夏の千夜一夜物語《特に1人暮らしの方は自宅を病床のような形で》構成・片山通夫片山通夫

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本当に現在進行中の怖~い話。東京オリンピックが国民の大方の反対を無視してこの23日に開会式を行って開催されている。いきなり菅首相と小池都知事が天皇の開会の宣言時に立たなかったことは、世界に実況中継された。このことにご両人かたともにコメントはない。まさか陛下に「誤解されたのなら謝罪する」とでも、いつもの謝罪ともつかぬ謝罪をするわけにもゆかないだろう。 “夏の千夜一夜物語《特に1人暮らしの方は自宅を病床のような形で》構成・片山通夫片山通夫” の続きを読む

夏の千夜一夜物語《お墓の化け物》構成・片山通夫片山通夫

これは昔のお話。
そのまちには大きなお墓があったそうだ。そしてそのお墓に、夜になると化け物が出るというウワサがあり、だれも近づこうとはしなかった。
「化け物なんているものか!ほんとうに出るのか、オレがたしかめてやろう」
まちでも怖いもの知らずな八兵衛は、みんなが止めるのを聞かずに、夜になるとそのお墓に行ってしまった。

お墓はまっ暗で、ちょうちんの光がてらすところしか見えない。しかしうわさに聞くような化け物は出てこず、八兵衛はまったく怖くなかった。 “夏の千夜一夜物語《お墓の化け物》構成・片山通夫片山通夫” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その31《自然と共生する野生馬》渡辺幸重

ユルリ島の道産子(「根室・落石地区と幻の島ユルリを考える会」HPより)

北海道東部・根室半島の付け根付近の南岸沖にユルリ島という無人島があります。絶滅危慎種の貴重な海鳥が多く繁殖し、希少な高山植物も多い自然豊かな島です。その島に人間が放した馬が野生化して棲んでいます。一般に人間が島に持ち込んだ外来動物は島本来の自然を破壊するものとして駆除の対象になりますが、ユルリ島の馬はいったん絶滅策がとられたものの最近、人の手によって増やそうという活動がみられます。「自然と共生する野生馬」だというのですが、それはなぜでしょうか。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その31《自然と共生する野生馬》渡辺幸重” の続きを読む

夏の千夜一夜物語《幽霊の願い》構成・片山通夫片山通夫

むかし、越後の国、今の新潟県に源右ヱ門さまという侍がおったそうな。
度胸はあるし、情けもあるしで、まことの豪傑といわれたお人であったと。

あるときのこと、幽霊が墓場に出るという噂が源右ヱ門さまに聞こえた。「とにかく幽霊が出るとみんな騒いでおるが、幽霊なんざあ、この世に何かうらみがある者とか、くやしいとか、願いのある者がなるもんだ。あたり前の人は死んで仏(ほとけ)になるもんだから、おれが行ってその幽霊を助けてやろう」
というて、真夜中の丑満時に鉦(かね)を叩いて南無阿弥陀仏と唱えながら墓場へ行ったと。

そしたら、ボオーと白い衣装着た婆(ば)さまが出て来たと。そして、
「源右ヱ門殿、源右ヱ門殿」
と呼ばったと。

「なんだ」というたら、
「おれも死んではや四、五十年にもなる。人は死ぬとき、みんな末期の水を貰って死ぬども、おれは水も何もなく、ただ棺桶の中さ入れられてしもた。その水を飲ませてもらわなかったから、今、焦熱地獄に置かれて、のどが渇いてのどが渇いて仕様がないごんだ」
というたと。源右ヱ門さまは、
「そういう事なれば」
というて、沢までどっどと降りて行って、叩いていた鉦を裏返しにして、そいつに十杯水を汲んで持って来てやったと。
「ほれ、こいつを飲め」
と差し出したら、幽霊の婆さまは、さもうまそうに飲んだと。

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夏の千夜一夜物語《絵から抜け出した子ども》構成・片山通夫片山通夫

