片山通夫写真集 “ONCE UPON A TIME” Lapiz 誌上予告展001

ようやく懸案の1,960年代から撮りためた、片山通夫写真集 “ONCE UPON A TIME”が出来上がりました。編集をしてくださいました戸上泰徳氏にはさんざん無理を言ってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ただただ感謝あるのみです。

神宿る。《京都・糺すの森にて》片山通夫

糺の森のご神木。下鴨神社境内の原生林の中だから、もう森全体が神域のご神木群。

糺の森は京都の北、京阪電車の北の終点、出町柳駅から歩いて10分ほどのところにある下賀茂神社の境内にある原生林を指す。「ただすのもり」と読む。この糺すは「事の是非・真偽・事実や真相などを追及すること。問い質す(といただす)こと。「質す(ただ-す)」よりも厳しい追及のニュアンスがある語彙」と辞書にあるように厳しく問いただすというようなニュアンスらしい。

この名前の由来だが、「偽りを糺すの意とするほか、賀茂川と高野川の合流点であることに起因して只洲とする説、清水の湧き出ることから直澄、多多須玉依姫の神名に由来するという説などの各説がある。他に、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)にある元糺の池およびその周辺の元糺の森から遷された名前であるという意見もある。 (この項ウイキぺディア)

ちょっとエッセー《夏の時間》山梨良平

イメージ「水撒き」

暑い!お盆だ。テレビは相変わらず。清涼は白球を追う高校球児。見るともなくテレビを見ながらぼんやりと過ごす時間がここち良い。夕刻になると、いささかの風が吹き猫の額ほどの庭に水を撒く。打ち水と言うほどの風情もない。しかし夕方の太陽に向かって水を撒くと時には虹を見る。虹が木の葉と絡みしずくとなってしたたる様にいささかだが涼を覚える。

今日の新聞を読んでいなかったことを思い出して手に取るが、眼は「猫の額」と名付けた庭のヒイラギのとげから、先ほど撒いた水がまだとどまっているのを見つけて一人喜んで新聞には眼を移さない。そういえばヒイラギは木へんに冬と書く。椿は春の木、夏は榎(えのき)、そして秋は・・・。えっ?木へんに秋? 楸は「ひさぎ」と読むらしい。猫の額も時には役に立つ。それにつけても暑い日が続くものだ。 “ちょっとエッセー《夏の時間》山梨良平” の続きを読む

写真ルポ《奈良元與寺地蔵盆》片山通夫

元與寺

古代のわが国の首都に平城京がある。710年、それまでの藤原京から遷都されて唐の都長安を模して造営された。平城京が京都に遷都された794年までの間、宮城・平城宮(大内裏)を置き、東西8坊 (約 4.3 km) の面積をもち、中央を南北に走る朱雀大路によって左京・右京に二分され、さらに南北・東西を大路・小路によって碁盤の目のように整然と区画され、全域が72坊に区画設定されていた。のちに奈良は「南都(なんと)」とよばれるようになり、東大寺・興福寺の門前には、寺の仕事に従事するさまざまな人々が集まり、やがて「まち」ができます。このような「まち」を「郷(ごう)」とよび、奈良の町は寺社の門前郷(もんぜんごう)として発達してゆく。平安時代末期、平氏が勢力を強めると南都寺院と対立するようになり、1180年、平重衡(たいらのしげひら)が南都を攻め、その兵火により東大寺・興福寺とともに奈良の町も大半が大きな被害をうけた。その後、奈良町は周辺の地域を含めて徳川幕府の直轄地として栄えるという歴史を持っている。また元與寺は飛鳥時代に蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内(現奈良町)に移転した寺院。飛鳥時代の屋根瓦が一部残っている。毎年8月23日・24日は地蔵盆が盛ん。 “写真ルポ《奈良元與寺地蔵盆》片山通夫” の続きを読む

夏の思い出《レンズが欲しいアカンタレ》片山通夫

ズミクロン f2 50ミリ

 

コロナが怖くて中々外出出来なかった。自宅で籠りっぱなし。コロナに罹患したという知人も身の回りにだんだんふえてきた。生来おとなしく出来ない性格なのでうずうずしていた。ここまでは皆さんと同じだと想像する。昨日久々に外出した。それまで家でパソコン越しに中古カメラやレンズのネットショップをさんざん見ていて我慢出来なかったからだ。目当てのレンズが一本ある。そんなに特殊なレンズではないのに結構な価格だ。 “夏の思い出《レンズが欲しいアカンタレ》片山通夫” の続きを読む