原発を考える《思考停止の国民が許す》山梨良平

東京電力 柏崎苅羽原発

柏崎刈羽原発、89カ所で安全工事せず テロ対策以外でも不備」という見出しの記事は毎日新聞電子版。(2021/6/10 19:15)
所謂平和ボケといわれるテロ対策の遅れはいかんともしがたいが、それ以外でも安全工事がされていなかったというのには驚く。同時にわが国の国民の眼はもはや曇りきっていると言えるのではないか。
たった10年前の大地震、フクイチの悲惨な状況も十分に検証しないまま今に至っているのも全くの思考停止に陥っている国民だからなのか。政治に、原発に、自然災害にそして近い将来、必ず来るといわれている南海トラフ地震・・・・。我々の周りには危険が山積しているにもかかわらず、国民からのアクションは少ない。挙句の果てにフクイチのたまりに溜まった汚染水を2年後に海に流すとか…。 “原発を考える《思考停止の国民が許す》山梨良平” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その28《要塞地帯法》渡辺幸重

図版:対馬要塞配置状況(太平洋戦争の本土決戦期)

最近の日本社会は、尖閣諸島・台湾海峡問題で中国、ミサイル発射問題で北朝鮮の脅威を喧伝するあまり、海洋に散らばる島々の多くを“国境離島”に指定して国土防衛の拠点とみる傾向が強まっています。第二次世界大戦でもそうでした。
1899(明治32)年に要塞地帯法が公布され、函館要塞(津軽要塞)・東京湾要塞・父島要塞・舞鶴要塞・下関要塞・壱岐要塞・対馬要塞・長崎要塞・奄美大島要塞など全国各地に要塞地帯が指定され、砲台設置工事が始まりました。島々には数多くの砲台が設置され、重砲兵連隊などの軍隊が配備されました。国境の島・対馬では法律制定以前の1886年に明治政府が陸軍対馬警備隊を置き、翌年には対馬要塞の建設が始まりました。昭和期まで島内各所および周辺の島々に多くの砲台が築かれ、要塞地帯法により戦後まで立ち入りの自由が制限されました。測量や撮影、摸写、録取が禁じられ、風景を描くこともできなかったそうです。太平洋戦時の対馬の地図には島内31ヶ所に砲台が書かれています。まさに“要塞の島”です。近くには壱岐要塞があり、両要塞で対馬海峡全体を封鎖できるようになっていました。
要塞地帯法ができても計画通り要塞構築が進んだわけではありません。奄美大島要塞は1921年に着工されましたが、翌年に日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリアの5ヶ国が締結したワシントン海軍軍縮条約の要塞化禁止条項によって工事は中止されました。日本領の千島諸島・小笠原諸島・奄美大島・琉球諸島・台湾・澎湖諸島、アメリカ領のフィリピン・グアム・サモア・アリューシャン諸島などの要塞化が禁止されたのです。軍縮の結果、琉球弧(南西諸島)は非武装地帯になりました。対馬や壱岐は禁止の対象にはならず、壱岐要塞の的山大島砲台には軍縮の対象になった戦艦「鹿島」の主砲塔が、黒崎砲台には戦艦「赤城」の主砲塔が設置されました。しかし、日本が1933年 に国際連盟を脱退し、翌年にはワシントン海軍軍縮条約破棄を通告、さらに日中戦争が勃発すると奄美大島は一気に軍備が増強され、さらに沖縄島の中城湾臨時要塞、宮古島の狩俣臨時要塞、西表島の船浮臨時要塞が構築されました。朝鮮半島から台湾までの軍事要塞化が完成したのです。
現在、当時と同じような琉球弧での軍備拡張が続いています。与那国島・石垣島・宮古島・奄美大島・馬毛島に自衛隊基地を建設する計画が進行しており、石垣島・宮古島・奄美大島には砲台ならぬミサイル基地が置かれるとのことです。対馬から九州島・琉球弧をつなぐ要塞ネックレスです。戦前の要塞地帯法や軍機保護法と同じような「重要土地調査規制法」も今年6月に国会で成立しました。戦前でさえ一時期ながら軍縮で非武装化が実現しました。いまこそ外交努力で日本を平和な島の国にするべきです。

宿場町シリーズ《有馬街道、小浜宿》文、写真 井上脩身

歌劇の町の酒造りの村 ~種痘免許を持つ医師がいた~

除痘館が山中良和に発行した種痘医免許証(ウィキペディアより)

手塚治虫が『陽だまりの樹』をかきだして40年になると何かの記事でみて、この連載漫画をよんでみた。幕末の動乱に巻きこまれながら、種痘の普及につとめた医師、手塚良庵の物語だ。良庵は緒方洪庵の適塾に学んだという。適塾のホームページを開いてみて、適塾が運営する除痘館が摂津・小浜村の山中良和に種痘医免許証を出していることを知った。小浜は現在の宝塚市のほぼ中央に位置し、治虫が5歳のころから住んだ村だ。調べてみると小浜には有馬街道の宿場があり、山中家は宿場内で造り酒屋を営んでいたことがわかった。宿場跡は宝塚大劇場から東に1キロしか離れておらず、治虫も宿場跡を訪ねたにちがいない。歩きながら良仙と山中良和が治虫の頭の中で重なり合ったかもしれない。そんな思いにかられ、小浜宿跡をたずねた。 “宿場町シリーズ《有馬街道、小浜宿》文、写真 井上脩身” の続きを読む

