びえんと《冤罪を生む仏様顔の取り調べ》~湖東記念病院事件に見る虚偽自白の恐怖~文・井上脩身

西山美香さん(ウィキペディアより)

 滋賀県東近江市の湖東記念病院で入院中の患者を殺害したとされた元看護助手の再審裁判で3月31日、大津地裁は無罪を言い渡した。この再審裁判で明らかになったのは、元看護助手の心の動揺に乗じ、捜査員を信頼させて迎合自白を取る手口だ。元看護助手の西山美香さんが取り調べ刑事を好きになって行ったウソの自白が、原審で有罪の決め手にされてしまったのだ。狭山事件では、犯人とされた石川一雄さん(仮出所中)が、信頼する巡査部長にほだされて、やはりウソの自白をしている。憲法は拷問や強制による自白は証拠と認めないと規定している。しかし、取り調べに際してこうした強面法とは逆の、みせかけ温情法もまた冤罪の元なのである。

再審で有罪立証放棄

湖東記念病院(ウィキペディアより)

 事件は2003年5月22日午後4時半ころ、人工呼吸器なしには生命が維持できない重篤な状態で入院中の男性患者(当時72歳)が心肺停止状態になっているのを、おむつ交換に回ってきた看護師と看護助手が発見。救命処置が施され、一時心拍が回復したが7時31分、患者の死亡が確認された。

 滋賀県警は、看護師か看護助手が、人工呼吸器が外れたのに気付かなかったために患者を死亡させたとみて、業務上過失致死容疑で捜査。病院関係者は「人工呼吸器の不具合でアラームが鳴らなかったのが原因」と主張したが、約1年後、取り調べ担当になったY刑事は西山さんに、アラームが鳴っていたことを認めるよう迫った。西山さんはいったん「アラームは鳴っていた」と供述したが、その後、「本当は鳴っていなかった」などと供述を転々とさせた揚げ句、「自分がチューブを引き抜いて殺した」とを自白、殺人容疑で逮捕、起訴された。公判で無罪を主張したが、2005年11月29日、大津地裁は西山さんに懲役12年を言い渡し、2007年、最高裁で刑が確定した。

 西山さんは服役しながら2010年の第1次再審請求(棄却)につづいて、2012年、第2次再審を大津地裁に請求。同地裁が請求を棄却したため弁護団が即時抗告。2017年12月20日、即時抗告審で大阪高裁は再審開始を決定。2020年2月3日、大津地裁で初公判が行われた。

 2017年8月24日に刑期を終えて出所していた西山さんは再審初公判に出廷。被告人質問で、ウソの自白をした理由につて「(刑事に)『2人いる兄にコンプレックスを抱いている』と明かすと、刑事は『あなたも賢い』と話してくれた。若い男性と話したことがなかったので、すごくうれしかった」と述べた。この若い刑事がY刑事である。Y刑事を慕う気持ちから刑事に気に入られたいという思いが募り、虚偽自白になった、とみられた。

 検察側は原審段階の04年7月27日付起訴状を読みあげたものの、冒頭陳述で「被告人が有罪との新たな立証はせず、裁判所に適切な判断を求める」と、有罪立証を放棄した。ほとんどの再審公判では検察側は改めて有罪を立証し求刑も行う。冤罪であることが濃厚で、無罪になったケースでもこの姿勢は変わらない。有罪の立証放棄は、罪なき人を誤って犯人にしたことを検察側が認めたにひとしい。それは、誤った捜査を行ったことを意味する。したがって再審裁判は、西山さんの自白が虚偽であることの確認という様相をおびた。

無実にも謝罪しない検察

無罪判決を喜ぶ支援者ら(毎日新聞の記事より)

 判決公判は3月31日に開かれ、大西直樹裁判長は西山さんに無罪を言い渡した。大西裁判長は西山さんの自白について、「取調官は、被告人の迎合的な態度や自身への恋愛感情を利用したり、弁護人への不信感をあおるなどの言動を繰り返し、影響力を独占的に行使する立場を確立した」と判断し、「捜査情報に整合する自白を引き出そうとした」と認定。「自白は合理的理由なく激しく変遷しており、信用性にも任意性にも疑いがある」として自白調書の証拠能力を否定、「自白以外の証拠では、そもそも事件性が認められない」と結論づけた。

