とりとめのない話《睡蓮池の風》中川眞須良

睡蓮

2023年5月中旬晴天の午前 あまりの心地よい風に誘われ いつもの睡蓮池を訪れてみた。例年より早く新葉が水面に浮かび上がり(浮葉) 8分咲きの花も一輪確認でき さらに成長し白と黄色の花が咲き乱れ、池の半分以上が葉の上を歩けそうな例年の池の景色となるのも間近のようだ。

また昨年は数匹の緋鯉が足元まで挨拶に来てくれたがこの日は何故か姿を見せない。水温が低いからか・・・

さらにゆっくり池をひとめぐり、昼を少し過ぎた時刻から 今日もゆっくりと流れ始めた風を正面から待ち受けるように 睡蓮の新葉の上約1メートルに ギンヤンマのホバリングにも出会うことができた。正面から見るとバックの緑に溶け込み大変見つけにくい。 風に向かって飛ぶ昆虫の特性(走風性)が顕著な場面だ。この光景もまた例年より約3週間早い。

蓮の新葉は初め水に浮く。その上を吹き渡る風の別名を荷風(かふう)と聞くが、初夏この日のように睡蓮池の水面を優しく撫でていく風を人は何と呼ぶのだろう。

その風は 今の時期 西北(にしきた)から舞い降りる。「この夏の猛暑を予感させる風」か・・・と問い返すのは今日の風には失礼だ。

連載コラム・日本の島できごと事典 その102《たらい船》渡辺幸重

荒海や 佐渡に横たふ 天の河

佐渡島のたらい舟(「アイランドレンタカー」より)

これは松尾芭蕉が「奥の細道」を旅する途上に立ち寄った新潟県出雲崎から佐渡島(さどがしま/さどしま)の空を眺めて詠んだ句とされています。このときは雨だったとかこの時期は佐渡の方角に天の川は見えないとかで、実際には見ていない風景だという議論がありますが、それはさておき、佐渡と越後の間のこの“荒海”を毎夜「たらい舟」で恋人のもとに通った女性がいたと聞けば皆さんはびっくりするのではないでしょうか。

昔、佐渡にお弁という漁師の娘がいました。越後国・柏崎から佐渡に来た船大工の藤吉と恋仲になりましたが、藤吉は佐渡での仕事が終わると柏崎に帰ってしまいました。お弁は藤吉が忘れられず毎晩たらい舟に乗って佐渡から柏崎まで通いましたが、実は藤吉には妻子がありました。藤吉はお弁がだんだん恐ろしくも疎ましくもなってきて、お弁が目印にしていた柏崎の番神岬の常夜灯を消したため、お弁は目印を失い、荒海に漂い、波にのまれて死んでしまいました。藤吉はお弁を死なせてしまった後悔から海に身を投げて命を絶ったということです。

浪曲師の寿々木米若はこの民話と民謡「佐渡おけさ」をもとに浪曲台本「佐渡情話」を作り、その口演レコードは全国的な大ヒットとなりました。佐渡情話では、お光と漁師の吾作の恋物語となっており、お光に横恋慕する七之助が登場するなど創作が随所に見られます。また、たらい舟で恋人のところに通うという似たような話は、新潟県上越市の「人魚塚伝説」や河口湖の「るすが岩」、琵琶湖の「お満灯籠」など各地にあります。
物語の舞台となった佐渡・小木地区の番神堂には次のような与謝野晶子の歌が残されています。

たらい舟 荒海もこゆ うたがはず
番神岬の ほかげ頼めば

小木地区では現在も海藻や魚貝採りにたらい舟が用いられており、たらい舟は「南佐渡の漁撈用具」の一部として1974(昭和49)年に国の重要有形民俗文化財に指定されました。また、「小木のたらい舟製作技術」は伝統的な和船製造技術や樽桶製造技術を知る上で貴重な財産だとして2007(平成19)年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