お詫びと訂正 Lapiz編集部

連載コラム・日本の島できごと事典 その27《家人(やんちゅ)制度》渡辺幸重
2021年6月9日

記事中の『大奄美史』(曙夢著、1949年)は『大奄美史』(昇曙夢著、1949年)と著者名が間違っていましたのでお詫びして訂正いたします。

昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校 2》元民族新聞記者 鄭容順

前回の記事
昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校》元民族新聞記者 鄭容順
https://bit.ly/3zjlmON

李愚京元理事長(右)宋基泰元理事長(左)

京都国際高校は春の選抜高校野球大会に初出場した。創部以来の念願がかなった。対戦相手、宮城県代表、柴田高校に勝利したが、次の東京代表、東海大菅生高校には敗退した。しかし、柴田高校の勝利に韓国語の校歌が甲子園球場から全国津々浦に流れた。日本人はどんな思いで聞いていたのだろうか。在日同胞はどんな思いだっただろうか。
京都国際高校は京都韓国学校が原点、もともとは在日同胞の2世たちは親と一緒に韓国の帰国にあたり、言葉ぐらいは使えるようにならないといけない。1世たちの深い愛情で創設、まさかそんなに長く学校経営が続くとは思っていなかっただろう。各種学校から始まり、日韓国交正常化で日韓の往来は可能になったものの2世たちの言語は日本語で文化も日本人気質になり、韓国の帰国はほとんどなかった。韓国に留学する人はいても生活基盤は日本だった。 “昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校 2》元民族新聞記者 鄭容順” の続きを読む

怒りを込めて振り返れ《障壁を取り払って・・・。》一之瀬 明

台湾話をもう一本。

台湾海峡をはさんで・・

中国当局「障壁取り払って」と台湾に呼び掛け 大陸委「分断たくらむ話術」と一蹴

⇒新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われた台湾を支援する意向を示し、中国に対する「障壁を取り払ってほしい」と台湾の人々に呼び掛けた」というニュース。つまり中国はコロナ禍の台湾に「紳士的」に元仲良くしようと直接「台湾国民に呼びかけた」わけだ。香港の例を見るまでもなくそれは「台湾国民を分断」する意図がありあり…。パイナップリ事件といい、WHO問題といい、ワクチン調達の妨害等、今年に入ってもいろんなゆさぶりをかけている。
中国には古いことわざがある。「先ず隗より始めよ」だ。遠大な事業や計画を始めるときには、まずは手近なところから着手するのがいいというたとえ。また、物事は言い出した者から始めよというたとえ。
あれ?ちょっと違ったか?

シリーズ とりとめのない話《昭和の大相撲》中川眞須良

私は以前大相撲はスポーツではなく、アートであると言って周りの顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがある。その時はTPOをわきまえなかったこともあリ反省を装ったが、その心の奥は今も何ら変わっていない。

最近の大相撲のテレビ中継を見ていると勝敗だけにこだわった、格闘技スポーツへと色濃く変化しつつある現状にため息を漏らすのは、私だけであろうか。

財団法人 日本相撲協会 それは品位 威厳 過去の実績ある理事長を核としてそれを取り巻く親方、理事、行司、呼び出しそして床屋に至るまで大きな協会と言うアートを構成する一要因として大小の違いこそあれ、それぞれの立場が燦然と輝いていたように想う。言うならばこの集団は、各一人一人の持つ独特の芸術性をおびたオーラの集合体でなければならない。

アートの中心 それはもちろん土俵上である。

時代は少しさかのぼり1960年代、今なお記憶に残るその独特のオーラを発していた場面のいくつかを紹介すれば・・・。 “シリーズ とりとめのない話《昭和の大相撲》中川眞須良” の続きを読む

怒りを込めて振り返れ《竹槍ならぬ精神論》一之瀬 明

風向きがここにきて変わってきた。首相のいうことを利くはずだった政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が国会で「やるなら具体的対策を」「パンデミックの所でやるのは普通ではない」と発言した。国民の安全と安心をよく考えたら当たり前のことだ。ところが政府・自民党は「尾身氏の非公式の個人的見解」でやり過ごした。
「壁を乗り越える努力を世界に発信していく(スガ)」「繋がりや絆の再生に貢献、世界を1つに(橋本)」「安全安心に開催できると信じている、一段努力する必要がある(山下)」

いよいよ精神論で突っ走るつもりだ。コロナに竹槍ならぬ精神論??!!

原発を考える《原発を止めた裁判官》文 井上脩身

「住宅より耐震性低い」と指弾

樋口英明著『私が原発を止めた理由』(旬報社)の表紙

 2014年に大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を言い渡した元福井地裁裁判長の樋口英明さんが3月、『私が原発を止めた理由』(旬報社)を上梓した。樋口さんが全国各地で行ってきた「原発即時ストップ」を訴える講演内容をまとめたもので、原発が地震にいかに脆弱であるかが、きわめて平易に解説されている。判決は高裁で覆されたが、樋口さんの地震動に関する分析は司法内部に浸透、昨年12月、大阪地裁が同3、4号機についての国の設置許可を取り消す判決を下すことにつながった。樋口さんは「原発の耐震性は一般住宅より低い」と指摘する。福島事故を経験したにもかかわらず、この国では信じがたい事がまかり通っているというのである。 “原発を考える《原発を止めた裁判官》文 井上脩身” の続きを読む