足のムーチン団長。自分をゆだんさせるための熱演とは、ゆめにも思ってないようです。(明日に続く)

のん太とコイナ2《空中ブランコ006》いのしゅうじ

のん太、みどりを乗せて、コイナはニクマレサーカスのテント上空までやってきました。
テントの屋根の両はしに団の旗がはためいています。
ニクマレ団長の似顔絵がえがかれた品のない旗です。「これはオレのサーカスだ」と言いたいのでしょう。
旗の四方のふちいっぱいにトゲのような針がとぎれなくほどこされています。この旗じたいが凶器なのです。
「オレのいうことを聞かないやつは、この旗でやっつける」
ムーチン団長のおそろしい思いがこめられているのです。
団のマークも団長のこわい目をデザインしたものです。
「ニクマレサーカス」というより「キョウフサーカス」という方が正しいでしょう。
コイナが大きく息を吸いました。二つの旗を口から吸いこみ。おなかの中にかくしました。
ゾウさんが演技をするため、テントに入っていくのが見えました。
ゾウさんのあとが空中ブランコです。(明日に続く)

のん太とコイナ2《空中ブランコ005》いのしゅうじ

空中ブランコが終わり、親子三人のこいのぼりはテントから出ていきました。
テント裏で、逃げだせないよう囲われているのでしょう。
のん太はみどりの手をひいて、裏にまわりました。
サーカスのスタッフが暮らすためのテントやコンテナなどがズラッとならんでいます。その前に広場があり、チンパンジーのチンがキャキャキャと楽しそうな声をあげています。
チンは鉄のロープを、一輪車でわたる人気者。そのチンとコイキチはうまがあうらしく、一輪車を教えてもらっているところでした。
コイキチがヨロヨロと一輪車をこぐと、チンは「尾ヒレは足にもなるんだ」と感心しています。「ぼくも乗りたい」とらやましそうに見ているのはゾウさんです。
少し離れたところで、コイゾウとコイシがじいっと見まもっています。うれしそうにしているコイキチがかえってあわれでなりません。何て不幸な親子でしょう。見はり役がいません。助け出すチャンスはありそうです。
お父さん、お母さん、弟の消息がわかると、のん太の部屋の前のベランダにこいのぼりをあげる、と決めていました。
どのようにコイナに伝わったのでしょう。二カ月後、コイナがやってきました。その日はサーカス最終日でした。
のん太とみどりはコイナの背にのって、アカダ川公園に向かいました。
ドンドンドドーン ごうかいな音が聞こえてきます。
アカダ高校タイコ部が練習をしているのです。
アカ高タイコ部は夏休みにアメリカ遠征をし、ニューヨークで開いた演奏会が新聞記事になりました。
それでニクマレサーカスから「フィナーレをかざってほしい」とたのまれ、特別出演することになったのです。
のん太はタイコ部員に、空中ブランコの三人はムーチン団長にゆうかいされたと話しました。
「みんなを楽しませるサーカスが、ゆうかいしたとは」
リーダーは「許せん」といかりの声をはりあげ、三人を助けるために協力すると約束してくれました。(明日に続く)

のん太とコイナ2《空中ブランコ004》いのしゅうじ

天井から三つのブランコがつりさげられています。
空中ブランコというのに、まんいち落ちたときのためのネットがはられていません。
「命づなもつけていません」
と胸をはるムーチン団長。人命尊重なんて頭にないのです。
三人はハシゴを使って、ブランコまで上がっていきました。
中央のブランコはお父さん、のん太とみどりに近い方のブランコに弟、反対のブランコにお母さんがぶら下がりました。
三人は尾ヒレのつけねを曲げてブランコのバーにぶら下がれるよう、きたえられたのです。
コイキチがブランコをブランブランとゆすりはじめました。
エイとかけ声を上げて飛びました。
でも、イヤイヤやっているので、頭から落ちていきます。
アッ! 場内から悲鳴が上がりました。
コイキチは舞台に頭からぶつかる寸前、あわてて体をもち上げました。もともと飛べるのですから、難しいことではありません。お父さんと、はらビレどうし、にぎりあいました。(明日に続く)