Opinion《軍事大国・戦争へと向かう“国家意思”にメディアは抗わないのか》渡辺幸重・ジャーナリスト

―「自衛隊に島を奪われる」と危惧する与那国島に目を向けよう―

この記事はちきゅう座からの転載です。 

「岸田首相は何十年も続く平和主義を放棄し、自国を真の軍事大国にしたいと望んでいる」という米『タイム』誌表紙の説明(写真左)は本来、日本のメディアが指摘するべき内容だった。ジャーナリズムを標榜するならば安倍政権時代からの改憲・軍拡路線に対して警鐘を鳴らし、反戦・非戦キャンペーンを展開するべきだった日本のメディアは、日本政府の抗議で『タイム』誌が表現を変えると「外国から変な目で見られなくてよかった」と胸をなで下ろしたようだった。いったい、安保法制や安保3文書改定、防衛費倍増、兵器の爆買い・開発・輸出、琉球弧(南西諸島)へのミサイル配備などをどう考えているのだろうか。この状態は国会や国内世論とともに「軍事大国化は許さない」「戦争をするな」と大騒ぎしてもしすぎにはならないほどだから『タイム』誌も書いたのである。解散・総選挙が近いとささやかれているが、選挙や直接行動で明確な国民の意思が示されなければ国民無視の“国家意思”によって国民の命や生活は踏み潰されてしまうだろう。メディアも国民も正念場に立っている。

沖縄の軍事負担は増大、琉球弧は“軍事要塞列島”に

今年の5月15日で沖縄は日本復帰51年を迎えたが、この間沖縄の米軍専用施設は復帰時より3割以上減ったもののいまなお全国の在日米軍専用施設面積の約7割が沖縄に集中し、逆に自衛隊専用施設は復帰時の4.6倍に増えた。合計した沖縄の軍事負担は2019年以降増加を続け、軽減どころか増加しているのが実態だ。自衛隊基地は与那国島、石垣島、宮古島に新設され、沖縄島などでも拡大が続いている。鹿児島県では奄美大島に自衛隊基地ができ、馬毛島では米軍のFCLP(陸上空母離着陸訓練)も行う自衛隊基地の建設が始まった。沖縄は復帰後も変わらぬ「基地の島」であり、沖縄を含む琉球弧(南西諸島)全体が軍事要塞化されるという「軍事要塞列島」まっただ中にある。

電子戦部隊・空港拡張・港湾整備・ミサイル配置と軍備増強が進む与那国島

先島諸島では、2016年3月28日に与那国島、2019年3月26日に宮古島、そして今年の3月16日に石垣島に陸上自衛隊の駐屯地が開設され、3月18日には石垣島にミサイルが運び込まれた。
その与那国島ではいま、住民の間に大きな動揺が広がっている。当初は「自衛隊は沿岸監視部隊だけ」「米軍が来ることはない」と聞かされていたのに目の前で急速に軍備拡張が進んでいるからだ。昨年4月には航空自衛隊第53警戒隊与那国分遣班が配備され、11月の日米共同統合演習「キーンソード」では与那国島にアメリカの海兵隊員約40人が乗り込んで演習が行われ、重火器を備えた自衛隊の機動戦闘車が住民の目の前で公道を走行した。その物々しい光景は“静かで平和な島”の住民を戸惑わせるのに十分だった。12月に「安保3文書」が閣議決定され、2023年度予算案には与那国駐屯地への電子戦部隊配備に加えて地対空誘導弾(ミサイル)部隊を置くための土地(約18ha)取得などが盛り込まれた。このままでは与那国島、石垣島、宮古島、沖縄島、奄美大島と琉球弧沿いにずらっと大陸に向いたミサイルが並ぶだろう。

防衛省は沖縄復帰の日に当たる今年の5月15日、与那国島で「与那国駐屯地への地対空誘導弾部隊配備に関する住民説明会」を開催した。そこには約150人の町民が出席。防衛省は、空からの攻撃を防ぐため中距離地対空誘導弾部隊を配備するとし、配備するミサイルは「他国を攻撃するものではない」と説明した。すなわち「敵基地攻撃能力(反撃能力)」はないというのだ。しかし、これは誰も信用してはいない。今年1月、アメリカ政府は計画していた地上発射型中距離ミサイルの在日米軍への配備を見送るという報道が流れたが、その理由は日本が敵基地攻撃能力を持つ長射程ミサイルの保有を決めたからだとしており、日本政府が琉球弧に長射程ミサイルを並べようとしているのは明らかだ。
与那国町の糸数健一町長は台湾有事を見据え、大型旅客機・大型船舶による町民の島外避難のために与那国空港滑走路の500m延伸と南部の比川集落への港湾新設を政府に要望したという。これは自衛隊のF35戦闘機の離着陸や自衛隊の護衛艦の接岸などを可能とする軍民共用施設の整備を意味する。沿岸監視だけのはずだった与那国島の軍事施設は、地対空ミサイル部隊基地、与那国空港の軍事的拡張、比川地区への港湾計画(軍港)と際限なく増殖しようとしている。地元ではどこで何が決まったかわからないまま「防衛は国の専管事項」「機密は公開できない」「まだ決定ではない」という説明だけで、軍拡という現実だけが急速に進んでいる。一方、ほとんどの国民は“前線”の緊迫した実態を知らないか知ろうとしないままでいる。

