《渡来人たちの宴・外伝 その7》片山通夫

日本で最初の仏教寺。飛鳥寺の飛鳥大仏。

仏教が飛鳥時代に伝えられた。ところが簡単に新しい文化が受け入れられたというわけではなさそうだった。時は6世紀前半。欽明天皇が仏像を拝む、つまり仏教を取り入れるべきか否か群臣にはかった。曽我稲目が大いに勧めたが物部尾輿が反対した。“崇仏論争”である。単に仏教を取り入れるかどうかの論争ではなく、政権内の権力争いでもあった。

そして用明天皇2年(587)、蘇我氏と物部氏との権力争いは武力対決に発展。蘇我氏が勝利を収め、仏教受容の道が開かれた。翌、崇峻天皇元年(588)には、蘇我氏の本拠地・飛鳥で、稲目の息子・蘇我馬子の発願により「法興寺」、地名から「飛鳥寺」とも称される寺院の建立された。仏教中心の飛鳥文化の開花であった。王族や豪族たちは競って氏寺を建立した。その最初が法興寺であり飛鳥寺と称されて現在の元興寺である。(この項続く)