冬の夜更けは・・山城の国物語002《古墳時代の木津川あたり》片山通夫

 Lapiz2021冬号で【山城の国物語《木津川界隈》】を書き始めた。もう少し深くこのあたりのことを調べてみようと思う。

古墳のあったところからJR奈良線と木津川方面を見る

山城の国の歴史は古い。古墳時代にさかのぼる。3世紀頃の古墳が見t目られるほどである。その古墳に椿井大塚山古墳がある。椿井は「つばい」と読む。ちょうどJR奈良線が木津駅から京都へ向かってしばらく
進むと右側、木津川を望む丘陵に立地する。時代は古く古墳時代前期はじめに造成された前方後円墳である。奈良桜井市の箸墓古墳が造成された時代とほぼ同じ時代に匹敵する。もっと言えば邪馬台国の時代だといえる。

1953年にJR奈良線の改良工事のさなか、偶然竪穴式石室が発見されて三角縁神獣鏡三十数面を含む銅鏡計40面ほどが出土した。この三角縁神獣鏡は時代が時代であり、所謂邪馬台国の女王卑弥呼に中国から贈られた三角縁神獣鏡という説も有力である。箸墓古墳の埋葬者が卑弥呼である説も有力と考えられる。

参考
椿井大塚山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E4%BA%95%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

ヤマト王権
「古墳時代3世紀中頃ー7世紀頃」とは簡単に言うと大和朝廷成立前後の時代であり、ただ小国が複数存在したとも考えられるし、飛鳥時代が適切だとも思われる。この辺りはいまだ定かではない。
https://is.gd/If00SX

いずれにしても正確な記録のない時代であり、今や新発見でもない限り永遠のテーマと言える「邪馬台国はどこにあったか」の時代でもある。無責任なことを言うなら、読者自身の感性で考えることが最良と思われる。それには従来から言われている「邪馬台国北九州説」でも「近畿説」でも良いのではと思う。

ともあれ木津川沿岸の地域は歴史的に見て様々な時代の遺跡・旧跡などが今に残されていて興味は尽きない。無論この時代は「山城の国」とは呼んでなかったはずだ。7世紀に「山背国」という表記で国が建てられたのが始まりだと思う。