毎年この時期になるとユジノサハリンスク(ロシア・サハリン州)のレーニン広場に氷の彫刻が市民の目を楽しませてくれる。
読切連載アカンタレ勘太 11-2《板イカダのそうなん》文・挿画 いのしゅうじ
勘太のおにいさんの淳吉が「日本の秘境」という本をひらいた。
おかあさんに買ってもらったばかり。めずらしい風景の写真がもりだくさんだ。
淳吉の目はイカダの写真にクギづけ。題は「瀞(とろ)峡の筏(いかだ)下り」。瀞の岩と岩のあいだをイカダがぬっていく。
瀞峡は近畿南部の山奥の深い谷だ。イカダ師はあら波をものともしない、とかいてある。 “読切連載アカンタレ勘太 11-2《板イカダのそうなん》文・挿画 いのしゅうじ” の続きを読む
読切連載アカンタレ勘太 11-1《しんぞうやぶりの丘》文・挿画 いのしゅうじ
「スクーターが入った」
テッちゃんがこうふんしている。
「ラビットや。かっこええねん」
ラビットスクーターはさいきん、都会ではやりだした。クスリの会社につとめているテッちゃんのおとうさんは新しがりやなのだ。
勝がテッちゃんの机の前にたった。
「うちはバタコや」
勝の家のまわりは昔からスギの山。勝のおとうさんは材木の運送をはじめようと、中古のオート三輪を知り合いから安く買いとった。
原発を考える《犠牲強要の汚染処理水海洋放出》文 井上脩身
岸田文雄首相は衆院選で与党が過半数の議席を獲得したのを受け、安倍政権が行ってきた原発政策を進める方針を明らかにした。当然、前政権時代の課題も岸田政権の肩にのしかかるが、そのひとつは福島第1原発の汚染処理水問題だ。菅政権下の2021年4月、2年後をメドに海洋放出することに決定しており、岸田首相は自らの政権下で放出を実施するものとみられる。しかし、放出される放射性物質トリチウムの危険性を指摘する声は根強くあり、地元漁業者は風評被害を懸念、あくまで反対のかまえだ。そもそも原発事故が起きたから処理水問題が出現しでたのである。事故で地元漁業者に塗炭の苦しみを押し付け、さらに処理水放出で少なくとも風評被害を及ぼすというであれば、理不尽な犠牲強要施策というほかない。 “原発を考える《犠牲強要の汚染処理水海洋放出》文 井上脩身” の続きを読む
編集長が行く《墓仲間・芭蕉と木曽義仲 下》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身
木曽殿と背中合わせ
『芭蕉「越のほそ道」』は上下2段290ページにわたる大著である。松本氏の調査力には頭が下がるが、俳諧の神髄が義仲の国造りの理想とは相通じることから、芭蕉は義仲に強い思いを抱いた、というのはムリがあるように私はおもう。国造りならば、その形をつくりあげたのは頼朝だ。だが頼朝に心を寄せた気配は全くない。要するに芭蕉は義仲が好きだったのだ。でなければ「義仲寺に葬ってくれ」と遺言するはずはない。ではなぜ義仲が好きだったのか。 “編集長が行く《墓仲間・芭蕉と木曽義仲 下》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む
編集長が行く《墓仲間・芭蕉と木曽義仲 上》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身
~義仲寺で俳聖の心をさぐる~
新型コロナウイルスの新規感染者が減少し、緊急事態宣言が解除された10月初旬、大津市のJR膳所駅に近い義仲寺をたずねた。木曽義仲をまつるこの寺に松尾芭蕉も葬られ、墓が隣り合っていると聞いたからである。芭蕉は「おくの細道」の旅で、源義経の終焉の地とされる奥州・平泉の衣川をたずね、「夏草や兵どもが夢の跡」という有名な句を詠んでいる。素人めには、義経に思い入れが強かったとみえる芭蕉がなぜ、義仲のそばで死後を送ろうとしたのだろう。来年は『おくの細道』が刊行(元禄15=1702)されて330年になる。俳聖の心の奥をうかがってみたくなったのである。 “編集長が行く《墓仲間・芭蕉と木曽義仲 上》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む
びえんと《五七五に託すハンセン病患者の叫び 下》Lapiz 編集長 井上脩身
民族差別との二重苦も
北條民雄は18歳の時に結婚したが、ハンセン病にかかったために離婚することになった。妻だった女性もハンセン病にかかって死亡したことを入院後に知る。北條のように夫婦共に感染して共に入院しているケースも少なくない。
【夫婦】
妻の肩借りて義足の試歩うれし
書く時の夫が字引になってくれ
冬支度指図するほど妻は癒え
病む妻を笑顔にさせた子の為替
亡妻の忌へ冬の苺の赤すぎる
立春の吹雪に妻の骨拾ふ
(妻に先立たれた夫はただただ切なく悲しい) “びえんと《五七五に託すハンセン病患者の叫び 下》Lapiz 編集長 井上脩身” の続きを読む
びえんと《五七五に託すハンセン病患者の叫び 上》Lapiz 編集長 井上脩身
~不条理な強制隔離政策のなかで~
11月末、映画『一人になる――医師小笠原登とハンセン病強制隔離政策』を見た。ハンセン病患者に対する強制隔離に反対しつづけた小笠原医師(1888~1970)の生涯を通して、らい予防法が引き起こした差別と偏見を訴える映画である。私はたまたまハンセン病患者たちの苦しみや怒りを詠んだ短歌、俳句、川柳を収録した『訴歌』に目を通していた。さらに偶然ながら、ハンセン病患者であった作家、北條民雄の代表作『いのちの初夜』を読み終えたばかりであった。この小説は、主人公がハンセン病療養所に隔離された最初の日を書き表した作品だ。2001年、熊本地裁は、ハンセン病歴者は国の隔離政策の被害者であると認定、さらに患者の家族についても同地裁は2016年、人格権が侵害されたと判示した。だが、病苦者への差別・偏見は今なお根強い。『訴歌』のなかの川柳を通して、ハンセン病患者の思いに迫りたい。 “びえんと《五七五に託すハンセン病患者の叫び 上》Lapiz 編集長 井上脩身” の続きを読む
2021冬号Vol.40《徒然の章》中務敦行
2021冬号Vol.40《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身
最近、知り合いの70代の女性から意外な身の上話を聞きました。彼女の長女が高校1年生のとき、叔父夫婦から「息子のいいなずけになってほしい」との申し入れがあったというのです。1970年代半ばのことです。戦後30年がたってもまだ「いいなずけ」という風習が根をはっていたのか、と驚きました。彼女は「娘にだって結婚相手を決める権利があると思う」と断りました。断るのは当然ですが、「娘にだって」の言葉に私は引っかかりました。そして気づきました。秋篠宮家の長女眞子さんと小室圭さんとの結婚に対する多くの国民の思いは「眞子さんにも相手を選ぶ権利がある」ではないか、と。意識するとしないにかかわらず、「眞子さん以外にも選ぶ権利がある」との考えがこもっているように思えるのです。 “2021冬号Vol.40《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む