読切連載《アカンタレ勘太》5-2 作・画 いのしゅうじ

夏の思いで

夏の思い出

夏やすみもあと五日。
勘太はしゅくだいの「夏やすみのおもいで」の絵をまだいかいていない。あわてだした
画用紙とクレヨンをとりだし、頭にうかんだ順にまとまりもなくかきだした。
さいしょにながれ星。画用紙のいちばん上にかいた。その下にアラカンの白馬。保津峡でのキャンプをおもいだし、じょうき機関車をグレー色であらわす。川をえがこうとして、川なら天の川をにしようと考えなおす。いちばん白にカヤをかきいれた。
二学期がはじまり、みんながそれぞれの「夏やすみのおもいで」の絵をだした。海や山、花火、おばあちゃんの里。どれもこれも元気があふれている。 “読切連載《アカンタレ勘太》5-2 作・画 いのしゅうじ” の続きを読む

読切連載《アカンタレ勘太》5-1 作・画 いのしゅうじ

カヤのキャンプ

カヤのキャンプ

勘太のおとうさんが、つとめ先のがっこうから久しぶりに帰ってきた。
かぞくみんなで夕食をかこむのは二カ月ぶりくらいだ。
おとうさんが思いがけないことをいいだした。
「キャンプに行こう」
「うちにはテントがありません」
おかあさんはバカバカしいという顔だ。
おとうさんは、
「古いカヤ(蚊帳)がまだあるはずじゃ」
と、さぐるような目でおかあさんにたずねる。
「せんそう中に使ってた四畳半用のこと?」
「そのカヤをテントにするんや」
おとうさんは四、五日前、教え子の一家が河原でカヤをはっているのを見かけた。
「何してるの?」ときくと、「キャンプです」と元気なこたえ。子どもたちの目はキラキラしている。
よし、わが家でもやってみよう。
「と思ったんや」
おとうさんの話に勘太がとびついた。
「ぼくもキャンプやりたい」
二人のおにいさんも、
「キャンプして泳ぐんや」
とすっかり乗り気。
おかあさんとおねえさんは、「日帰りなら」と、しぶしぶさんせいした。
つぎの日、下のおにいさんの淳吉が図書館から「お手ごろキャンプ場」という本をかりてきた。
保津川のページに「亀岡と嵐山の間の渓谷。舟がくだるのにあわせて、じょうききかん車がはしる」と書いてある。
「ここがええ」
その日の夕食のとき、みんなで計画をたてた。
ご飯はハンゴウでたく。ハンゴウはせんそう中、万一のためにと用意しておいたものだ。いまは床下に二つころがっている。お風呂にくべるまきをできるだけ細くしておく。
問題はおかず。勘太は「カレー」といったが、おかあさんは「肉がくさる」と受けつけない。けっきょく、おかずは梅ぼしだけ。
カヤはおとうさんがリュックにつめる。お米とハンゴウは上のおにいさんの康弘、まきは淳吉、勘太の小さなリュックにはみんなの水着。
途中でスイカを買っておかあさんとおねえさんがさげていく。
キャンプ当日、朝五時におきた。
京都駅から山陰線に乗り、保津峡駅でおりる。二十分ほどで保津川の谷間にとうちゃく。
大きな岩がごろごろしている。その間を水がゴウゴウと流れ、波の頭がびりりっとくだける。
川べりに四本の木が四畳半くらいのスペースをあけて立っている。ここでカヤをつってくれ、と言ってるみたいに。
みんなでカヤをつりおえた。
そこは草っ原だ。さっそく勘太は寝ころがる。
おねえさんはハーモニカをふきだした。
淳吉はカヤをつってる木にこげ茶色の虫がいるのを見つけた。「カブトムシや」とこうふんしている。
康弘は石をつみあげてカマドをつくり、ハンゴウのよういをはじめる。
やがてハンゴウがぶつぶつあわをたてだした。
「皿にする石さがしてこい」
康弘に命じられて、勘太はたいらな石をひろいにいく。
「できた」
康弘の声で、カヤの中にいたおとうさん、おかあさん、おねえさんもハンゴウのまわりにあつまった。
康弘と淳吉が、あつあつのハンゴウのふたをあけ、ごはんをひっくり返す。下の方はおこげばかり。
「ま、これがキャンプや」
おとうさんはニコニコして、石の皿におこげをもった。
向こう岸にじょうききかん車が、
ゴッゴゴッゴ
と、あえぎあえぎ、ゆっくり走ってきた。もわもわとはきだす煙が川をはっていく。
列車の窓から子どもが手をふっている。勘太くらいの男の子だ。勘太も両手をふってこたえる。
スイカを川に冷やしていると、舟がくだってきた。バシャッとしぶきをあげて勘太たちのそばをとおる。
「カヤでキャンプしてるやん」
舟の客たちも「がんばりや」と手をふっている。 “読切連載《アカンタレ勘太》5-1 作・画 いのしゅうじ” の続きを読む

