山城の国物語《第26代継体天皇 002》片山通夫

継体天皇生誕の地・滋賀県高島市

継体天皇誕生

小泊瀬(おはつせの)天皇(武烈天皇)は、若い頃恋に破れてひどい女性不信に陥り、女性に対しては悪逆非道の限りをつくした。妊婦の腹を裂いて胎児を見たり、女を裸にして馬と交尾させたり、そのため一生を独身で過ごすはめになり、当然一子ももうけることがなかった。即位から8年で武烈天皇は崩御し、その事で大和朝廷には一大事件が発生する。即ち、世継ぎがいないため王朝断絶の危機に陥ったのである。
重臣達は合議を開き、大連(おおむらじ)の大伴金村(おおとものかなむら)は、丹波の国桑田郡(現京都府北桑田郡・亀岡市あたり)にいる足仲彦(たらしなかつひこ:仲哀)天皇五世の孫である倭彦王(やまとひこのおほきみ)を迎えて皇位につかせようとしたが、王は整列して行進してくる兵士を見て狼狽し山中に逃げ去ってしまう。
そこで金村は物部鹿鹿火(もののべのあらかひ)大連、許勢男人(こせのおびと)大臣らと協議して、今度は越前の国三国(現福井県坂井郡三国町あたり)にいる誉田(ほむだの:応神)天皇五世の孫である男大迹(おおど)王(後の継体天皇)を迎える事にした。 “山城の国物語《第26代継体天皇 002》片山通夫” の続きを読む

編集長が行く《社会的欲求不満の暴発か?》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身

クリニック放火殺人事件犯の動機を探る

現場周辺の上空写真(2021年12月18日付毎日新聞より)

2021年12月17日、大阪市の心療内科クリニックで放火され、クリニックの院長(49)や患者ら25人が死亡する悲惨な事件が起きた。容疑者の男T(61)は死亡し、犯行動機は永遠のナゾである。現場は以前私が勤めていた会社のすぐ近くにあり、毎日のようにクリニックが入っている雑居ビルの前を通っていた。事件の数日後、現場を訪ねた。クリニックを覗くことができれば、動機をうかがわせる何らかのヒントがあるのでは、と思ったからである。だがビルの入り口は青いシートで覆われており、捜査関係者以外は中に入れない。何か手がかりはないかと調べてみると、東京のある心療内科医がコロナ禍のなかの人々の心理的不安について、マズローの欲求5段階の欠如を指摘していることがわかった。 “編集長が行く《社会的欲求不満の暴発か?》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

とりとめのない話《ジャズする心》中川眞須良

昨年暮れから今年にかけメデイアを通じジャズの話をよく耳にする。それも流れている曲はなんと「サッチモ」ではないか、何だこれは?と思ったがその理由を知って納得がいった。
震源地はNHKの朝ドラである。
それにしても 時代があまりにも古い。彼のジャズの世界を初めてレコード(Sp?)で知ったファンは今 どうしているのだろうか、平均年齢は優に80を超えていると思われる。数年に一度?はジャズの話題が巷をさまそう時があってもすぐ、行方知れずになることが常であるが今回はどうであろうか。 “とりとめのない話《ジャズする心》中川眞須良” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その52《オロンコ岩》渡辺幸重

北海道の知床半島北岸に網走湾に面してオロンコ岩と呼ばれるドーム状の岩島があります。陸続きになっている大きな岩で、ウトロ崎へのトンネル道路が貫通しています。頂上にはオロンコ岩チャシ遺跡があり、先住民族「オロッコ」の夏家の炉跡であるといわれます。オロンコ岩の名称はオロッコ族に由来しますが、自らは“ウィルタ”と呼んでおり、ウィルタ協会はオロッコを蔑称だとしています。
昔、オロンコ岩にはウィルタ族の砦(オロンコ岩チャシ)があり、その南西約1kmのチャシコツ崎(亀岩)にはアイヌ族の砦(ウトロチャシ)がありました。両者は戦い、アイヌが勝利したといわれますが、以下のような伝承もあります。

