Lapiz2021夏号 Vol.38《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身

浦島充佳著『新型コロナ データで迫るその姿』(化学同人)の表紙

感染症や疫学が専門の医師、浦島充佳さんの近著、『新型コロナ データで迫るその姿』(化学同人)を読んでいて、懐かしい言葉に出合いました。「ネアンデルタール人」。中学生のころ、旧人類の一つとして習ったように記憶しています。現在は旧人に分類されているそうです。そのネアンデルタール人のもつ遺伝子が新型コロナの重症化と強い相関があると浦島さんはいいます。ネアンデルタール人は3、4万年前に絶滅したとされています。ところがその遺伝子が21世紀の感染症と大いに関係ある、と語るのがほかならぬ浦島という名字の研究者ですから不思議な因縁をおぼえます。コロナ問題は人類が古代から抱えていたのかもしれません。 “Lapiz2021夏号 Vol.38《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

Lapizとは

パレスチナの少女

Lapizはスペイン語で鉛筆の意味
(ラピス)
地球上には、一本の鉛筆すら手にすることができない子どもが大勢いる。
貧困、紛争や戦乱、迫害などによって学ぶ機会を奪われた子どもたち。
鉛筆を持てば、宝物のように大事にし、字を覚え、絵をかくだろう。
世界中の子どたちに笑顔を。
Lapizにはそんな思いが込められている。

読切連載アカンタレ勘太 8《アトムごっこ》文・挿画  いのしゅうじ

アカンタレ勘太 1-7

 

アトムの矢

アトムの矢

テッちゃんが自分のせきにつくなり、
「おもしろいんや」
と、カバンの中から一さつの本をとりだした。「少年」というまんがざっしだ。
ページをめくって、テッちゃんは「これや」と勘太に見せる。
『科学まんが 鉄腕アトム』という題で、ツノが二本でているようなかみ形の、たまごみたいな目をした男の子がえがかれている。
「てづかおさむ(手塚治虫)のまんがや」
テッちゃんはとくとくという。
「アトムはロボット。最初はアトム大使やった。ことしから鉄腕アトムになったんや」
武史がまんがをのぞきこんだ。アトムが月にむかってとんでいる。
「アトムごっこやろう」
とテッちゃんがいいだした。
「アトムをつくるんや」
「ロボットなんかつくれるわけないやろ」
といったやりとりがあって、
「弓をやろう。矢のさきにアトムの絵をつける」
と、ちえをだしたのは武史だ。
隆三のおとうさんに弓と矢の材料をたのむと、おとうさんは十人分そろえてくれた。
つぎの日曜日。武史の家で勘太とテッチャンが弓づくりにかかっていると、タミちゃんがユキちゃん、ヒロ子をともなってやってきた。 “読切連載アカンタレ勘太 8《アトムごっこ》文・挿画  いのしゅうじ” の続きを読む

山陽道・明石宿《蕪村の足跡をたずねて》文・写真 井上脩身

蕪村が自らを描いた絵(『蕪村 放浪する「文人」』より)

ようやく春めいてきた。コロナ禍のなか、巣ごもりがつづいていたので、海が見たくなった。ふと「春の海――」という蕪村の句が頭をよぎった。讃岐に行く途中、須磨で詠んだといわれている。ならば明石宿で泊まったのではないか。芭蕉の句に「蝸牛角ふりわけよ須磨明石」がある。江戸の俳人は須磨と明石をひとまとめに捉えていたようだ。おそらく須磨で源平合戦を想い、明石で海の幸に舌つづみをうったのであろう。「宿場町シリーズ」ではたびたび芭蕉をとりあげてきた。明石は旅多い芭蕉の生涯の西端の地とされているが、今回はあえて須磨・明石で蕪村の足跡を探った。 “山陽道・明石宿《蕪村の足跡をたずねて》文・写真 井上脩身” の続きを読む

コロナ《アメリカファーストからの転落~コロナ蔓延世界最悪の意味~》井上脩身

コロナ菌

昨年2月24日、イタリア保健省は新型コロナウイルス感染例が229件にのぼり、6件の死亡例があると発表、イタリア北部は事実上封鎖状態になった。コロナは次いで地中海を越え、アフリカで蔓延するであろうと思われた。しかし、その予想は外れた。新型コロナウイルスは大西洋を越えて、アメリカで猛威を振るったのである。世界一の経済大国がコロナに対してあまりにも脆弱であることにあ然とするが、このことは、アメリカが世界のファーストの座からずり落ちるときがそう遠くないことを示している、と私はみる。 “コロナ《アメリカファーストからの転落~コロナ蔓延世界最悪の意味~》井上脩身” の続きを読む

