昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校 2》元民族新聞記者 鄭容順

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昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校》元民族新聞記者 鄭容順
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李愚京元理事長(右)宋基泰元理事長(左)

京都国際高校は春の選抜高校野球大会に初出場した。創部以来の念願がかなった。対戦相手、宮城県代表、柴田高校に勝利したが、次の東京代表、東海大菅生高校には敗退した。しかし、柴田高校の勝利に韓国語の校歌が甲子園球場から全国津々浦に流れた。日本人はどんな思いで聞いていたのだろうか。在日同胞はどんな思いだっただろうか。
京都国際高校は京都韓国学校が原点、もともとは在日同胞の2世たちは親と一緒に韓国の帰国にあたり、言葉ぐらいは使えるようにならないといけない。1世たちの深い愛情で創設、まさかそんなに長く学校経営が続くとは思っていなかっただろう。各種学校から始まり、日韓国交正常化で日韓の往来は可能になったものの2世たちの言語は日本語で文化も日本人気質になり、韓国の帰国はほとんどなかった。韓国に留学する人はいても生活基盤は日本だった。 “昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校 2》元民族新聞記者 鄭容順” の続きを読む