写真:オロンコ岩(Webサイト<お城解説「日本全国」1100情報【城旅人】>より)https://sirotabi.com/1039/

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アカンタレ勘太12《キュウリ弁当》文・画  いのしゅうじ

 勘太のおかあさんがえがおを作って、北島八百屋のおくさんにペコペコしている。
「エイちゃんはすごい。エイちゃんをやとったおくさんはもっとすごい」
ちょうどエイちゃんがご用聞きからかえってきた。
「勘太くん、大丈夫ですか」
「勘太はね、どんなヘマをしてもさーっと忘れてしまう。アカンタレのええとこやね」
おかあさんはくすっとわらって、
「お礼に何がええやろか」
と、野菜をあれこれみまわす。
キュウリを手にとった。緑がつやつやしている。
「キュウリ五貫目(19キログラム)ちょうだい」
エイちゃんはそろばんをはじいて、
「130本くらいになります。そんなにたくさん、何にするんですか」 “アカンタレ勘太12《キュウリ弁当》文・画  いのしゅうじ” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その51《ピール島植民地政府》渡辺幸重

ナサニエル・セ-ボレーの直系子孫たち(20世紀前半撮影)

「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」という狂歌が詠まれたのは1853年6月、アメリカ東インド艦隊(司令長官:ペリー提督)が三浦半島・浦賀沖に現れたときのことです。ペリーは浦賀来航前の5月に琉球を訪れ、首里城で琉球国に通商を要求したあと小笠原諸島を探検しました。そのあと、浦賀に行き、さらに翌年3月に再訪して江戸幕府と日米和親条約を結ぶことになります。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その51《ピール島植民地政府》渡辺幸重” の続きを読む

冬の夜更けは・・山城の国物語008《山城から明日香へ》片山通夫

仁徳天皇陵

こうしてみると「我らが山城の国」は継体天皇が「天皇として」生まれたふるさとともいうべき重要な位置のあったと思う。木津川が他の大河と合流した地域であり、その大河を治めて20年、機を待って飛鳥の地へ赴く。おそらく「神武の東征」をほうふつとさせたのではないか。
もし継体天皇が実質初代天皇だったとすれば、彼以前の天皇は?また16代仁徳天皇陵のように巨大な墳墓が存在することが不可解だが、発掘調査させてもらえない現在ではそれすら確認のしようがない。せめて遷都の一覧を眺めて負いたい。
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冬の夜更けは・・山城の国物語007《継体天皇ヤマトへ》片山通夫

20年もの歳月をかけて、山城国で雌伏してヤマトへの遷都をうかがっていた継体天皇にようやくチャンスが巡ってきた。ここ大和の地で生まれた手白香皇女(たしらかのひめみこ、仁賢天皇2年以前 – 没年不詳)と皇女に近しい皇族が後ろ盾となった。ようやくヤマトの本拠地に入城したというわけである。この手白香皇女は後に継体天皇の皇后となる。磐余玉穂宮遷都に果たした皇后手白香皇女の役割というのは、すでに述べたように「内部からの手引き」であろうことは想像に難くない。その功をもってか知らないが彼女は天皇の皇后となった。もしかして先に結婚していたのかもしれない。もちろんこれは筆者の妄想であるが…。

ここ当時の中枢であった桜井市には歴代の天皇の宮があった。
第17代履中天皇の磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)、
第22代清寧天皇の磐余甕栗宮(いわれのみかぐりのみや)、
第26代継体天皇の磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)、
第31代用明天皇の磐余池辺双槻宮(いわれのいけのべのなみつきのみや)
である。

このうち磐余玉穂宮は我らが継体天皇が彼の皇后と宮を営んだ。歴史上初の「内助の功」だったのかもしれない。
シリーズ山城の国の継体天皇編はこの項で終わる。次は現在の山h城の国を知らべることとしたい。