冬の夜更けは・・山城の国物語005《第26代継体天皇-02》片山通夫

田中の集落・高島市

もう少し継体天皇の謎を書いてみたい。最も興味を持った筆者が戯れに書いているだけなので、そのつもりでお読みいただきた。
コロナの影響と寒波襲来の中、滋賀県高島市へ出かけた。目的は継体天皇の出自を肌で感じるため。幸いにして雪も降らなかって、というか晴天に恵まれて田んぼの雪がまぶしかった。
高島市には田中という集落がある。そこに田中神社があった。田中神社の祭神は建速素盞嗚尊(スサノオ)、奇稲田姫命(クシナダ)そして八柱御子神*(やはしらのみこがみのみこと)。直接継体天皇とは無関係の神々である。少し考えてみたら、スサノオはかつて天上から追放された時に一旦韓国・新羅の国に降り立ったことがある。新羅の国には牛頭天王(ごずてんのう)が居られたらしい。その牛頭天皇が天上から降り立ったスサノオに乗り移ったとか・・・・。だからなのか京都の祇園祭で有名な八坂神社の祭神も田中神社と同じである。最もどちらが先なのかはわからない。八坂神社の社伝によれば、斉明天皇2年(656年)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建となっているようだ。田中神社の創建は一説に貞観年間(9世紀後半)とされるから800年代と言われているので八坂神社よりも新しい。

ともあれこの田中神社の周りに「継体天皇の両親が住んでいた」という。その名を彦主人王(ひこうしのおう/ひこうしのおおきみ 生没年不詳)は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の皇族(王族)。『日本書紀』継体天皇即位前条によると、彦主人王は近江国高島郡の「三尾之別業」(現在の滋賀県高島市の安曇川以南域)におり、越前三国の坂中井(さかない:現在の福井県坂井市の旧三国町域)の振媛(ふりひめ・垂仁天皇七世孫)を娶った。その後振媛は男大迹(ヲホド、のちの継体天皇)を生んだが、その幼少のうちに彦主人王は死去。そのため振媛は高向村(現在の福井県坂井市の旧丸岡町域)に帰郷して、男大迹王を養育したらしい。

*八柱御子神は素戔嗚尊の8人の子供である八島篠見神(やしまじぬみのかみ)・五十猛神(いたけるのかみ)・大屋比売神(おおやひめのかみ)・抓津比OK売神(つまつひめのかみ)・大年神(おおとしのかみ)・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)・大屋毘古神(おおやびこのかみ)・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)の総称