びえんと《「アンダーコントロール」を中心に安倍前首相発言のウソを考える》Lapiz編集長 井上脩身

桜を見る会

安倍晋三前首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭の参加費用問題に関し、2020年12月25日に行われた衆院議院運営委員会での安倍氏の答弁に私はあきれかえった。平たくいえば秘書のウソを真にうけたというのだ。見えすいたウソをつく方もつく方だが、それを信じたというなら、前首相は社会人としての最低限の判断力もないことになる。それでは7年8カ月にも及ぶ憲政史上最長の政権を維持できるはずがない。安倍氏を大ウソつきとみるしかないだろう。しかし、朝日新聞記者、三浦英之氏の『白い土地――ルポ「帰還困難区域とその周辺」(集英社)を読んで、いささか考えを改めた。安倍という人は、身内や側近官僚の忖度発言にひそむウソを見抜く能力が本質的に欠けているように思えるのだ。単なる世間知らずのボンボンにすぎないのではないか。そのボンボンにウソの情報を流して長期間背後から操った影の人物はいたのでは、という疑念を私はいだいている。 “びえんと《「アンダーコントロール」を中心に安倍前首相発言のウソを考える》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

原発を考える。《全電源喪失した海外の原発 ~過去の事故例から見る重大責任~》井上脩身

福島第1原子力発電所の事故から間もなく10年になる。この間、国も東京電力も刑事上何ら責任を問われることがなかった。裁判で国、東電の責任がないとされたのは、「巨大津波による全電源喪失は想定外」という主張が認められたからだ。私はLapizの「原発を考える」シリーズのなかで、東電内部でも15・7メートルの津浪予測をしていた事実があることから、少なくとも東電幹部には巨大津波を予見できたはずで、明白に刑事上の過失責任がある、と述べてきた。最近、こうした将来の津浪予測だけでなく、過去にも海外の原発では洪水などによって全電源が喪失する事故が起きていたことを知った。国や東電がこの事実を知らなかったはずがない。「想定外」は明白にウソなのである。事故10年の節目を機に、改めて国と東電の責任を問い直さねばならない。 “原発を考える。《全電源喪失した海外の原発 ~過去の事故例から見る重大責任~》井上脩身” の続きを読む

編集長が行く《尾形光琳の傑作と多田銀銅山 002》Lapiz編集長 井上脩身

光琳の師、山本素軒

狩野山楽像(ウィキペディアより)

多田銅山の白目鉑だけで光琳と結びつけるのはいささかムリがあろう。
前掲の『国史跡多田銀銅山』に「豊臣秀吉、絵師狩野山楽に紺青間歩の採掘権を与える」と書かれている。紺青は紫色を帯びた暗い青色のことだ。多田銀銅山のホームページには「秀吉によって鉱山開発が進み、紺青間歩では岩絵の具の顔料となる紺青を産出した」とある。山楽は絵の才能に加えて、秀吉に食い込む政治力と商売の才にもたけていたようだ。
狩野山楽(1658~1635)は光琳誕生の23年前に死んでいる。したがって二人に接点はないが、もし光琳が多田銀銅山との間に何らかの関係があるならば、山楽との間にも何らかのつながりがあるはずだ。
狩野山楽は浅井長政の家臣、木村永光の子として近江の国に生まれ、浅井氏が信長に滅ぼされた後、秀吉につかえた。秀吉の命で狩野永徳の養子となって狩野姓を名乗り、天正年間、安土城障壁画などの制作に加わる。永徳が東福寺法堂天井画の制作中に倒れると、山楽が引き継いで完成させ、永徳の後継者と認められるようになった。豊臣家とのかかわりが深くなっていたため、大坂城落城後、男山八幡宮の松花堂昭乗の元に身を隠したが、その後、九条家の尽力を得て、武士ではなく一画工として助命された。駿府の家康に拝謁が叶い、京に戻り徳川秀忠の依頼で四天王寺の聖徳太子絵伝壁画を制作。長男が早世したため門人の狩野山雪を後継者とし、晩年は弟子に代作させることがしばしばだったという。
こうした山楽の生涯を概観すると、節操がないと言えるほどに変わり身が早い人物だったようである。 “編集長が行く《尾形光琳の傑作と多田銀銅山 002》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む