武力攻撃事態で「沖縄本島は屋内避難、先島諸島は九州に避難」

今年の3月17日、沖縄県は武力攻撃事態の際に住民を避難させるための「国民保護図上訓練」を行った。国や与那国町、石垣市、宮古島市なども参加して先島諸島などから沖縄県外に避難する手順を検討したが、その後、沖縄本島は屋内避難、先島諸島の約12万人は九州に避難させる方針が決められた。
与那国島では昨年11月30日に「国民保護法に基づく弾道ミサイル発射を想定した住民避難訓練」が町民22人の参加で実施された。サイレンが鳴ると走って公民館に逃げ込み、頭を両手で抱えてかがみ込むという訓練だったが、訓練の意義に疑問を持つ人も多く、参加者が激減したようだ。また、与那国町は台湾有事を想定して事前に島外避難する町民に対して避難のための交通費や生活資金などを支給する基金の設置を決めている。
2023年度防衛予算には自衛隊施設の司令部を地下化する費用が含まれており、沖縄島の陸上自衛隊那覇駐屯地、航空自衛隊那覇基地、那覇病院など全国6ヶ所が対象になっているが、民間人が逃げ込む場所はない。与那国町は政府に避難シェルターの設置を求めており、自民党の「シェルター(堅固な避難施設)議員連盟」は5月22日、与那国町、石垣市、竹富町を訪れ、住民が避難できるシェルター設置に対する財政支援を政府に促すと約束した。
現地では、“脅威”が煽られ、“不安”が増幅させられることが日常的に続いている。 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の軍事偵察衛星発射に備えるとして宮古島・石垣島・与那国島に展開したPAC3(地対空誘導弾パトリオット)部隊もその機能を果たしている。

「国にだまされた」――誘致派の元町長・元議長がミサイル配備に反対を表明

これらの動きに対して、とうとう我慢できなくなった自衛隊基地誘致当時の町長や町議会議長がミサイル配備反対の声を上げた。
外間守吉・元町長は「ミサイル部隊の誘致だけはどうしても阻止しなければならない」と断言。日本はアジア外交政策を持っていないことを危惧し「私たち保守のグループでもミサイル配備阻止に向け、運動を起こしていこうと話しあっている」と言う。また、前西原武三・元議長も「ミサイル配備は絶対認めてはならない」とし、その理由を「軍事の島になってしまい、島民が安心して生活する環境は失われるかもしれないという強い不安がある」と語る。「国にだまされたような気がして、誘致に賛成したのは正しかったのかと自問自答している」という葛藤も吐露している。

国は与那国島を「全島無人化・全島要塞化」しようとしているのではないか

また、山田和幸さんらミサイル配備に反対する与那国町の住民3人は5月10日、沖縄県・沖縄県議会への要請文、沖縄防衛局への質問状を提出。国に対してはミサイル攻撃の際の島の安全確保、沖縄県議会からの「外交による平和構築を政府に求める意見書」などについての見解を求めた。
同行した「ノーモア沖縄戦 命(ぬち)どぅ宝の会」発起人の新垣邦雄さんによると、3人は与那国島が“人の住まない島、住めない島”になるのではないかという切実な思いで直訴に及んだと言う。山田さんらは「県が全島避難計画、町も全島避難要領を出し、防衛省は大規模な基地建設を計画している。住民を追い出し全島要塞化する狙いではないか」と危惧しているのだ。国は与那国島を、第二次世界大戦“玉砕”の島・硫黄島のような「住民がいない自衛隊基地の島」にしようとしているのではないか。そうでないなら、国はなぜ軍拡が必要か、山田さんら地元住民が納得するまで説明しなければならない。

