原発を考える《坂本龍一の「脱原発」#1》文 井上脩身

坂本龍一さん

――東京新聞記者との討議から――

今年3月28日に亡くなった作曲家・坂本龍一さんが脱原発運動に熱心に取り組んでいたことを新聞報道で知った。映画『ラストエンペラー』の音楽に携わり、米アカデミー賞作曲賞を受賞するなど、世界的な作曲家として名を成した坂本さんだが、福島原発事故の以前から、青森県六ケ所村で進められている使用済み核燃料再処理工場について、「死につながる」と警告を発していたというのだ。福島事故から2年9カ月後の2013年12月、坂本さんは東京新聞の本社で同社記者たちと原発問題について討議した。その白熱ぶりがレポートにまとめられ、『坂本龍一
×東京新聞 脱原発とメディアを考える』(東京新聞編集局編)と題して刊行された。同書を中心に、天才的作曲家の原発観をみてみたい。

映画音楽で異彩を発揮

 坂本さんは1978年、「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、シンセサイザーやコンピューターを駆使した革新的音楽世界を構築し、『テクノポリス』、『君に、胸キュン。』などで人気を博した。グループは83年に「散開」(93年に「再生」)。その年、映画『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督)の音楽を作曲し、英国アカデミー賞を受賞。さらに87年、冒頭に挙げたように米アカデミー賞作曲賞を受賞した『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ監督)では、甘粕正彦役を演じた。
 私が坂本さんの音楽に触れたのは、実は『ラストエンペラー』である。映画は清朝の最後の皇帝でかつ満州国の皇帝となった愛新覚羅溥儀の人生を描いたもので、私はこの皇帝に興味をもっていたのだ。流れくる濃密な音楽が、天国と地獄を行き来したような溥儀の人生の凹凸を見事に表現しているように思えた。

 坂本さんは2006年、ウェブで核燃料再処理工場が六ケ所村につくられると知って「とてもおどろいた」。「不勉強でよく知らなかった」という坂本さんは、ウェブ上で「ストップ・ロッカショ」というキャンペーンをはじめた。

 六ケ所村の再処理工場は、原発で使用した核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、再び原発で使うというもので、核燃料サイクルの中核施設として日本原燃が1993年に着工。97年に完成予定だったが、トラブルが続いて迷走。30年たった今なお完成していない。政府は2024年度完成を目指すとしているが、その見通しはたっていない。

市民団体「原子力資料情報室」は「使用済み核燃料は、人間が近づけば即死するような非常に強力な放射能と高い熱を出す。再処理工場は危険な使用済み核燃料をブツ切りしてプルトニウム、燃え残りウラン、死の灰(核分裂生成物)に分離する巨大な化学工場。事故でなくとも、日常的に大量に放射能を放出しなければ運転できない。高さ150メートルの巨大な排気塔から気体状放射能が大気中に放出される」と指摘している。

 坂本さんは、危険性を指摘するこうした声を受けてウェブを立ち上げたのだ。音楽や芸術を通して再処理工場の危険性を訴えたところに、坂本さんならではの音楽センスが発揮された。その結果として、海外のアーティスト、友人のデザイナーやイラストレーター、写真家など、ふだん原発問題や再処理問題に触れない人たちにもこの問題が行き渡るという効果を生み出した(『坂本龍一×東京新聞』)という。(明日に続く)