のん太とコイナ2《空中ブランコ003》いのしゅうじ

ゾウさんは、へまをするとムチでたたかれるので、悲しそうな目をしています。
「ムーチン、もっとやさしくしろ」
のん太のうしろから声がしました。
どうやら団長は「ムーチン」と呼ばれているようです。
三角ギョロ目に四角い鼻。その下にこい口ひげ。海ぞくの親分という感じ。頭には紫色のカウボーイハット。
ゾウさんの演技が終わると、三人のこいのぼりが舞台にあがりました。
ピエロが口上をのべます。
「だれも見たことのない、こいのぼりの空中ブランコ。ニクマレサーカスがほこる究極の演技です。世界の有名サーカスからにくまれるほどの最高の技を、とくとごらんください

ムーチン団長がピューとムチをふりました。目にも止まらない早わざ。三人のこいのぼりは首をすくめました。
ムーチン団長は投げなわを、このようにたくみに使って、三人をつかまえたにちがいありません。(明日に続く)

のん太とコイナ2《空中ブランコ002》いのしゅうじ

 食卓に開いたまま置いてある新聞を、のん太がなにげなくのぞくと、思いがけない広告がのっていました。
「世界初、こいのぼりの空中ブランコ」
大きな活字がおどっています。ニクマレサーカスの宣伝です。一週間後、アカダ川公演でオープンとあります。
コイナのお父さん、お母さん、弟ではないのか。
三人の親子こいのぼりが里に帰らなくなって半年になります。空中ブランコのくんれんをさせられていたにちがいありません。そのおひろめなのでしょう。
公演初日、のん太は妹のみどりを連れて、サーカスを見に行きました。
ニクマレサーカスはできて間なしの一座です。動物をこわがらせて技をたたきこんでいる、と動物あいご団体からきびしく批判されているそうです。
のん太とみどりが大テントの会場にはいると、舞台ではゾウさんが大きなボールにのって曲芸をしていました。
ゾウさんのうしろで団長がムチをふりまわしています。(明日に続く)

のん太とコイナ2《空中ブランコ001》いのしゅうじ 

天の川をすぎると、コイナはぽつりともらしました。
「お父さん、お母さん、弟を助けたいの」
そういえば、コイナの里にいたのはおばあさんだけでした。
さいしょにいなくなったのは弟のコイキチ。
「弟は里の山の向こうがどうなっているか、知りたがってた」
お母さんに「行っちゃダメ」とつよく言われていたのに、「探検するんだ」と出かけ、帰ってこなくなったのです。
コイキチをがしに行ったお母さんのコイシも、お母さんと弟をさがしに行ったお父さんのコイゾウも帰ってきません。
しくしく泣きながらそう話したコイナ。
「町に行けば何か手がかりを見つかるかも、と思ったの」
そして、「都会の高いビルの屋上で、こいのぼりが投げなわでとらえられた」といううわさを耳にしたのでした。
「犯人はサーカスの団長らしいの」
屋上にこいのぼりをあげて、おびきだしたらしいのです。
「コイキチは友だちがいると思ったんだわ」(明日に続く)

とりとめのない話《群青の小宇宙》中川眞須良

クリスティーナ・ローガン氏の作品

群青色。この言葉に我々日本人はどのようなイメージを持つだろう。

言葉の意味としては「濃い紫味の青」 とするのが一般的のようだが人それぞれ抱くイメージは多彩だ。海や空の青、顔料や岩絵の具の青、内面的には 古来からの日本人の心の色、更には至上の存在感の表現手段の色など広い。

今、日本人の「魂の原色」「心の深遠」とも言えるこの群青の世界を己の芸術で表現することにこだわる一人のアメリカ人女性とんぼ玉作家の存在がある。その彼女の名、クリスティーナ・ローガン。米寿を過ぎて久しい、ご存命なのだろうか。とんぼ玉作家としての知名度は高いが群青の表現にこだわる作品が多い事はあまり知られていない。この世界に詳しい人のいわゆる「ローガン評」によれば「彼女自身の好きな色と 愛する日本人の心の色とが合致したからだ・・・」とか。さらに「彼女は作品を通じて群青の世界の表現にこだわり続けるであろう・・・。」とも。

ここで彼女の作品の一つを取り上げてみると直径2cmの球体である。(制作過程上 直径3mmの空洞が中心を貫通している。地球にイメージを移すと南北両極間の空洞の地軸)