 強烈な判決である。「事件性が認められない」とは、人工呼吸器を外したという事件ははじめからなかったことを示す。西山さんを犯人に仕立て上げただけでなく、事件そのものをでっち上げたというのである。

 すでに有罪立証を放棄した以上、検察はこの判決で非を認め、西山さんに謝罪すべきであろう。大津地検は控訴せず、無罪が確定したものの、謝罪などもってのほか、という態度である。

 検察の謝罪としては、極めてまれなケースとして足利事件がある。

 足利事件は1990年5月、栃木県足利市の渡良瀬川河川敷で女児が遺棄死体で見つかった殺人事件。菅家利和さんが逮捕、起訴され無期懲役が確定。2008年、宇都宮地裁は再審請求を棄却したが、即時抗告審で東京高裁はDNAの再鑑定を決定。その結果、女児の下着に付着していた体液が菅家さんのものと一致しないことが判明、東京高検は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」との意見書をつけるという異例の展開となった。菅家さんは釈放され、2009年10月、宇都宮地検の検事正は「心から謝罪する」と陳謝。2010年3月26日、宇都宮地裁は再審判決で「自白は虚偽」として菅家さんに無罪を言い渡した。

 足利事件では、捜査段階で菅家さんは取り調べ刑事から「お前がやった」と、殴る蹴るの暴行を受け、拷問同然の取り調べによる苦しみから逃れたい一心で、ウソの自白をした。これに対し湖東記念病院事件の西山さんは、刑事を慕っての虚偽自白である。取り調べテクニックは全く異なるが、再審で有罪を立証できないことには変わらない。だが、検察側からは一言たりとも西山さんへの謝罪の言葉はなかった。

 すでに述べたように、有罪を立証できないということは、起訴そのものが誤りだったことを意味する。ましてや被告人に懲役12年の刑に服役させるということは毛頭あってはならない。謝ってすむ問題ですらないのである。それにもかかわらず、謝罪しないとはどういうことであろうか。検察官には良心がひとかけらもない、というほかない。

刑事を好きになり迎合自白

 冒頭、西山さんが刑事を好きになって自白したと述べた。西山さんの心の動きを考えてみたい。

 すでにふれたように、人口呼吸器のチューブが外れるとアラームが鳴る仕組みになっており、事件のポイントはアラームが鳴ったかどうかである。西山さんは発達障害があり、情緒不安定なところがある。そこを刑事に巧みにつけこまれ、アアラームが鳴ったことにされたのではないか。

 調べてみると、西山さんは2018年1月、女性週刊誌のインタビューに次のように答えている。

 取り調べで、「アラームは鳴っていなかった」というと、刑事は「そんなはずはない。ウソをつくな」と机をたたく。座っていた椅子の脚を刑事が蹴って尻もちをついたので、怖くなって「アラームが鳴った」というと、刑事は急にやさしくなった。

 刑事は「殺人罪でも執行猶予がついて刑務所に入らないでいいこともある」と話したり、西山さんが拘置所で規律違反をすると、「私が処分を取り消したてあげる」ともちかけたりした。西山さんは国立大学を出ている二人の兄にコンプレックスを感じていた。刑事が「お兄さんと同じように賢いところがあるよ」と言われてうれしくなってしまった。

 逮捕後の拘置中、刑事は西山さんに面会。「今まで通り認めていたら大丈夫やから心配ない」と自白を維持するよう求めた。西山さんが「弁護士さんに、殺してないと言っている」と答えると、刑事は「検事さんあてに『私が否認しても、それは私の本当の気持ちではなく、弁護士さんに言われました』と書け」と指示。西山さんは2004年9月、「検事さんへ」という上申書を提出した。

 起訴の2、3日前、西山さんは刑事の手の甲をなでて「会えなくなるのがさびしい」と嘆き、 別の日には、「離れたくない。もっと一緒にいたい」と抱きついた。刑事は拒否せず「頑張れよ」と励ましてくれた。

