連載コラム・日本の島できごと事典 その67《伊豆大島暫定憲法》渡辺幸重

大島暫定憲法(日経ビジネスHPより)https://onl.tw/q8qSHkF

第二次世界大戦後、沖縄や奄美、小笠原などが米軍に統治されたことはよく知られていますが、伊豆諸島も一時同じ状況になったことはあまり知られていません。実は、1946(昭和21)年1月29日から3月22日まで伊豆諸島は沖縄などと同じように連合国軍総司令部(GHQ)の「若干の外廓地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」によって日本政府の施政権から分離されました。このとき、伊豆大島では独立を想定し、島民の手によって伊豆大島暫定憲法(「大島大誓言(おおしまだいせいごん)」)が制定されました。この暫定憲法は「島民主権(主権在民)」「平和主義」の精神に基づいており、同じ年の11月に交付された日本国憲法の理念を先取りする民主憲法でした。
GHQの覚書は、日本帝国政府に対して「日本」以外の地域での政治上・行政上の権力行使を禁止するよう指令するもので、その「日本」は「北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)」などを含まず、「伊豆南方」も除かれていました。これが伊豆諸島のことです。これを知った伊豆大島では島内6ヶ村の村長らによる会議が持たれ、「日本から分離されたなら大島の独立を目ざして憲法を制定しよう」ということになりました。伊豆諸島を管轄する米海軍太平洋艦隊司令官(CINCPAC)は当面の間は行政機関を置かず監督のみを行うと通達したため、島では村長会や合同協議会を開き、島の民主的自治・島民生活の安定・世界平和に寄与する政治団体の創設に向けた申し合わせがなされました。各村からは大島議会の議員選挙にかかわる準備委員が選ばれ、国の最高規範である憲法作成に取りかかりました。そして、憲法「大島憲章」を議会で制定するまでの「島民総意ノ一大誓言」として作られたのが「大島大誓言」、通称「伊豆大島暫定憲法」です。
暫定憲法は、前文と第1章「統治権」・第2章「議会」・第3章「執政」の全3章23条の本文から構成され、前文では「旺盛ナル道義ノ心ニ徹シ万邦和平ノ一端ヲ負荷シ」と平和主義を掲げ、第1章第1条では「大島ノ統治権ハ島民二在リ」と主権在民を高らかに宣言しました。議会の議員や執政府は島民の選挙で選ばれ、リコール権(議会の解散、執政府の不信任)も規定されています。
独立への動きの中で、立法・行政府にあたる「最高政治会議」や司法府に相当する「自治運営協議会」などの素案作成にも着手し、「大島島民会(仮称)」も設立されましたが、1946(昭和21)年3月22日のGHQ指令によって伊豆諸島が日本復帰とされ、「大島共和国」の動きは53日間で終わり、独立国は幻に終わりました。以降、暫定憲法は忘れられてしまいましたが、1997(平成9)年に大島町立郷土資料館で暫定憲法の原文とその草案、制定過程を示したメモなど約20枚が発見され、その歴史的価値が脚光を浴びました。