2021冬号Vol.40《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身

Lapiz2021Vol.40

最近、知り合いの70代の女性から意外な身の上話を聞きました。彼女の長女が高校1年生のとき、叔父夫婦から「息子のいいなずけになってほしい」との申し入れがあったというのです。1970年代半ばのことです。戦後30年がたってもまだ「いいなずけ」という風習が根をはっていたのか、と驚きました。彼女は「娘にだって結婚相手を決める権利があると思う」と断りました。断るのは当然ですが、「娘にだって」の言葉に私は引っかかりました。そして気づきました。秋篠宮家の長女眞子さんと小室圭さんとの結婚に対する多くの国民の思いは「眞子さんにも相手を選ぶ権利がある」ではないか、と。意識するとしないにかかわらず、「眞子さん以外にも選ぶ権利がある」との考えがこもっているように思えるのです。 知り合いの女性の長女が小学校3年生のとき祖父が死亡。その葬儀にあたって、孫5人の先頭にたっていろいろお手伝いをしました。その利発さに、叔父夫婦は「将来、息子の嫁に」と思い、高校生になったのを機に申しいれてきたそうです。
いいなずけを辞書でひくと「双方の親が、子供が幼いうちから結婚させる約束をしておくこと」とあります。親と親の間の合意だけによる婚姻は、戦前ではそう珍しいものではありません。家制度が当然とされるなか、双方の家の結びつきを強めるためか、権力や資力に上位にある家が家系をつなぐため、子供がまだ小さいうちに結婚の取り決めをしたのです。天皇中心主義の明治憲法下では、こうした家父長的結婚観が「日本のよき伝統を守るもの」とされ、親の意に反する結婚は、社会やひいては国にも背く″危険婚″とばかりに異端視されました。
戦後、現憲法により、「主権在民」の原則の基、家父長主義は否定され、個人のもつ人権が尊重されることとなりました。結婚についても「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」(第24条1項)と定められ、親の介在を排除しました。現実には多くの場合、結婚に際して親の承諾を得るよう努めるでしょうが、承諾がなくとも本人同士の意志を憲法は保障しているのです。逆にいえば、本人が不同意であれば、親の意志はどうであれ憲法は結婚を認めていないのです。
知人の女性は「娘にも権利がある」と言いました。彼女は「親の私にも権利がある」と思っていたのでしょう。それは憲法の精神に反するのですが、彼女には憲法上の個人主義についての理解がそもそもなかったのでしょう。彼女は大学を卒業したあと、長らく幼稚園の先生をしており、社会人としての知識、教養は積んでいたと思われます。その彼女が憲法の基本原則についての知識が乏しいとはどういうことでしょう。かく言う私自身、憲法を学んだのは大学に入ってからです。法学部だから当然です。他の学部だったら憲法を読むことはなかったかもしれません。
眞子さんと小室圭さんとの結婚に対して、週刊誌を中心にバッシング報道がなされました。小室圭さんの母親が金銭トラブルを抱えていることから、その息子は皇室のお姫さまの婿にはふさわしくない、ということのようです。「皇室尊崇」を精神の根底におく超保守派は、眞子さんが結婚相手を選ぶこと自体に否定的です。おそらく秋篠宮家か宮内庁が選んだ男性と結婚すべきだ、と考えているのでしょう。
憲法は天皇を象徴と規定し、憲法を尊重し擁護することを義務づけています(第99条)。ましや皇族が憲法の規定に従わねばならないのは当然のことです。だから、眞子さんと小室圭さんの結婚は小室圭さんの母親がどうであれ、二人が決めればそれで成立するのです。
二人の結婚は憲法にのっとったという意味では、皇室史上画期的でかつ歴史的な結婚といえるでしょう。しかし「眞子さんにも相手を選ぶ権利がある」と考える人たちからみれば、母親が阻害要因のようです。その権利は秋篠宮家をはじめ皇室に、宮内庁にあるとか考え、秋篠宮になり代わらんばかりに、バッシングの嵐を吹き込んでいるように見えます。
眞子さんと小室圭さんは結婚後ニューヨークにむかい、マンションで暮らしていると伝えられています。小室さんがニューヨーク州の弁護士試験に不合格だったことから、結婚詐欺まがいの報道もなされています。来年2月に予定されている試験でも不合格ならば、家計は厳しいものになるかもしれません。しかしこれも二人だけで決めたことによって起きる責務です。
私は権利に対応する言葉は義務ではなく責務だと考えています。義務は国などのために押し付けられて行うべきもの、(納税の義務など)ですが、責務は自らに課して行うべきものなのです。二人で結婚という権利を行使した以上、幸せに生涯を送る責務が二人の間で発生します。たとえ弁護士になれないとしても、幸せな家庭を築く責務からは逃れられないのです。
話を憲法に戻します。個人尊重の理念から幸福追求権(第13条)を保障し、そのひとつとして結婚について規定しています。しかし、すでに述べたように、憲法に定める人権感覚が国民の間に十分根づいたとは言えません。そのことが戦後、さまざまな問題を引き起こしてきました。ハンセン病歴のある人への差別感もその一つです。それを助長してきた国の責任は重大です。
本号ではハンセン病患者や病歴者の人権について、患者たちが詠んだ川柳などの五七五の句を通して考えてみました。