 西山さんは、取り調べ刑事について、週刊誌の取材に以上のように語った。

 西山さんは「私が取り調べの刑事のことを好きになって、気に入ってもらおうとどんどんウソを言ってしまった。こんなことになるとは思わなかった」と気づき、裁判で無実を訴えたが、原一審の大津地裁は「その場にいた者にしか語れない迫真性に富んでいる」と信用性を認め、有罪の根拠にした。

 第2次再審で弁護側は解剖時の血液データに注目し、「致死性不整脈で病死した可能性がある」との医師の意見書を新証拠として提出。アラーム音を聞いたかどうかについての自白も不自然に変遷しており、「自らの体験を供述しているのか疑わしい」と指摘した。再審判決ではこうした弁護側の主張を全面的に認めた。

 冤罪を訴え続けた西山さんが無罪を勝ち取ることができたのは事件から17年後のことである。

顔見知り警官にウソの自白

 冒頭にふれた狭山事件は1963年に発生した女子高校生殺人事件。同年5月1日、埼玉県狭山市の女子高校生宅に「子供の命がほしかったら20万円をもってくるように」との内容の脅迫状が届き、同4日、同市内の畑で女子高校生の遺体が見つかった。埼玉県警は同23日、別件で石川さんを逮捕、さらに6月18日、本件の強盗・強姦・強盗殺人・死体遺棄容疑で再逮捕した。同月20日、石川さんは「3人による共犯」として犯行を自白し、23日、「単独犯行」に変更。同26日、石川さん宅から女子高校生の万年筆が発見され、こうした証拠をもとに7月9日、起訴された。

 以上が大雑把な概略である。石川さんは1964年3月11日、浦和地裁で死刑判決を受け、東京高裁の第1回公判から否認に転じた。1974年、同高裁は無期懲役を言い渡し、77年、最高裁は上告を棄却、無期懲役が確定した。第1次、第2次の再審請求は棄却され、2006年5月23日、第3次再審請求を行った。石川さんは1994年12月に千葉刑務所を仮出所後、冤罪をテーマにした映画などで無実を訴えつづけている。

 本項の冒頭で、石川さんが自白し、有力物証である万年筆が発見されたと述べた。石川さんが殺人犯とされたこの二つの重大な証拠に絡んでいるのが狭山署の関源蔵巡査部長(当時)である。

 裁判記録によると、関巡査部長は石川さん宅から歩いて2、3分の所に住んでいた。石川さんが学校で行った野球の試合を見に行ったときに知りあい、関巡査長は審判をかってでたほか、野球の指導も行った。

 石川さんは再逮捕され、川越署の分室で取り調べを受けた。その取り調べ室に関巡査部長が狭山署長の命令で顔をだした。

原1審の第5回公判に出廷した関巡査部長は次にように証言した。

 6月23日、室内で石川さんと二人だけになったとき、石川さんが「関さん、おれがやったんだ」と言いだした。「Y(被疑者)ちゃん、いかっていた(埋めた)のはどういうふうにやったんべ」と尋ねると、「おれも見てないんでわからないよ」と石川さんは答えた。

 殺害したが遺棄は「見ていない」という矛盾した自白だが、その吟味は本稿の目的ではない。関巡査部長の証言は、石川さんが自主的に自白したことの裏付けとして裁判上、重要な意味を持った。

 では、なぜ石川さんはそのような自白をしたのだろうか。自白撤回後、石川さんは以下のように供述した。

 取り調べで刑事課長から「殺人を認めれば10年で出してやる」「認めなければ、お前を殺してYのように埋めてしまう」「認めなくても、別件で10年は出られない」などと脅迫されつづけた。気持ちがどん底だったとき、タイミングよく関巡査部長が現れ、「石川君、打ち明けてくれ。Yさんを殺したのなら話してくれ。話してくれないなら帰ってしまう。それでもいいのか」と手を取って涙を流した。さらに関巡査部長は「わしがいない間は寂しかっただろう」と手を握り、肩をなでたりして優しい言葉をかけてくれた。どうせ認めなくても10年は出られないなら、認めることで責め苦から解放されたい、と思って、関巡査部長に「3人でやった」と言った。