Oikoの眼《住吉祭》村島吉彦 


摂津国一之宮
全国の住吉神社の総本社

古くは摂津国 (せっつのくに=大阪府北西部と兵庫県南東部を占める旧国名) の中でも、由緒が深く、信仰が篤い神社として、「一之宮」という社格がつけられ、人々に親しまれてきました。昭和21年までは官幣大社であり、全国約2300社余の住吉神社の総本社でもあります。(住吉神社ホームページ)

 

 

鎮座 神功皇后
摂政11年(西暦211年)三韓征伐を行ったといわれている。

 

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小田 真 ドローンの世界「夏」

沖縄《「慰霊の日」に思う》童話にみる沖縄のこころ 文 井上脩身

『月と珊瑚』(講談社)の表紙

  沖縄戦が終結して75年を迎えた「慰霊の日」の6月23日、「沖縄全戦没者追悼式」が沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われた。玉城デニー知事は辺野古基地の建設が進められている大浦湾について、「絶滅危惧種262種を含む5300種以上の生物が生息しているホープスポット」と述べ、希望の地が戦争という血みどろの地になることへの強い危機感を表明、「沖縄のこころ」を前面に押し出した。わたしはたまたま童話作家、上條さなえさんの、沖縄を舞台にした『月と珊瑚』(講談社)を読んでいるところだった。主人公の女の子は、「沖縄は血と涙と珊瑚礁でできた島」と知る。その島のサンゴは破壊され、辺野古の島として、しまびとの血と涙が流れかねない瀬戸際にたっている。この本は今年度の青少年読書感想文全国コンクールの課題図書だ。多くの子どもがこの本を読むだろう。「沖縄のこころ」とは何だろう。子どもたちには『月と珊瑚』から自分なりに何かを感じとってほしい、と私は願う。 “沖縄《「慰霊の日」に思う》童話にみる沖縄のこころ 文 井上脩身” の続きを読む

旅するカメラ《高山右近の故郷で見たマリアの墓》片山通夫

大阪の北のほうに豊能町がある。近年バチカンから福者の称号を与えられたキリシタン大名の高山右近の生誕の地である。

 

 

この高山右近とは直接何の関係もなさそうだが「マリアの墓」なるものがこの地に存在する。

 

 

 

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原発を考える《初の″原発汚染″オリンピックに》~原子力緊急事態宣言の中で~井上脩身

福島第一原発全景(『フクシマ事故とオリンピック』より)

 新型コロナウイルスの世界的な感染により、東京オリンピックは1年延期されることになった。安倍晋三首相は「新型コロナウイルスに打ち勝った証し」としてオリンピックを開くとしているが、そもそも東京五輪は福島第一原発事故による放射能汚染について、安倍首相が「アンダーコントロール」であるとし、「復興五輪」を旗印にして誘致したものだ。しかし原発事故にともなって出された「原子力緊急事態宣言」は今なお解除されていない。解除時期について政府は「確たる見通しを述べることは困難」としており、来夏までに解除できる可能性はほとんどゼロである。ならば、オリンピックは中止すべきだ、と元京大原子炉実験所助教の小出裕章氏は近著『フクシマ事故と東京オリンピック』(径書房)の中で主張している。本文は英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語に訳されており、世界中に発信されている。東京オリンピックを強行するならば、五輪史に「原子力汚染五輪」と刻まれることになるであろう。

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びえんと《冤罪を生む仏様顔の取り調べ》~湖東記念病院事件に見る虚偽自白の恐怖~文・井上脩身

西山美香さん(ウィキペディアより)

 滋賀県東近江市の湖東記念病院で入院中の患者を殺害したとされた元看護助手の再審裁判で3月31日、大津地裁は無罪を言い渡した。この再審裁判で明らかになったのは、元看護助手の心の動揺に乗じ、捜査員を信頼させて迎合自白を取る手口だ。元看護助手の西山美香さんが取り調べ刑事を好きになって行ったウソの自白が、原審で有罪の決め手にされてしまったのだ。狭山事件では、犯人とされた石川一雄さん(仮出所中)が、信頼する巡査部長にほだされて、やはりウソの自白をしている。憲法は拷問や強制による自白は証拠と認めないと規定している。しかし、取り調べに際してこうした強面法とは逆の、みせかけ温情法もまた冤罪の元なのである。 “びえんと《冤罪を生む仏様顔の取り調べ》~湖東記念病院事件に見る虚偽自白の恐怖~文・井上脩身” の続きを読む

