冬の夜の昔話《樺太から戻ったコロポックル 最終回》片山通夫

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アイヌ民族

 

 

 

 

 

 

 

 

アイヌ民族は日本政府による同化政策でどんどん少なくなっている。そんな中、国連は先住民の権利を認めた「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が、2007年、ニューヨークの国連本部で行われていた第61期の国際連合総会において採択された。

日本は少なからぬ政治家等が「日本は単一民族」と口走っては撤回している。つまり「過ちを指摘されて初めて」陳謝・撤回する。根底から改めるというわけでもなさそうである。アイヌ民族のみならず、わが国には琉球民族などが存在する。 “冬の夜の昔話《樺太から戻ったコロポックル 最終回》片山通夫” の続きを読む

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冬の夜の昔話《樺太から戻ったコロポックル 10》片山通夫

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イオマンテを行うアイヌの男性たち。供物を捧げている。(1930年撮影)

いずれにしても樺太から北海道へ戻ったアイヌは日本による同化政策のよって、どんどん減少してゆく。明治政府以来の日本政府のアイヌ民族だけではなく琉球民族や朝鮮民族に対する対応はすべからく高圧的だったことは否めない。
明治政府のよって宗谷に移住させられたアイヌ民族は農業を強いられた。彼らは狩猟民族である。その文化を無視して農業を「指導」してもおよそ無理な話だ。今や北海道の河川に登ってくる鮭も自由には穫れない。無論イオマンテ(熊祭り)などは出来ないようだ。北海道におけるイオマンテの儀式は1955年に北海道知事名による通達(2007年4月、通達を撤回している)によって「野蛮な儀式」として事実上禁止となった。類似の熊送り儀礼は、樺太周辺のニヴフなど、ユーラシア・タイガの北極圏に近い内陸狩猟民族に広く存在している。イオマンテもその一種である。

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冬の夜の昔話《樺太から戻ったコロポックル 9》片山通夫

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宗谷岬に立つ案内標識「サハリン(旧樺太)43Km」とある。

樺太は歴史的に見てその地位は複雑だった。1855年の日露和親条約で千島列島(クリル列島)の択捉島と得撫島との間と定められた。しかし樺太は国境を定めることができなかったので、日露混住の地となった。国境がなかったのだ。その20年後の1875年にようやく
千島・樺太交換条約を結んで樺太全島はロシアに、千島列島は日本に帰属する。
ところが樺太アイヌと千島アイヌなど先住民は「3年の経過措置ののち、その時点での居住地の国民」ということになった。しかし日本は北海道開拓使の長官黒田清隆が「一応形だけの募集を行った」がアイヌの反発が強く当時の南樺太に在住していた先住民族は、アイヌを主体に2372人だったが、そのうち108戸841人の樺太アイヌが宗谷へ移住しただけだった。この強制移住政策ともいえる政策はアイヌ側の反発は強かったようで、108戸841人だけが対岸(海峡を挟んで43キロしかなかった)の宗谷へ移住しただけだった。

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冬の夜の昔話《樺太にわたったコロポックル 8》片山通夫

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ニヴフ 民族

筆者は2000年前後からサハリンに通い詰めた。その間、様々な人と会い、聞いた。無論主目的の残留朝鮮人のことが主だったが、少数民族のことも折に触れ聞いた。しかしそこにはアイヌ民族の痕跡は筆者が知る限り残っていなかったことを書き加えておきたい。

ウイキペディアによると、「樺太アイヌ」または「サハリンアイヌ」の名前で知られているものの、実際には樺太全域に居住していたわけではなく、特に樺太南部に集中して居住していた。これは樺太アイヌの祖先が先住民(オホーツク文化人=ニヴフ)を押しのける形で北海道から樺太へ進出していった歴史が関係していると考えられる。13世紀から近代に至るまで、樺太では樺太アイヌ、ウィルタ(アイヌからの呼称はオロッコ)、ニヴフ(アイヌからの呼称はスメレンクル)の3民族が共存していた。
 現在、サハリンには「樺太アイヌ」はいないといわれている。大きな原因の一つが、ソ連の対日参戦時に北海道へ日本当局によって北海道へ移住させられたためである。それでもおよそ100人の樺太アイヌがサハリンに残っていたらしい。
 大部分の樺太アイヌがソ連対日参戦後に日本の当局により北海道に避難させられた。現在のサハリン州にも個人としてはアイヌが存在している可能性はある。1949年の時点では約100人のアイヌがサハリンに残っていたという。ソ連当局はサハリンにおいて子供にアイヌを名乗らせないように圧力を掛けた。1980年代には3人の純血のアイヌが亡くなり、数百人ほどの混血者だけが現在も居住している。しかし彼らは先祖であるアイヌに関する知識はほとんどない。
(この項続く)

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冬の夜の昔話《樺太にわたったコロポックル 7》片山通夫

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北緯50度線上に立つ日ソ平和友好の碑

北緯50度線以南のサハリン島は1905年の日露戦争の結果日本の領土となった。その前に大部分の樺太アイヌがソ連の対日参戦前に日本の当局により北海道に避難させられた。現在のサハリン州にも個人としてはアイヌが存在している可能性はある。1949年の時点では約100人のアイヌがサハリンに残っていたらしい。ソ連当局はサハリンにおいて子供にアイヌを名乗らせないように圧力をかけた。1980年代には3人の純血のアイヌが亡くなり、数百人ほどの混血者だけが現在も居住していると言われている。しかし彼らは先祖であるアイヌに関する知識はほとんどない。
では日本当局に移動させられた樺太アイヌはどのような運命をたどったか?(この項続く)

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