2018autumn原発を考える《帰還でも戻らないふるさと》井上修身

『福島第1事故7年 避難指示解除後を生きる』に紹介された避難指示解除後の現実に、千葉地裁での原発訴訟の弁護側主張と柳田邦男氏のコラムを重ね合わせると、避難指示解除後も「ふるさと喪失」状態が続いていることがわかる。逆にいえば「ふるさと喪失」状態を放置したまま、政府は帰還を急いだのだ。
同書は海が汚染された漁港の悩みも取り上げている。寺島氏は、安倍首相がオリンピック招致演説で汚染水について「アンダーコントロール」と国際公約したことに焦点をあて、「公約の手前、オリンピックの前に福島第一原発が抱える問題の目に見える解決や復興ぶりを見せたいというのが政府の本音ではないのか」と指摘している。

オリンピックといえば1964年に開催された東京オリンピックは経済成長の象徴としての意味も大きかった。実際、東海道新幹線が開通し、その前年には名神高速道路が生まれた。それは同時に首都圏に人々が集中することにつながった。一方経済成長政策は、それにともなう電力需要を賄うためとして原発推進に力点がおかれた。今思えば、東京オリンピックが華やかに開かれる影で、ふるさと喪失が進みだしたのだった。

豊かな自然と恵まれたコミュニティーのなかで子どもが伸び伸びと過ごせるふるさとは今どこかで見いだすことができるだろうか。あるいはわずかに残るふるさとも2021年の東京オリンピックによって、完膚なきまでに失われてしまうのではないか、と私は恐れる。

民俗学者、柳田國男が84歳になった1858年、柳田の故郷、兵庫県の地元紙である神戸新聞にエッセーを連載、後に『故郷七十年』のタイトルで一冊の本(神戸新聞総合出版センター)になった。柳田國男が自らの人生を振り返った一種の伝記であって、ふるさとを論じているわけではない。だが、その意識なく書き進めているだけに、ふるさとの本質が行間にほとばしっている。その一センテンスを紹介したい。
せんじつめると、どこが故郷のいいところか、故郷とはどこまでいいのか判らないけれども、帰ってみれば村の人はみな知っていて、お互いの気持ちが口に出さなくとも通じるとか、中には子供で別れたのがもう大人になり、細君になっているといったセンチメンタリズムもある。

室生犀星は『抒情小曲集』のなかで「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と詩に詠んだ。帰れば「村の人のみんな知っている」ところがふるさと、と柳田國男はいう。原発事故避難者が帰ってみても、知っている人がだれも帰っていない土地は、もはやふるさととはいえない。帰還事業という国策ではふるさとは戻らない。