全体的には「やや薄めの紫の地に黒い線による大小の正方形(四隅に黄色のつなぎ目を配置)を整列させた網の目状の少し複雑なデザインになっているが透明感、鮮やかな色彩感、独創的なデザイン感はあまりなく他の作家の作品と比べやや複雑なデザインではあるが反面地味な印象を与える。

入手して数日後 自室卓上に置かれたこの一つのとんぼ玉、ガラス越しに午後の日差しのもとで普段とは違った雰囲気を醸し出しいていることーに気がついた。 その時の室内への太陽光線の角度と波ガラス越しの屈折状態とさらに乱反射の偶然か ワックスがけをしたような透明度、そして立体感が増し さらにとんぼ玉への入射光の一部が漏れ出したかのように群青色の光が平面上にわずかだがはっきりと映し出されていた。咄嗟に同じ条件での再現になるのではと思い、すぐ手に取り中心の穴の部分(極)に目を近づけ光の方向(一方の極)を覗いてみると逆光に反射する群青の輝きがすぐ確認でき、さらに目にピタリと近づけると色の濃淡、影の大小、手の僅かな動きに反応して浮遊する細かい粒子の波、と群青一色の世界が広がっている状態に出会うことができた。

蛍光灯、白熱球、和蝋燭の光、スポットライトと光源を変えれば、その見せる世界はまた微妙に、無限に変化する。

クリスティーナ・ローガンがこのような世界の表現に拘る作家だと知ったのは、私がこの世界を逆光の中に見つけることができた少し後のことでる。彼女のとんぼ玉ファンはこの世界をどのように楽しんでいるのだろうか。また彼女は今後もこの小宇宙をどのように旅をしどのようなメッセージを発信し続けるのだろうか。

「群青はなぜ深いか」を想いながら?。

直径2cmの玉を光に向ける毎に思う。とるに足らぬ疑問であるが・・・。

 

駅の話《北海道・駅三題》その3・片山通夫

「稚内桟橋駅跡」

北防波堤ドーム

稚内桟橋駅の北防波堤ドームは、北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていた時、ここに通じる道路や鉄道への波のしぶきがかかるのを防ぐ目的で昭和6年から昭和11年にかけて建設された。
このドームの設計者は北海道大学を卒業して稚内築港事務所に赴任してきたばかりの26才の技師、土屋実氏でした。土屋氏は大学で学んだコンクリート工事の知識を生かし、設計から工事の指揮まで全てひとりで行いました。延長424m、高さ13.8m、半アーチ型の波よけに古代ギリシャ建築を思わせるような太い円柱とアーチの回廊を持ち、当時としては世界でも類を見ない構造物でした。 (稚内港湾事務所)

稚内桟橋駅では様々なドラマが生まれた。1905年、日露戦争に勝利した日本は樺太の南半分、北緯50度線以南を日本領とした。樺太の大泊(現コルサコフ)と稚内を結ぶ稚迫(ちはく)連絡船が就航(1923年~1945年)した。この航路を利用した有名人に宮澤賢治や岡田嘉子がいた。
宮澤賢治は妹の死を悲しんで傷心の旅に樺太を選び、「挽歌」をテーマにして数々の作品を生んだ。また岡田嘉子は杉本良吉と共に1937年12月、厳冬の地吹雪の中、樺太国境を超えてソ連に越境、亡命した。

宗谷

1945年、戦争は終わり日本の敗戦が決まった。樺太にいた日本人は先を争って北海道へ逃げた。最後の稚迫連絡船は「宗谷」で8月24日だ。
連絡船に乗らずに自力で宗谷海峡を渡った人々もいた。主に漁船を頼った。

稚内に着くとそれぞれの行き先へ列車でゆく。この時当時の国鉄は「行き先の書かれていない白切符」を樺太からの引揚者に配布した。

現在、日本最北端の駅は稚内駅である。

※宮沢賢治:日本の詩人、童話作家。 仏教信仰と農民生活に根ざした創作を行った。
※岡田嘉子:日本及びソビエト連邦で20世紀に活動していた女優、アナウンサー。1938年にソビエトに亡命し「雪の樺太・恋の逃避行」と騒がれた。