連載コラム・日本の島できごと事典 その16《米軍基地》渡辺幸重

米軍射爆場新島設置絶対反対誓いの塔

太平洋戦争では、日本は「全滅」を「玉砕」、「退却」を「転進」、「敗戦」を「終戦」と呼びました。事実から目をそらす言い方は姑息にも思えますが、戦後日本を占領した米軍を「進駐軍(GHQ)」と呼んだのも同じような気がします。ただ“進駐”したのではなくて日本は“占領”されたのですから「占領軍」でしょう。こういう曖昧な態度だから駐留米軍はいまだに占領軍のようにふるまっているのではないでしょうか。
茨城県には一面に広がる花々で有名な国営ひたち海浜公園があります。太平洋戦争中は大日本帝国陸軍の水戸飛行場であり、戦後は米軍が接収して1973年(昭和48年)まで米空軍の水戸射爆場(水戸対地射爆撃場)だったところです。米軍機が標的めがけて模擬核爆弾の投下訓練などを行うのですが「模擬爆弾による農作物の被害」「ジェット機墜落による原野被害」「模擬爆弾による校庭被害」など257件の事件事故が相次ぎました。1957年8月には自転車で走行中の母子に低空飛行の米軍機が接触し、63歳の母親が即死、24歳の息子が重症という信じられない事件まで起きました。抗議と撤去を求める激しい運動の末、射爆場は1970年に演習を停止し、1973年3月に日本政府に返還されたのです。
ここからが島に関する話になるのですが、実は米国は日本政府が代替地を用意する条件で水戸射爆場の撤去を約束していました。いわゆる移転です。1964年1月、防衛庁(当時)は移転候補地に伊豆諸島の御蔵島(みくらじま)を内定しました。しかし、島民の強力な反対運動にあって断念に追い込まれました。この間の経緯は有吉佐和子の小説『海暗(うみくら)』に描かれています。次に日本政府は伊豆諸島・新島(にいじま)に目を付けました。1966年(同41年)に新島移転の話が表沙汰になり、1969年(同44年)3月に防衛庁の正式申し入れがありましたが、新島村議会が全員一致で絶対反対を決議し、美濃部東京都知事も反対するなど5年近い島内外の反対運動が続きました。結局、米軍は移転を断念し、水戸射爆場を代替地なしで手放したのです。新島には住民拠出のコーガ石でできた「米軍射爆場新島設置絶対反対誓いの塔」が建っています。
この話は沖縄の普天間飛行場の移転先として辺野古新基地が必要かという話に通じます。水戸射爆場移転断念という前例にならって県知事も県民も反対する辺野古新基地を断念し、普天間飛行場を撤去すればいいのです。
(写真はブログ「旅人がゆく」2016年5月より)

山陽道・明石宿《蕪村の足跡をたずねて》文・写真 井上脩身

蕪村が自らを描いた絵(『蕪村 放浪する「文人」』より)

ようやく春めいてきた。コロナ禍のなか、巣ごもりがつづいていたので、海が見たくなった。ふと「春の海――」という蕪村の句が頭をよぎった。讃岐に行く途中、須磨で詠んだといわれている。ならば明石宿で泊まったのではないか。芭蕉の句に「蝸牛角ふりわけよ須磨明石」がある。江戸の俳人は須磨と明石をひとまとめに捉えていたようだ。おそらく須磨で源平合戦を想い、明石で海の幸に舌つづみをうったのであろう。「宿場町シリーズ」ではたびたび芭蕉をとりあげてきた。明石は旅多い芭蕉の生涯の西端の地とされているが、今回はあえて須磨・明石で蕪村の足跡を探った。 “山陽道・明石宿《蕪村の足跡をたずねて》文・写真 井上脩身” の続きを読む

コロナ企画・投稿《微妙に変化してきた五輪対応とコロナ》匿名希望

相変わらずコロナは収束の気配も見せない。それどころか第四波、いやそれ以上の猛威を感じさせる勢い。わが国では3月上旬を過ぎて微妙にオリンピック・パラリンピックの開催に関して変化が見えだした。先月は森騒動の陰に隠れて開催の是非はあまり表立っての動きはなかったように思える。しかしここにきて、当初の通りなのかもしれないが、急に開催に関する報道が、また関係者の発言が増えてきた。 “コロナ企画・投稿《微妙に変化してきた五輪対応とコロナ》匿名希望” の続きを読む

昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校》元民族新聞記者 鄭容順

創部5年目に1番くじを引いた李良剛君、民団新聞2003年6月30日付の記事から

1月29日の夕方、ラジオから今春の高校野球の選抜大会に、京都府の学校法人・京都国際中学高等学校の京都国際高校が出場すると放送された。この放送に私は夫に「出た、出た」と叫んでいた。夫は「何が出た」という。それほど私の心は浮足立ち、こみあげてくるものがあった。

