昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校》元民族新聞記者 鄭容順

創部5年目に1番くじを引いた李良剛君、民団新聞2003年6月30日付の記事から

1月29日の夕方、ラジオから今春の高校野球の選抜大会に、京都府の学校法人・京都国際中学高等学校の京都国際高校が出場すると放送された。この放送に私は夫に「出た、出た」と叫んでいた。夫は「何が出た」という。それほど私の心は浮足立ち、こみあげてくるものがあった。

京都国際高校の前身は京都韓国学校である。京都市左京区北白川に中学校を開校したのが1947年、日本の敗戦後、日本に残った在日韓国・朝鮮人は、以後在日としていく。1世の故郷に帰国するために母国語の習得が必要として学校が建てられた。それから旧校舎から現在の校舎(京都市東山区)に移転をするとき、地元の反対運動に関係者は苦労されたが、1984年に現校舎に移転した。 “昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校》元民族新聞記者 鄭容順” の続きを読む