Lapiz2019冬号《東海道・草津宿》井上脩身編集長

和宮の輿が華やかに~3万人の降嫁の列~

10月上旬、京都駅からJR琵琶湖線の電車に乗って彦根方面に向かった。草津あたりで左の窓から比叡山がくっきり見えた。草津から先に行くにしたがって比叡山が遠ざかり、比良山が車窓の景観を占める。ということは、草津はいわば京都の見納めの地ということだ。草津は江戸時代、東海道と中山道の分岐点の宿場として栄えた。京から江戸に下る旅人は、いずれの経路をとるにせよ、草津で比叡山を見つめて都での雅やかな日々を思いめぐらし、これからの長い旅路への不安に心がふさがれるおもいだっただろう。と考えていて、ふと和宮が頭に浮かんだ。第十四代将軍・徳川家茂の御台所になった和宮である。島崎藤村の『夜明け前』に、将軍家に降嫁する和宮一行が馬籠宿を通る様子がえがかれている。和宮は草津から中山道に進んだのだ。和宮は草津で比叡山を見て何を思ったのだろう。私は有吉佐和子の『和宮様御留』(講談社)のページを繰った。 “Lapiz2019冬号《東海道・草津宿》井上脩身編集長” の続きを読む

Lapiz2019冬号《びえんと》井上脩身編集長

令和元年と昭和3年
~共に遠くで軍靴が聞こえる年~

 令和の時代が幕を開けた今年、ラグビーワールドカップでの日本チームの活躍に沸き、来年の東京オリンピックへの期待が高まっている。明るい未来が約束されているかのようだ。そういえるのか。9月24日の毎日新聞夕刊に気になる特集記事が載った。見出しは「今は昭和3年に酷似」とある。昭和3年は西暦でいえば1928年。91年前である。そういえば10月に天皇の即位礼の儀式が行われたが、昭和天皇の即位礼が営まれたのも昭和3年だった。その13年後の1941年に太平洋戦争が始まっている。酷似とは、「戦争前の時代」ということなのであろうか。

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Lapiz2019冬号《巻頭言》井上脩身編集長

 新聞の2段の記事に目が留まりました。見出しは「関電幹部らを告発へ」とあります。記事は、関西電力役員らの金品受領問題で、福井と関西の住民でつくる市民グループ「関電の原発マネー不正還流を告発する会」が、「金品の受け取りは会社法の収賄や特別背任に当たる」として、八木誠前会長ら20人を大阪地検に告発すると表明した(10月25日付毎日新聞)というものです。12月上旬にも告発状の提出を予定しているといいます。告発がなされた場合、検察が起訴に踏み切るかどうかが焦点になるでしょう。

この記事にいう「関電金品受領問題」というのは、9月27日付の同紙で、共同通信の取材として特報されたものです。同日、関電は大阪市の本社で緊急記者会見を開き、岩根茂社長が「関係者に多大の心配と迷惑をかけた」と頭を下げたうえで、高浜原発がある福井県高浜町の元助役、森山栄治氏(今年3月死去)から役員ら20人が計3億2000万円相当を受け取っていたことを認めました。 “Lapiz2019冬号《巻頭言》井上脩身編集長” の続きを読む

書評《日本は個性ある文化と関連性を持つ島々の連なりである》渡辺幸重

-『日本ネシア論』を深読みする-

101人の筆者が480ページをかけて島嶼世界を書き上げた『日本ネシア論』(別冊環㉕、藤原書店、税別4.200円)が刊行された。本書では「ネシアは島の大きな集合体」とし、「日本ネシアは、国としての政治的一体性の内部に、多様性・異質性を抱えつつも、島アイデンティティを重要な一部として共有している集合体である」と説明している。私なりに言い換えると「“ネシア”とは、それぞれを対等な地域の連なりとして島々及び周辺地域を捉える概念」であり、「ポリネシアやミクロネシア、メラネシア、ニューギニア、ボルネオ、フィリピンから琉球列島を含む日本列島、千島列島という環太平洋の島の連なりおよび島と関連のある大陸地域を考えるとき、新しい文明観や価値観が提案される」と期待している。本書はそのための貴重な情報を与えてくれるだろう。

