冬の夜更けは・・山城の国物語006《第26代継体天皇-03》片山通夫

白髭神社鳥居(高島市)

母の手で育てられた男大迹(ヲホド)は時には近江・高島へ行き来したと伝えられる。琵琶湖畔と言っても越前の三国や丸岡からは遠い。山を踏み分け、水運を利用した往来だったと想像する。彼は水に親しんだかもしれない。いやそうだったろうと推察する。越前の国・三国は日本海沿岸。高島は琵琶湖畔。

途中険しい山が連なり、海岸は山が海に迫まる。そんな中を頻繁に行き来した。

失礼な言い方だが当時の越前や高島はそんなに開けていたのだろうか?と疑問を持つ。彼の時代は6世紀初め。この頃の大陸はどの様な時代だったのか調べてみた。ちょうどこの頃は高句麗が南下、新羅が西に勢力を広め、百済が加耶の一部を支配した時代だったようだ。日本神話に出てくる「スサノオが天上界を追放された」のもこの頃だった。スサノオは新羅にいったん降り立ちその後出雲に渡りヤマタノオロチを退治してクシナダヒメと結婚した。この後に起こった白村江の戦い(663年10月)は7世紀半ば。

継体天皇の出自に関してはこの辺で終わりたい。継体天皇の時代はちょうど「神代の時代」と「その後」の境の時代だと思われる。もしかして継体天皇が初代の天皇だった可能性も否定できない思いだ。

 

冬の夜更けは・・山城の国物語005《第26代継体天皇-02》片山通夫

田中の集落・高島市

もう少し継体天皇の謎を書いてみたい。最も興味を持った筆者が戯れに書いているだけなので、そのつもりでお読みいただきた。
コロナの影響と寒波襲来の中、滋賀県高島市へ出かけた。目的は継体天皇の出自を肌で感じるため。幸いにして雪も降らなかって、というか晴天に恵まれて田んぼの雪がまぶしかった。 “冬の夜更けは・・山城の国物語005《第26代継体天皇-02》片山通夫” の続きを読む

冬の夜更けは・・山城の国物語004《第26代継体天皇-01》片山通夫

継体天皇像

 

第26代継体天皇。その出自から謎に満ちている。継体天皇の生涯を書き始めると数冊の書物が書けるのではないかと思われるほど、エピソードがあり、また正確に書くことが出来ない謎の人物だった。ともあれ、継体天皇は木津川をはじめとする淀川水系を手中にした。ひょっとして天皇のご先祖は河童の精だったのかと実に失礼なことを思い浮かべたりもした。

ところで継体天皇はそれまでの天皇(大王)の系とは違う系譜の方だったようだ。当時の天皇・武烈天皇が崩御、しかし彼に跡継ぎがいなかったため、時の実力者・大伴金村(おおとものかなむら)らが次の天皇を選ぶことになって、近江高島生まれで越前にいた応神天皇から5代目の子孫にあたる男大迹(おをど)王を推挙したとある。 “冬の夜更けは・・山城の国物語004《第26代継体天皇-01》片山通夫” の続きを読む

冬の夜更けは・・山城の国物語002《古墳時代の木津川あたり》片山通夫

 Lapiz2021冬号で【山城の国物語《木津川界隈》】を書き始めた。もう少し深くこのあたりのことを調べてみようと思う。

古墳のあったところからJR奈良線と木津川方面を見る

山城の国の歴史は古い。古墳時代にさかのぼる。3世紀頃の古墳が見t目られるほどである。その古墳に椿井大塚山古墳がある。椿井は「つばい」と読む。ちょうどJR奈良線が木津駅から京都へ向かってしばらく
進むと右側、木津川を望む丘陵に立地する。時代は古く古墳時代前期はじめに造成された前方後円墳である。奈良桜井市の箸墓古墳が造成された時代とほぼ同じ時代に匹敵する。もっと言えば邪馬台国の時代だといえる。 “冬の夜更けは・・山城の国物語002《古墳時代の木津川あたり》片山通夫” の続きを読む

冬の夜更けは・・・山城の国物語《木津川界隈》片山通夫

継体天皇像

初めに。
筆者が何年も前からこよなく愛している地域の一つに南京都地区がある。その地域にはけっこうな歴史があることに気が付いたのである。何しろその条件がそろっている。南に明日香、平城、北には平安の都、そして水運と開墾に十分な水量を誇り難波の海に最後は注ぐ木津川。真に条件が整いすぎていると思う。
かの継体天皇が明日香の都をうかがった地域でもある。継体天皇に関しては、井上満朗氏(歴史学者、京都産業大学名誉教授)の「継体天皇と河内馬飼首荒籠」という論文に詳しい。
この地域は古来「山城国」と呼ばれた。「やましろ」は、古くは「山背」「山代」と記され、7世紀に「山背国」という表記で国が建てられた。 この名称は、平城京から見て「奈良山のうしろ」にあたる地域であることから来ていると云われている。 “冬の夜更けは・・・山城の国物語《木津川界隈》片山通夫” の続きを読む

コラム・とりとめのない話《普通》中川眞須良

「普通」

一匹の蟻の歩行を観察していると握りこぶし大の石の壁に行く手を遮られると、その行き先(進路)は三択である。それは 左折、右折、又はUターン。なかには極稀に一瞬立ち止まってからゆっくりとその石をよじ登り、直進に拘る蟻もいる。となれば四択ということになるのか。 “コラム・とりとめのない話《普通》中川眞須良” の続きを読む

編集長が行く《広島原爆の日に西宮大空襲 002》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身

置き去りの空襲被災者

国は1953年、恩給法の改正で旧軍人に対する恩給制度を復活させ、普通恩給(本人に対する給付)、扶助料(遺族への給付)の支給をはじめた。さらに「戦傷病者、戦没者遺族等援護法」を制定、軍属、準軍属や遺族、戦傷病者にも給付対象とすることになった。しかし、戦災に遭った普通の市民やその遺族は何らの援護の対象にもならず、何の補償も受けられなかった。「国土防衛の戦士」とされながら、民間の空襲被害者は置き去りにされたのである。(写真) “編集長が行く《広島原爆の日に西宮大空襲 002》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

原発を考える《いつまでごまかすのだ?》山梨良平

1986年4月25日事故を起こした4号炉 写真 片山通夫

あれから10年半経った。国と東電は福島第一原発の廃炉を事故から30~40年後の2041~51年に完了させるとの目標を変えていない。本当に可能なのか?例えば東電は昨年12月、事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しについて、目標にしていた21年末までの開始を断念する方針を明らかにした。このままズルズルと引き延ばしにかかったら、国や東電への信頼はなくすことになる。10年も経ったのだ。そろそろ「正直に」状況を国民、とりわけ福島県民に丁寧な説明が必要だと思うのだが。それが国や東電に対しての信頼に繋がる。
今のまま情報を隠して、どうにもならなかった時に初めて「実は」と少しづつ報告するようでは、全く信頼というモノを持つことは出来ない。現在廃炉作業はた日本原電東海発電所(茨城県東海村)と中部電力浜岡原発1、2号機(静岡県御前崎市)は原子炉周辺設備の解体作業に入っている。しかし東海が30年、浜岡は28年かかる予定。大事故を起こした福島が3~40年とは到底信じられない。まさか、結局チェルノブイリのような石棺もしくはシェルターをかぶせるしか方法がないというのか?

そろそろ「事実を国民に伝えよ」と思うし「正直になれ」と強く要求したい。