自衛隊誘致につぶされた「島の自立へのビジョン」

実は、与那国島は自衛隊誘致がささやかれ始める2007年頃までは自立・自治・共生を基本理念に据えた「与那国・自立へのビジョン」「与那国自立・自治宣言」を掲げ、姉妹都市である台湾・花蓮市との交流を足がかりに国が進めている構造改革特区を活用して“国境交流を通じた地域活性化と人づくり”を進めようとしていた。これが全国的に話題を呼び、実現するかと思われたものの2度にわたる特区申請は2006年、2007年とも国に却下され、島の振興策は自衛隊誘致へと流れが変わった。2007年6月には米国のケビン・メア在沖縄総領事と米海軍掃海艇が地元の反対を押し切って与那国島に入港し、翌年1月には島に防衛協会が設立された。日本政府による自衛隊受け入れの働きかけや締め付けは相当強かったようだ。
自立へのビジョンプロジェクトの初代事務局長や2007年4月に開設した与那国町の花蓮市連絡事務所初代所長を務めた田里千代基さんは「もしも特区申請が通っていたら、自衛隊誘致は潰せたと思う」と断言。今でも集会などで「自立ビジョンはあきらめていない」と訴えている。
与那国・自立へのビジョンは自民党の有力者も評価し、実現への協力を表明したという。それが“国策”の自衛隊基地建設によってひっくり返された。人口減少対策と経済振興をねらって沿岸警備隊を誘致したら中国に向けたミサイルまでやってくるという。“国境の島”として交易・交流を考えていた安全・安心の島がまったく真逆の、軍事部隊が対峙する危険極まりない島になりそうなのである。

国家権力に戦争をさせないのがメディアの責務

そこで、冒頭の問いに戻るが、日本のメディアはこのような与那国島の現実に目を伏せたままでいいのか、ということなのだ。この経過を見るに、ほとんどが日本政府の政策や対応が問題であり、「国際情勢」や「地政学的位置」を理由に国境に接する与那国島に“迷惑施設”である軍事施設と部隊を押しつけている。まずは国の施策や国民全体の姿勢を問うべきであろう。
日本のメディアは、岸田政権が「平和主義を放棄し、自国を真の軍事大国にし」、戦争への道を突き進んでいることを『タイム』誌以上に叫ばなければならない。その根拠は与那国島の例一つでも十分であろう。メディアは社運を賭しても国家権力に戦争をさせてはならないのだ。

原発を考える《震度6強》山梨良平

志賀原子力発電所周辺の過去1年間の地震の震源分布と地殻変動.jpg

5月5日午後2時42分ごろ、石川県能登地方を震源とする地震があり、石川県珠洲市で震度6強を観測した。同県志賀町の北陸電力志賀原発について、北陸電力は5日、「1、2号機とも定期検査により停止中。モニタリングポストの数値に変化はなく、外部への放射能の影響はない。発電所の設備への影響もない」と発表した。原子力規制庁によれば、同原発では地震後、異常は確認されていないという。 2023年5月5日 15時41分 朝日新聞

何事もなく無事でよかった。この報道が事実ならである。松野博一官房長官は「北陸電力志賀原発(石川県)など原発については、『現時点で異常はないと報告を受けている』と述べた。停電や通信障害、断水などの情報はなく、北陸新幹線は一部区間で運転を見合わせていると説明した。政府は石川県に内閣府の調査チームを派遣する。自衛隊については、石川県知事から災害派遣要請はないが、自主派遣で活動しているという。

この地震で5月6日15時現在、一名の死亡が確認されている。情報は見ている限り混乱はなさそうだ。隠ぺいされていない限り。 “原発を考える《震度6強》山梨良平” の続きを読む

原発を考える《坂本龍一の「脱原発」#3》文 井上脩身

『坂本龍一×東京新聞 脱原発とメディアを考える』の表紙
『坂本龍一×東京新聞 脱原発とメディアを考える』の表紙

「核のゴミ処分の国際ルールを」

東京新聞の記者たちとの討論では使用済み核燃料の処分についても話題にのぼった。わが国の原発の半数以上が、使用済み核燃料の貯蔵率について、法令で定められた量の8割を超えており、「トイレなきマンション」が現実問題になっている。六ケ所村の再処理工場建設は迷走をつづけ、プルサーマル計画は、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉で頓挫している。こうしたなか、高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場の選定をめぐり、北海道の寿都、神恵内の2町が公募に応じた。