 関巡査部長の証言と石川さんの供述を合わせてみると、刑事課長と関巡査部長の見事な連携プレーであったことが分かる。刑事課長に攻められつづけてへとへとになったところに、ぽっと現れて一緒に泣いてくれた関巡査部長。石川さんには心温かい観音様に見えたことだろう。

弁護人立ち会いの確立を

 湖東記念病院事件と狭山事件に共通しているのは、取り調べにおけるアメとムチの使いわけだ。湖東記念病院事件では刑事が強面役と仏様役の一人二役を担っている。狭山事件では刑事課長が強面役、関巡査部長が仏様役を担った。強面役の拷問に近い取り調べにへとへとになった容疑者は、仏様は単なる仮面であり演技でしかないことを見破る心の余裕がない。石川さんの供述にみられるように、この責め苦から逃れたいという思いから、仏様役にすがりついてしまうのだ。

 犯行をしていないなら、すがりついて、「やってない」ことをわかってもらおうとするはず。「やりました」という言葉は、真実を語ったものだ――と多くの裁判官は判断する。だが、取り調べ室に監禁状態にされ、孤立無援のなか、一刻も早くここを出たいと願うのは当然だ。解放されるには「やった」というしかない。どうせ認めるなら、仏様の前で言おう。悲しいかな、これが厳しい取り調べの渦中にある被疑者の心理なのである。

 仏様の前での自白であるため、何度も触れたように、外見上は自主的自白に見え、裁判官の判断を誤らせるのだ。

 犯罪の容疑者から自白を求めることは、基本捜査の一つである。問題はどういう場合が任意の自白といえるかだ。取調官が外面だけの仏様でなく、一貫して真に仏様であれば、その自白は自主的に発露されたものといえるだろう。冤罪をなくすには、この「一貫した真正仏様」による取り調べの保障以外にない。具体的には取り調べに際しての弁護人の立ち会いの保障である。逮捕前の任意聴取から弁護人の立ち会いが認められるべきである。任意出頭段階で虚偽自白をさせ、それに基づいて逮捕、起訴へと進むことが多いからである。どんなに遅くとも、供述調書を取る段階で弁護人を同席させるべきであろう。

 日弁連は2019年10月4日、日本の刑事司法制度が国際水準に達していないと国内外から批判されている、として「弁護人の援助を受ける権利の確立を求める宣言」を出した。この中で「多くの国・地域で認められている弁護人の取り調べへの立ち会いが許されていない。(このため)捜査機関は、長時間の取り調べを行い、取調官の見立てに沿った供述をするよう強要、憲法で認められている被疑者の黙秘権の行使は今なお容易でない」としたうえで、「取り調べの可視化の全件への拡大を実現するとともに、憲法で保障された弁護人の援助を受ける権利を実質的に確立するために、取り調べを受ける前に弁護士の助言を受ける機会の保障、逮捕直後からの国選弁護制度の実現などと併せて、弁護人を取り調べに立ち会わせる権利の確立の実現に向けて全力を挙げて取り組む」と決意を表明。国に対し「検察官、警察職員は、被疑者または弁護人の申し出を受けたときは、弁護人を取り調べおよび弁解の機会に立ち会わせなければならないとするよう、刑事訴訟法を改正する」ことを求めた。

ボールは政府に投げられた。湖東記念病院事件で浮かび上がったのは、「犯罪をしなかった者が犯人にされることは断じてあってはならない」という、当たり前のことが保障されていない警察・検察の捜査の実態である。政府はそれを放置しつづけてきた。今問われているのは政府の人権感覚の欠如なのである。

井上脩身 (いのうえ おさみ)1944 年、大阪府生まれ。70 年、毎日新聞社入社、鳥取支局、奈良支局、大阪本社社会部。徳島支局長、文化事業部長を経て、財団法人毎日書道会関西支部長。2010年、同会退職。現LAPIZ編集長