「百鬼夜行夜話 001」片山通夫

百鬼夜行夜話の最初は大江山に向かった。

鬼の交流博物館入口の鬼

大江(おほえ)山いく野の道の遠(とほ)ければ まだふみもみず天の橋立
訳:大江山を越え、生野を通る丹後への道は遠すぎて、まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙も見てはいません。有名な百人一首にある。しかしどうもここに出てくる大江山とは違うようだ。天橋立なんぞが出てくるし、てっきりと思ったが「丹波国桑田郡(現在の京都府西北部)の山。鬼退治で有名な丹後の大江山とは別。大枝山とも書く」とあった。(ややこしい)

羅城門の鬼

ではここに過去に巣くっていた鬼は何者かということになる。小説や映画で有名な「羅生門」の鬼が主役らしい。(本来は羅城門

時は平安末期。世の中が乱れて京の都大路の大きな羅城門に鬼が出るという話。小説は芥川龍之介の作。これはともかく、大江山に巣くう鬼が都に出没し人々を脅かす。酒呑童子が有名だ。酒呑童子は多くの鬼を手下にして大江山の洞くつに住んでいた。そして時には都大路へ繰り出して乱暴狼藉の限りを尽くしたと伝えられる。どうも酒が好きなので手下どもから酒呑童子と呼ばれていたみたいだ。
 一条天皇の時代、京の若者や姫君が次々と神隠しに遭った。安倍晴明に占わせたところ、大江山に住む鬼(酒呑童子)の仕業とわかった。そこで帝は長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らを征伐に向わせた。頼光らは山伏を装い鬼の居城を訪ね、一夜の宿をとらせてほしいと頼む。酒呑童子らは京の都から源頼光らが自分を成敗しにくるとの情報を得ていたので警戒し様々な詰問をする。なんとか疑いを晴らし酒を酌み交わして話を聞いたところ、大の酒好きなために家来から「酒呑童子」と呼ばれていることや、平野山(比良山)に住んでいたが伝教大師(最澄)が延暦寺を建てて以来、そこには居られなくなり、嘉祥2年(849年)から大江山に住みついたことなど身の上話を語った。頼光らは鬼に八幡大菩薩から与えられた「神変奇特酒」(神便鬼毒酒)という毒酒を振る舞い、笈に背負っていた武具で身を固め酒呑童子の寝所を襲い、身体を押さえつけて首をはねた。生首はなお頼光の兜を噛みつきにかかったが、仲間の兜も重ねかぶって難を逃れた。一行は、首級を持ち帰り京に凱旋。首級は帝らが検分したのちに宇治の平等院の宝蔵に納められた。(ウイキペディアによる)

大江山は恐ろしい。