この討論は2町が手を挙げる前に行われたが、処分についての見通しがほとんどないことはその後も変わらない。

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原発を考える《坂本龍一の「脱原発」#2》文 井上脩身

ファンに反原発を刻み込む

ロッカショ 2万4000年後の地球へのメッセージ

坂本さんは2007年、『ロッカショ 2万4000年後の地球へのメッセージ』(講談社)を著した。サブタイトルの「2万4000年」は再処理して取り出すプルトニウムの半減期だ。坂本さんは同書の冒頭、「まず知るということが大切。知らないということ、無知ということは、死を意味するというか、死につながる」と記した。そして「長期にわたり管理が必要な核物質をなぜ利用する必要があるのか。再処理工場が稼働した場合、環境への影響はどうなるのか
――などと疑問を投げかけた。(4月11日、毎日新聞夕刊)

坂本さんの著書に対し、元東電副社長や元東芝原子力事業部長らで組織する「エネルギー戦略研究会」有志が08年、出版元の講談社に「国民に再処理工場反対を呼びかけようとするセンセーショナルな出版物」などと抗議した。しかし、日本電燃が提出した申請書類約6万ページのうち3100ページに記載漏れなどの不備があり、原子力規制委員会が今年4月、同社社長に「信用に関わる問題」と厳しく指摘したことにみられる現状では、坂本さんが再処理工場に不安を持つのは当然であろう。

坂本さんは福島第一原発の事故後の2011月8月15日、福島市で開かれた芸術の祭典「FUKUSHIMA!」に参加。同市在住の詩人、和合亮一さんがツイッターで発表した詩を朗読する中、約1000人の聴衆を前に即興でピアノを弾いた。

さらに「一刻も早い脱原発」を訴えてロック・フェスティバル「NO MUKES」(ノー・ニュークス)を始めた。坂本さんの呼びかけに賛同したアーティスト、市民団体、メディアが参加して2012年に幕張メッセで第1回のフェスティバルが行われ、YMOをはじめ、トップアーティストが熱演をふるった。2014年の第2回イベントには坂本は咽頭がんの治療のため参加できなかったが、2015年イベントにはトークセッションに出演。17年、19年イベントにも顔を見せ、坂本ファンは「反原発」の意義を深く刻み込んだ。

「事故後も根強い原発神話」

東京新聞記者たちとの討議のなかで、坂本さんは「電力は原発でしかまかなえないと思っている人はまだまだ多く、原発がなくなったら停電になるとか、入院している人が死亡するとか言っている」と日本人の保守性を指摘。「電力=原発という神話は、これだけの事故の後でさえ根強い。チェルノブイリと同じ、人類最悪の事故が起きて、少しは社会が変わるかと期待したけれど、意外と手強い。むしろ前より悪くなりつつある」と悲観的な発言をした。

と言いつつも、坂本さんは「3・11によって、問題の所存に気づいた人はものすごく多い。そこは希望だと思う」と語った。話は国会前で行われた「反原発デモ」にうつり、デミ参加者が減少していることに言及。「関心があってもデモに来ないひとも多い。事故後、社会に声を上げず、関東から逃げだした人も多い。非常に強い関心を持っていても、必ずしも社会的に声を発しない人はたくさんいる」と、″声なき反原発の声″に期待をにじませた。

東京新聞記者から「(脱原発運動を進めるうえで)どういう未来を提示できるかだ。そのあたりはどう考えるか」と質問されたのに対し、「自分たちは(原発リスクを)言ってるつもりだが、届いてない現実がある」としたうえで「リスクばかり、悪い面ばかり言うと人間は暗くなるから、良いビジョンを示すことも大切。そのためには今どうすればいいか。ありうべき未来に向かって、そこから逆に今の行動を決める。バック・キャスティングという考え方をしたらいい」と提言した。(明日に続く)

 

原発を考える《坂本龍一の「脱原発」#1》文 井上脩身

坂本龍一さん

――東京新聞記者との討議から――

今年3月28日に亡くなった作曲家・坂本龍一さんが脱原発運動に熱心に取り組んでいたことを新聞報道で知った。映画『ラストエンペラー』の音楽に携わり、米アカデミー賞作曲賞を受賞するなど、世界的な作曲家として名を成した坂本さんだが、福島原発事故の以前から、青森県六ケ所村で進められている使用済み核燃料再処理工場について、「死につながる」と警告を発していたというのだ。福島事故から2年9カ月後の2013年12月、坂本さんは東京新聞の本社で同社記者たちと原発問題について討議した。その白熱ぶりがレポートにまとめられ、『坂本龍一
×東京新聞 脱原発とメディアを考える』(東京新聞編集局編)と題して刊行された。同書を中心に、天才的作曲家の原発観をみてみたい。 “原発を考える《坂本龍一の「脱原発」#1》文 井上脩身” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その101《鞘形褶曲》渡辺幸重