京都国際高校の前身は京都韓国学校である。京都市左京区北白川に中学校を開校したのが1947年、日本の敗戦後、日本に残った在日韓国・朝鮮人は、以後在日としていく。1世の故郷に帰国するために母国語の習得が必要として学校が建てられた。それから旧校舎から現在の校舎(京都市東山区)に移転をするとき、地元の反対運動に関係者は苦労されたが、1984年に現校舎に移転した。 “昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校》元民族新聞記者 鄭容順” の続きを読む

コロナ《アメリカファーストからの転落~コロナ蔓延世界最悪の意味~》井上脩身

コロナ菌

昨年2月24日、イタリア保健省は新型コロナウイルス感染例が229件にのぼり、6件の死亡例があると発表、イタリア北部は事実上封鎖状態になった。コロナは次いで地中海を越え、アフリカで蔓延するであろうと思われた。しかし、その予想は外れた。新型コロナウイルスは大西洋を越えて、アメリカで猛威を振るったのである。世界一の経済大国がコロナに対してあまりにも脆弱であることにあ然とするが、このことは、アメリカが世界のファーストの座からずり落ちるときがそう遠くないことを示している、と私はみる。 “コロナ《アメリカファーストからの転落~コロナ蔓延世界最悪の意味~》井上脩身” の続きを読む

びえんと《「アンダーコントロール」を中心に安倍前首相発言のウソを考える》Lapiz編集長 井上脩身

桜を見る会

安倍晋三前首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭の参加費用問題に関し、2020年12月25日に行われた衆院議院運営委員会での安倍氏の答弁に私はあきれかえった。平たくいえば秘書のウソを真にうけたというのだ。見えすいたウソをつく方もつく方だが、それを信じたというなら、前首相は社会人としての最低限の判断力もないことになる。それでは7年8カ月にも及ぶ憲政史上最長の政権を維持できるはずがない。安倍氏を大ウソつきとみるしかないだろう。しかし、朝日新聞記者、三浦英之氏の『白い土地――ルポ「帰還困難区域とその周辺」(集英社)を読んで、いささか考えを改めた。安倍という人は、身内や側近官僚の忖度発言にひそむウソを見抜く能力が本質的に欠けているように思えるのだ。単なる世間知らずのボンボンにすぎないのではないか。そのボンボンにウソの情報を流して長期間背後から操った影の人物はいたのでは、という疑念を私はいだいている。 “びえんと《「アンダーコントロール」を中心に安倍前首相発言のウソを考える》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

原発を考える。《本当に大丈夫か、東京電力》一之瀬 明

2011年5月3日福島県飯館村で

またもや東北地方を地震が襲った。2月13日23時8分のこと。地震の規模はM7.3 最大震度は6強と発表されている。この地震は、2011年の東北地方太平洋沖地震の余震ということらしい。
結構な規模の地震だった。問題は福島原発である。東京電力は福島第一原子力発電所へ与えた影響を22日まとめ、原子炉を収めた格納容器の水位の低下傾向が続いていると発表した。おまけに発表まで一週間かかっている。この地震後の水位低下と相まって、地震計「故障」が発覚した。この地震計は福島第一原発3号機の原子炉建屋に昨年設置したもので地震計2基が故障していたにもかかわらず、修理などの対応をせず放置していたため、13日に起きた地震の揺れのデータを記録できていなかったことを明らかにした。

ことの真贋は不明だ。ただ東京電力という会社は素人ながら感じるには、まったく管理能力というか、責任能力が不足しているということに尽きる。反対に隠ぺい能力は抜群だ。どうしてもとても隠せないことや、そういうのっぴきならない事態になって初めて「実は…」と発表する能力には長けている。
まだまだ地震が起こる可能性は高い。メルトダウンした福島原発を管理することの難しさはわかるが、隠ぺいはいただけない。
やはり第三者の目でチェックしてもらうシステムを構築するしかないのではないか。
無論所謂「原子力ムラ」以外のメンバーで。

原発を考える。《全電源喪失した海外の原発 ~過去の事故例から見る重大責任~》井上脩身

福島第1原子力発電所の事故から間もなく10年になる。この間、国も東京電力も刑事上何ら責任を問われることがなかった。裁判で国、東電の責任がないとされたのは、「巨大津波による全電源喪失は想定外」という主張が認められたからだ。私はLapizの「原発を考える」シリーズのなかで、東電内部でも15・7メートルの津浪予測をしていた事実があることから、少なくとも東電幹部には巨大津波を予見できたはずで、明白に刑事上の過失責任がある、と述べてきた。最近、こうした将来の津浪予測だけでなく、過去にも海外の原発では洪水などによって全電源が喪失する事故が起きていたことを知った。国や東電がこの事実を知らなかったはずがない。「想定外」は明白にウソなのである。事故10年の節目を機に、改めて国と東電の責任を問い直さねばならない。 “原発を考える。《全電源喪失した海外の原発 ~過去の事故例から見る重大責任~》井上脩身” の続きを読む