写真散歩《滋賀県日野の雛祭り》片山通夫

《滋賀県日野の雛祭り》日野は近江商人発祥の土地でもある。近江国(現在の滋賀県)に本宅(本店、本家)を置き、他国へ行商して歩いた商人の総称で、大坂商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人のひとつ。 「近江の千両天秤」ともいうように、天秤棒1本から財を築き、三都(江戸、大坂、京都)をはじめとする全国各地に進出し、豪商と呼ばれるまでに発展していった。

2022春号 Vol.41《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身

天皇メッセージ 沖縄占領に関する昭和天皇の英文メッセージ(沖縄県公文書館HPより

今年5月15日、沖縄の本土復帰50周年を迎えます。しかし「沖縄の本土化」という沖縄県民の願いもむなしく、日本にある米軍基地の7割が沖縄に集中、さながら米軍の島と化しています。1月23日に投開票が行われた名護市長選では政府与党が推す現職候補が当選しました。名護市には米軍基地の建設工事が進められています。今年9月に任期満了になる沖縄県知事選が半年後に迫っており、いっそうの″米軍島化″を許すかどうかの分水嶺の年になりそうです。沖縄は戦時中、本土の捨て石にされました。戦後、捨てた石を米軍にほうりなげた形ですが、沖縄に犠牲を強いた一因に天皇の意思があったことが、近年、現代史研究家らによって明らかにされました。
沖縄が本土に復帰した1972年、日本の米軍基地のうち沖縄にあったのは59%でした。ところが50年後の現在、米軍施設の70%が沖縄に集中、沖縄本島の14・6%が米軍のフェンスに囲まれています。 “2022春号 Vol.41《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

冬の夜更けは・・山城の国物語008《山城から明日香へ》片山通夫

仁徳天皇陵

こうしてみると「我らが山城の国」は継体天皇が「天皇として」生まれたふるさとともいうべき重要な位置のあったと思う。木津川が他の大河と合流した地域であり、その大河を治めて20年、機を待って飛鳥の地へ赴く。おそらく「神武の東征」をほうふつとさせたのではないか。
もし継体天皇が実質初代天皇だったとすれば、彼以前の天皇は?また16代仁徳天皇陵のように巨大な墳墓が存在することが不可解だが、発掘調査させてもらえない現在ではそれすら確認のしようがない。せめて遷都の一覧を眺めて負いたい。
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冬の夜更けは・・山城の国物語007《継体天皇ヤマトへ》片山通夫

20年もの歳月をかけて、山城国で雌伏してヤマトへの遷都をうかがっていた継体天皇にようやくチャンスが巡ってきた。ここ大和の地で生まれた手白香皇女(たしらかのひめみこ、仁賢天皇2年以前 – 没年不詳)と皇女に近しい皇族が後ろ盾となった。ようやくヤマトの本拠地に入城したというわけである。この手白香皇女は後に継体天皇の皇后となる。磐余玉穂宮遷都に果たした皇后手白香皇女の役割というのは、すでに述べたように「内部からの手引き」であろうことは想像に難くない。その功をもってか知らないが彼女は天皇の皇后となった。もしかして先に結婚していたのかもしれない。もちろんこれは筆者の妄想であるが…。

ここ当時の中枢であった桜井市には歴代の天皇の宮があった。
第17代履中天皇の磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)、
第22代清寧天皇の磐余甕栗宮(いわれのみかぐりのみや)、
第26代継体天皇の磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)、
第31代用明天皇の磐余池辺双槻宮(いわれのいけのべのなみつきのみや)
である。

このうち磐余玉穂宮は我らが継体天皇が彼の皇后と宮を営んだ。歴史上初の「内助の功」だったのかもしれない。
シリーズ山城の国の継体天皇編はこの項で終わる。次は現在の山h城の国を知らべることとしたい。

 

冬の夜更けは・・山城の国物語006《第26代継体天皇-03》片山通夫

白髭神社鳥居(高島市)

母の手で育てられた男大迹(ヲホド)は時には近江・高島へ行き来したと伝えられる。琵琶湖畔と言っても越前の三国や丸岡からは遠い。山を踏み分け、水運を利用した往来だったと想像する。彼は水に親しんだかもしれない。いやそうだったろうと推察する。越前の国・三国は日本海沿岸。高島は琵琶湖畔。

途中険しい山が連なり、海岸は山が海に迫まる。そんな中を頻繁に行き来した。

失礼な言い方だが当時の越前や高島はそんなに開けていたのだろうか?と疑問を持つ。彼の時代は6世紀初め。この頃の大陸はどの様な時代だったのか調べてみた。ちょうどこの頃は高句麗が南下、新羅が西に勢力を広め、百済が加耶の一部を支配した時代だったようだ。日本神話に出てくる「スサノオが天上界を追放された」のもこの頃だった。スサノオは新羅にいったん降り立ちその後出雲に渡りヤマタノオロチを退治してクシナダヒメと結婚した。この後に起こった白村江の戦い(663年10月)は7世紀半ば。

継体天皇の出自に関してはこの辺で終わりたい。継体天皇の時代はちょうど「神代の時代」と「その後」の境の時代だと思われる。もしかして継体天皇が初代の天皇だった可能性も否定できない思いだ。