沼島の鞘形褶曲

瀬戸内海に浮かぶ淡路島には南岸すれすれに中央構造線が通っており、そこから約3km南に沼島(ぬしま)があります。沼島北端の黒崎付近の岩石にはフランスと日本だけという世界的にも珍しい鞘形褶曲(さやがたしゅうきょく)が見られます。1994(平成6)年に発見されたこの鞘形褶曲は約1億年前の“地球のシワ”とも言えるもので、中央構造線や日本列島の形成にも関係する地殻内部の動きを教えてくれます。

1億年前の東アジアでは太平洋側のイザナギプレートがユーラシアプレートの下に沈み込んでいました。このとき日本列島の土台となる陸地はまだ大陸の一部で、約2500万年前から地殻変動によって大陸から離れ始め、その後太平洋側のプレートの沈み込みによってできた付加体を付けて日本列島が形成されていきました。また、イザナギプレートが沈み込む海溝と平行に、大陸だった日本列島の土台部分に大規模な左横ずれ運動が起きてできた断層が中央構造線です。なお、イザナギプレートは約5000万年前までに完全に大陸の下に潜り込んで姿を消し、その後は太平洋プレートが沈み込むようになりました。
沼島は全域が三波川(さんばがわ)帯の結晶片岩類からできています。これは約1億年前の中生代にプレートの沈み込み帯における地殻変動によって比較的高圧の条件で生じた変成岩です。Webを見ると多くが「太平洋プレ-トとユ-ラシアプレ-トがぶつかり合うところでできた岩石が隆起した」と書いてありますが、1億年前なら太平洋プレートではなく、「イザナギプレートとユーラシアプレート」ではないでしょうか。あるいは、岩石が隆起して沼島を作った時期は太平洋プレートの時代だったということを言っているのかもしれません。
平成の時代に入ってこの結晶片岩(泥質片岩)から同心円状になった鞘状褶曲の露頭が発見されました。この鞘状褶曲はプレートが沈み込む過程で強力な褶曲作用が発生したことを物語っています。沼島の鞘状褶曲は2009(平成 21 )年に「日本の地質百選」に選ばれました。

沼島には「おのころ神社」があり、『古事記』『日本書紀』にある国生み神話の有力な舞台と言われています。確かに「天の御柱」ともいわれる上立神(かみたてがみ)岩をはじめ、多くの奇岩、巨岩、岩礁は神話の世界を感じさせます。沼島は、日本遺産「国生みの島・淡路~古代国家を支えた海人の営み~」の構成文化財にも認定されています。

徒然の章《この春のこと》中務敦行

やっとコロナが第五類に。でもこの春はどこか違います。私がこれまで撮ってきた春を振り返ると、桜は4月に咲く花でしたが、関西ではほとんどのところで3月に咲き、しかも気温のせいか、長く咲き続けました。近くの奈良公園は、修学旅行生やインバウンドですっかりコロナ前にもどっています。以下、藤、ツツジ・・・写真をご覧下さい。

以上、開花が毎年早くなってきました。50年前は小学校の入学式(4/1)に満開を迎えていました。

2023夏号Vol.46《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身

菊池由貴子さん

新聞業界はいま危機を迎えています。スマホの普及にともない、中・高年層までが新聞をとらなくなったのです。そんななか、東日本大震災の被災地で一人の女性が新聞の発行を始め、「知りたい情報が載っている」と避難者らから信頼されたと知りました。女性は、取材から編集、広告取りまで1人でやり抜いたそうです。ネットなどを通じてさまざまな情報を知ることができる便利な世の中になりましたが、暮らしに必要な身の回りの情報を得るのはそうたやすいことではありません。大手新聞、タウン紙、広報紙のいずれでもない「ひとり新聞」。その身軽さのゆえに読者のニーズに応えることができたのだと思います。 “2023夏号Vol.46《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む