編集長が行く #2《元町商店街の手作り映画館》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身

戦争の惨禍を映す

映画『ドンバス』のポスター(ウィキベテアより)

2020年からのコロナ感染拡大で元町映画館が苦境に陥るなか、私は『ドンバス』(セルゲイ・ロズニツァ監督)を見たのだ。
ウクライナ東部のドンバスは親ロシア派勢力の強いところで、2014年、一方的にウクライナからの独立を宣言。ウクライナ軍との武力衝突が日常化し、事実上内戦状態になっていた。映画はウクライナ内部の深い分断の溝による悲劇をダークユーモアを交えてえがき出したものだが、私が注目したのは政府側のアゾフ大隊の所業だった。隊の中にネオナチ的な兵がいて、親ロシア派の住民に暴行する場面もある。プーチン大統領が、ウクライナにはネオナチがいると、戦争の口実にしたことを思い起こし、戦争のためには、敵の弱みを最大限利用してプロパガンダにするものと知ったのであった。
同館で私が見た2回目の映画は『島守の塔』(五十嵐匠監督)。2022年8月だった。映画は沖縄戦最中の沖縄県知事、島田叡(あきら)の苦悩に迫った。高校、大学時代、野球の名選手だった島田は東大を出たあと内務省に入省。敗色が濃い1945年1月、米軍の上陸が必至とみられる沖縄県の知事を任命された。家族を残して沖縄に赴任した島田は県民の食糧確保に奔走。米軍が上陸し、摩文仁の丘に追い詰められて死を決した部下に「命どぅ宝、生き抜け」と諭して逃がす。自らは壕にとどまり消息は不明に。遺体は発見されていない。
今は県営平和祈念公園になっている摩文仁の丘から見た沖縄の青い海を思い浮かべながら、涙してこの映画を見たのであった。

採算度外視の映画

浦安魚市場の外観(2019年3月撮影)

政府は今年3月、コロナ対策を緩和し、マスクの着用を個人の意思に委ねた。そんな中の4月下旬、私は元町映画館で『浦安魚市場のこと』(歌川達人監督)を見た。冒頭に述べた魚市場が舞台の映画である。
浦安魚市場は1953年、千葉県浦安市に設置された。30店舗が入居、漁師が浦安で水揚げした魚介類をはじめ、築地市場で仕入れた鮮魚が販売された。元来、浦安の海は漁場だったが、経済成長とともに埋めたてが進み、臨海工場地帯になる一方で、東京ディズニーランドの開設によって、漁港の町ではなくなった。住民の買いもの動向も大きく変わり、消費者の80%以上は魚介類をスーパーで買うようになった。
加えて市場の2階建てビルが老朽化し、耐震構造になっていないこともあり、2019年3月31日、閉鎖され、65年の歴史の幕を閉じた。
私は閉鎖される少し前に同市場をたずねた。ほとんどの商品は売り切れていた。着いたのがすでに午前11時を過ぎていたこともあるが、閉鎖が決まって商品を余らせないようにしていたこともあるのだろう。売り物のない店には寂しさが漂っていて、いつもは威勢がいいであろう店員たちも、ほとんど言葉を交わさず、物静かな市場であった。
映画は「泉銀」という店の、40代半ばの店主を主人公にして描かれた。店主は「市場に客を呼び込もう」と市場の近くの路上でロックのライブを開き、自らボーカルをつとめるなど、苦心に苦心を重ねる様子を克明に描写。3人の子どもには南房総の漁港でクジラをさばく様子を見せたり、築地市場に連れて行ったりと、鮮魚商の内側を教える。
市場閉鎖の直前、泉銀の店主は復興したばかりの岩手県宮古市の市場に招かれ、マグロをさばく。たまたま私はこのころに宮古市を訪ねているだけに、このシーンに胸が詰まった。新たに生まれ変わる三陸の魚市場と、姿を消す大都会の市場。市場経済は非情である。

神戸の人たちのなかに浦安魚市場に関心がある人はまずいないだろう。実際、私を入れても入館者は7、8人。人件費も出ないだろう。それにもかかわらず上映を決断した元町映画館のスタッフに私は敬意を表したい。世の中、経済の論理だけで動くわけではないのだ。
映画館の天井が低くとも、映写機の位置が低くとも、そして待合スペースがなくてもいいではないか。儲からない映画も上映する。その気概に私は拍手喝采である。
ここまで書いて、小学校のころ、学校の講堂で映画が上映されたのを思い出した。美空ひばりが双子の姉妹として登場する映画だった。スクリーンに児童の影が映ったが、気にはならなかった。あるいは私が映画が好きになった原点だったのかもしれない。ふと思う。元町映画館はあるいは新たな映画文化を切り開くきっかけになるかもしれない。手作り映画館が地元の映画好きを掘り起こすことになるのではないか。手作りのミニ映画館が地域文化の担い手になってくれることを私は願っている。(明日に続く)