むかしむかし、あるところに、子どものいない夫婦がいました。
「子どもが欲しい、子どもが欲しい」
と、思い続けて毎日仏さまに願ったところ、ようやく玉のような男の子を授かったのですが、病気になってしまい、五歳になる前に死んでしまったのです。
夫婦はとても悲しんで、毎日毎日、泣き暮らしていました。
でも、ある日の事。
「いつまで泣いとっても、きりがない」
「そうね、あの子の絵をかきましょう」
夫婦は子どもの姿を絵にかいて、残す事にしたのです。
それからというもの、父親は座敷に閉じこもって絵筆を持つと、食べる事も寝る事も忘れて一心に絵をかきつづけました。
やがて出来上がった絵は、子どもが遊ぶ姿をかいた、それは見事な出来映えでした。
二人はその絵をふすま絵にして、我が子と思って朝に晩にごはんをあげたり、話しかけたりしました。 “夏の千夜一夜物語《絵から抜け出した子ども》構成・片山通夫片山通夫” の続きを読む

夏の千夜一夜物語《百物語の幽霊》構成・片山通夫片山通夫

むかしむかし、ある村で、お葬式がありました。
昼間に大勢集まった、おとむらいの人たちも夕方には少なくなって、七、八人の若者が残っただけになりました。
「せっかく集まったんだ。寺のお堂を借りて、『百物語(ひゃくものがたり)』をやってみねえか?」
一人が言い出すと、
「いや、おとむらいの後で『百物語』をすると、本当のお化けが出るって言うぞ。やめておこう」
と、一人が尻込みしました。
この『百物語』と言うのは、夜遅くにみんなで集まって百本のローソクに火をつけ、お化けの話しをする事です。
話しが終わるたびに、ひとつ、またひとつと、ローソクの火を消していき、最後のローソクが消えると本当のお化けが出るという事ですが、若者たちは、まだ試した事がありません。 “夏の千夜一夜物語《百物語の幽霊》構成・片山通夫片山通夫” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その30《在沖奄美人》渡辺幸重

奄美群島復帰五十周年(2003年)記念切手

第二次世界大戦後、北緯30度線がかかるトカラ列島・口之島から南が日本から分離され、サンフランシスコ講和条約で日本が独立してからも米軍政下に置かれました。奄美群島もそのひとつです。奄美大島日本復帰協議会などが激しい祖国復帰運動を展開し、奄美群島は1953年(昭和28年)12月25日に日本復帰を果たしました。そのとき、沖縄には6万人を超える奄美群島出身者が生活していました。沖縄の日本復帰は1972年(昭和47年)5月15日のことです。この間、米軍政下の沖縄に住む奄美群島出身者いわゆる“在沖奄美人”たちは“本土日本人”でもない“外国人”扱いを受け、いわれのない差別を受けました。
かつて琉球国の一部だった奄美群島は薩摩の琉球侵攻後には直轄支配され、明治以降は鹿児島県に属しましたが、米軍政下では日本本土と遮断され、沖縄島に移住した人も多かったようです。沖縄で活躍する奄美群島出身者も多くありました。琉球政府行政副主席兼立法院議長の泉有平、琉球銀行総裁の池畑嶺里、琉球開発金融公社総裁の宝村信雄、琉球電信電話公社総裁の屋田甚助などです。ところが、奄美群島の日本復帰後、これらの人たちは公職追放の措置を受けました。そればかりでなく、公務員として働く多くの出身者も職を奪われたのです。在沖奄美人の参政権・土地所有権も剥奪され、本土日本人に与えられた政府税の外国人優遇制度も認められませんでした。社会的な差別意識も広がりました。佐野眞一『沖縄・だれにも書かれたくなかった戦後史<上>』には次のような内容の沖縄奄美連合会会員の言葉があるそうです。
「奄美人は沖縄に土地を買えませんでした。まともな職にも就けなかったから安定した生活をするのは無理でした。銀行も金を貸してくれません」「僕も奄美出身ということがすぐわかる苗字で、随分いじめられました。復帰前も復帰後も"奄美と宮古(宮古島出身者)はお断り"と言われて、奄美出身者はアパートにも入れなかったのです。」
ちまたでは「奄美出身者は奄美に帰れ」との声が広まり、沖縄市町村長会もこれを要望したとのことです。いま日本本土による沖縄差別の問題に心を痛める私としては信じられないほどの状況です。
ときの権力者は一般社会の貧困や歴史による重層的な差別意識をあおって差別政策を推し進めます。突き詰めて考えると江戸幕府の身分制度によって部落差別が生まれたように権力構造や現代の社会構造の中に差別が埋め込まれているように思えます。自分たちの心の中の差別意識を見つめるとともに権力や社会をどう変えていくか、考えていきたいと思います。