徒然の章《コロナに思う》中務敦行

今年は春からコロナ、コロナで明け暮れている。6月にいったん収まったかと思われたのもつかの間、再び全国的に感染者が増えている。この先はどうなるのか、誰にも分からない。私は会社を定年退職後、17年。文化センターや写真クラブで写真の指導をするほか、撮影のバスツァーなども手伝って退屈知らずだったが、この半年間ほとんど何もせずに過ごした。

この間、写真展を4回予定していたが、すべて中止。秋以降に繰り越したもの、中止したものがほとんど、長いものは2年先になったものもある。私の年齢ではたとえコロナにかからなくてもそれまで生きている保証はない。それでも毎日、家でゴロゴロしているわけにも行かないので、所用で3、4月に東京、6月に福岡に用を足しに行った。新幹線は一両に10人あまり、往復のチケットをディスカウントショップで買うと昼夜の食事代が浮いた。ビジネスホテルは普段の半額、車内販売がないのが不便だったが、我慢するしかない。貴重な体験だった。(写真は誰もいない奈良の街)

普段は奈良に住むので外人観光客であふれていた。社寺仏閣に詣で、コロナ退散を祈願した。奈良市の春日大社は今年早々には観光客で賑わい、シカが群れてせんべいをもらっていた。大仏殿に至る道はいろんな国の人たちが我先にと盧舎那仏の前で手を合わせていた。

春、暖かくなって行ったときは写真のように、シカはのんびり座りこみ大仏殿には誰もいなかった。法隆寺では驚いた。東院伽藍への石畳の上には人っ子一人いない。何度も訪れているが、初めての光景だ。

小さな町や村の鎮守さんや、お地蔵さんも数多く訪れ、手を合わせた。きちんと掃除されて花が手向けられている。大木の根元に埋もれるような仏さまもあった。みんな「コロナよ去れ!」叫んでいるように見えた。天理市の大和(おおやまと)神社はこれまでお参りしたことがなかった。電車から見るとずいぶん大きな森が見えるので一度行こうと思っていた。山の辺の道を少し西に歩くと思ったより近い。鳥居から本殿まで270m、長いはずだ。本殿のそばの説明を見ると戦艦大和と同じ長さだという。歩いてみて長さを実感した。

大阪のキタ、ミナミもガラガラだった。一番少ないときは昼を食べるにも初めての店しか開いていないときもあった。

私たち高令者の生活も変わったが、学校へ通う子供たち、校外から都市へ通勤する社会人、あらゆる人の生活が変わった。特に変わったのはリモート勤務だろう。在宅で勤務する人たち、ガランとした職場、パソコンを介しての授業、様々に変化した。今後、コロナのワクチンができ、普段の生活が戻ったとき、生活はどう変わっているだろうか。首都への一極集中は変わらないのか。新学期は秋になるのか、流通はこれまでも変わりつつあったが、このあとどうなるのだろう。いろいろ想像して楽しみにしている。果たしてどのようになっているのか、この目で見なければ、という意欲が出てきた。

中務 敦行 43年 大阪生まれ  58年 大阪府立市岡高校入学、写真部入部 61年 同志社大入学カメラクラブ入部  65年 同志社大卒業 同  読売新聞大阪本社入社、写真部勤務
新聞カメラマンとして、あらゆるジャンルの写真を取材
98年 読売新聞大阪本社写真部長 03年 退職 「健やか写真クラブ」、「奈良市身体障害者写真クラブ・アングル」などの講師 日本風景写真協会監事

巻頭言 Lapiz編集長 井上脩身

 森友問題
佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど
社会問題を招き、それに指示NO、を誰れもいわない理財局の体質はコンプライアンスなど全くないこれが財務官僚王国最後は下部がしっぽを切られる。世の中だ、手がふるえる、恐い命 大切な命 終止府

森友事件にからむ公文書改ざん事件の渦中となった財務省近畿財務局の職員で、2018年3月に命を絶った赤木俊夫氏が、死の直前に走り書きしたメモ(原文のまま)です。 “巻頭言 Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む