構成は、総論に続いて、日本の島々を先島ネシア・ウチナーネシア・小笠原ネシア・奄美ネシア・トカラネシア・黒潮太平洋ネシア・薩南ネシア・西九州ネシア・瀬戸内ネシア・日本海ネシア・北ネシアに分類し、歴史や文化、民俗、社会制度、宗教、交流、自然など多岐にわたる視点から島嶼社会を論じている(番外遍として「済州島海政学」の項がある)。
ここでは個別に取り上げる余裕はないので、総論および「おわりに」を読みながら島嶼社会の可能性と“危うさ”について考えてみたい。 “書評《日本は個性ある文化と関連性を持つ島々の連なりである》渡辺幸重” の続きを読む

カバーストーリー《4代目 池田 良一さん》中川眞須良

池田刃物製作所
4代目 池田 良一(いけだ りょういち)1972年生まれ

 堺市堺区北庄町1丁に仕事場と住居を構える。高校卒業後すぐ先代刀匠である父・辰男氏に師事。2003年島根県奥出雲で行われた全国試験で刀匠の資格を取得し、伝統工芸士と合わせ2つの称号を持つ堺市内でも数少ない鍛冶屋である。
日常の作業は、鉄と鋼を合わせて打つ鍛接工法による行程が中心である。しかし得意先からは何故か特殊品(小さめの小刀、ペーパーナイフなどの別注品)の製作依頼が多いとか。
「注文があれば可能なものはなんでも作ります。」と。
撮影の後、仕事に対する主義、信条のようなものがあれば?の問いかけに、「私はこの世界ではまだまだ中堅、この年で自分の仕事観のような事を口にするのは時期尚早、口幅ったいです。あと30年ほど先に、自信を持って言えるようになっていれば・・・」
この時大きく目を見開いて、初めてわずかに笑みがこぼれた。

昭和の引き出し《いりこのあった生活》鄭容順

 昭和から平成、そして今年は令和元年を迎えた。昭和19年(1944年)生れの私は昭和時代を長く生きてきた。西暦の記述にこだわる人もおられるが、昭和時代を長く生きた私にはこの度、日本政府が発表している元号で記述していく。

平成は電子機器の発達で昭和では考えられなかった生活スタイルが一変した。携帯電話が発達し、各々鞄の中に携帯電話が入っていた。どこに居ても通話ができた。携帯電話がない時代、待ち合わせに苦労した。待ち合わせに遅れて来る人に、最寄りの駅の掲示板にチョークで、今どこにいると書いていた。駅の改札口を間違うというすれ違いもあった。
今はお金さえ出せば何でもある世のなかになった。 “昭和の引き出し《いりこのあった生活》鄭容順” の続きを読む

中務敦行の《徒然の章》

この夏は暑さ厳しく、10月の下旬になっても夏日が置く、半袖で過ごす日が長く続きました。サクラの開花をめぐっては毎年早くなっているとよく言われます。しかし開花がいつも秋分の日、それも前後1~2日しか狂わないのが、彼岸花でした。
今年、秋分の日の前日(21日)に岐阜県海津市の津屋川を訪れました。ここは土手一面に花が咲く、彼岸花の有名スポットです。(写真上)
ごらんの通り彼岸花は水面近くしか咲いていません。
昨年の23日(秋分の日)の写真(写真下)をご覧ください。
ウメやサクラなど春の花は暖かくなれば咲き、秋の彼岸花は涼しくなれば咲きます。


異常といえば、今年の台風も異常でした。関東から東に大きな台風が二つも上陸し、その被害は甚大でした。
これもあまり記憶にない秋です。
災害も増えてきたようです。新たな対策が望まれます。