夏の千夜一夜物語《置いてけ堀 別バージョン》片山通夫

むかしむかし、あるところに、大きな池がありました。
水草がしげっていて、コイやフナがたくさんいます。
でもどういうわけか、その池で釣りをする人は一人もいません。
それと言うのも、ある時ここでたくさんフナを釣った親子がいたのですが、重たいビク(→魚を入れるカゴ)を持って帰ろうとすると、突然、池にガバガバガバと波がたって、
「置いとけえー!」
と、世にも恐ろしい声がわいて出たのです。
「置いとけえー!」
おどろいた親子は、さおもビクも放り出して逃げ帰り、長い間、寝込んでしまったのです。
それからというもの、恐ろしくて、だれも釣りには行かないというのです。 “夏の千夜一夜物語《置いてけ堀 別バージョン》片山通夫” の続きを読む

夏の千夜一夜物語《置いてけ堀》構成・片山通夫片山通夫

釣り人が魚を持って帰ろうとすると、「おいてけ~」という不気味な声が聞こえることから「おいてけ堀」と名づけられた掘りがありました。
その声のあまりの怖さに、みんな釣った魚を放り投げて帰ってしまうのです。それを聞きつけた魚屋。嫁が止めるのも聞かずに、魚天秤とねじり鉢巻姿でお堀へ向かいます。

さんざん釣って帰ろうとすると、やはりお堀から「おいてけ~」の声が……。魚屋は言うことを聞かず、啖呵を切って一目散に走ります。柳の下までくると、カランコロンと下駄の音。
「魚を売ってください」という女に、みんなに見せるまではダメだと断ると、「これでもかえ?」と、女の顔がのっぺらぼうに……。
魚を放り出し慌てて逃げる魚屋。途中見つけたそば屋で水をもらおうと、店主の顔を見れば、またもやのっぺらぼう。腰の抜けた魚屋、どうにか家までたどり着き、嫁に一部始終を話すのですが……。

夏の千夜一夜物語《船幽霊》構成・片山通夫片山通夫

海で死んだ人たちの霊が、生きている人たちを向こうの世界へ引きずり込むものとされ、昔から漁師たちに恐れられていました。お盆には、浜辺で迎え火を焚いて、海で亡くなった人をお迎えし、お盆の間は決して漁に出てはいけないとされていたのです。
ところが、威勢のいい漁師のお頭が村の老人たちの止めるのも聞かず、子分を引き連れお盆の夜の海に繰り出してしまいました。ほかに漁をする船はいませんから、網を入れるとおもしろいほど魚が取れます。しかし、気がつくと黒い雲に覆われ、船幽霊が現れたのです。

丸い光の亡霊たちは、漁師の舟を取り囲み「ひしゃくをくれ」と口々にいいます。船幽霊にひしゃくを渡すと、海の水を船に注ぎ入れ、沈めてしまうと恐れられていました。
するとその時、浜で焚いていた迎え火が一斉に消え、空に浮かぶと沖に向かって飛び始めました。迎え火は船幽霊を取り囲むと「わしらも同じ海で死んだ者。悪さをするな」と諭し始めたのです。

これによって船幽霊は消え、漁師たちは助かりましたが、親方は「ひしゃくがほしい…」とブツブツいいつづけ、おかしくなってしまったそうです。